第5話 正しい数値
依存指数は、毎朝表示される。
起床と同時に、壁面ディスプレイの隅に小さく数値が出る。
入所時、78。
この前は、75。
そして今日――72。
理由は分からない。
だが、数字が下がることに、安堵している自分がいる。
それを自覚した瞬間、少しだけ怖くなった。
自己分析ノートは、日課になっていた。
最初は言葉を探していた。
今は違う。
正しい問いが分かるようになった。
なぜ吸ったのか。
なぜやめられなかったのか。
何を正当化していたのか。
俺は書く。
私は、自分は制御できていると過信していました。
バーの中だけだから問題ないと考えていました。
それは依存を限定的に容認する思考でした。
書きながら、心拍は安定している。
モニターは反応しない。
以前ならざらついていた胸の奥も、今は静かだ。
映像プログラム。
何度も見た証言。
副流煙で倒れた人。
依存で家庭を壊した人。
最初は反発があった。
「俺はそこまでじゃない」
今は違う。
その言葉は浮かばない。
代わりに浮かぶのは、連続性という単語。
依存は段階の問題であり、程度の差でしかない。
自分は途中にいただけ。
そう考えると、抵抗は薄れた。
感想文には迷いなく書ける。
依存は自己判断を鈍らせ、周囲への配慮を欠如させる。
私は自分を例外扱いしていました。
提出後、モニターが微かに振動する。
依存指数:68。
下がっている。
カウンセリング。
「順調ですね、陽介さん」
職員は微笑む。
「最近、喫煙の記憶を思い出しますか?」
「ほとんどありません」
それは事実だった。
煙の感触は、曖昧だ。
火をつける瞬間の高揚も、遠い。
代わりに浮かぶのは、数字と、白い部屋。
「もし今、自由になったら吸いますか?」
一瞬、間が空いた。
以前なら、迷ったかもしれない。
今は違う。
「吸いません」
心拍は安定している。
職員は頷く。
「それが選択です」
選択。
あの言葉が、別の意味を持ち始めている。
日々は繰り返される。
呼吸訓練。
映像。
ノート。
数値。
依存指数:64。
依存指数:59。
依存指数:52。
数字が50を切った日、初めて評価面談があった。
「あなたは認知再構築が進んでいます」
淡々とした説明。
「現在の再依存リスクは低水準です」
低水準。
その言葉に、誇らしさに似た感情が芽生える。
シャワー時間。
「被収容者番号E-17。シャワー時間です」
ロック解除音。
以前は天井を見上げていた。
今は見ない。
カメラの存在を意識しない。
意識しないことが、自然になった。
モニターを外し、身体を洗う。
鏡に映る自分の顔は、どこか穏やかだ。
欲求のざらつきは、もうない。
最終評価の日。
壁面ディスプレイに表示された数値。
依存指数:34。
入所時の半分以下。
職員が告げる。
「陽介さんは、模範更生者と認定されました」
感情は、静かだった。
歓喜もない。
涙もない。
ただ、納得があった。
「私は、未熟でした」
自然に言葉が出る。
「自分は例外だと考えていました。社会のルールは、守るためにあります」
職員は頷く。
「あなたは理解しました」
理解。
その言葉に、抵抗はない。
夜。
消灯後の静寂。
天井の赤いランプが点いている。
俺は目を閉じる。
煙を思い出そうとする。
思い出せない。
焦りもない。
必要ないものだと、本当に思っている。
ここは楽園ではない。
だが、ここで俺は矯正された。
正しい方向に。
そう、信じている。
依存指数は安定している。
心拍は穏やかだ。
俺はもう、喫煙者ではない。




