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最終話 満ちる

朝。

小さなキッチンで味噌汁の湯気が立つ。

真希がエプロン姿で振り返る。

「今日ゴミ出しお願いね」

「了解」

当たり前のやり取り。

洗濯物の干し方で少し言い合い、休日は二人でスーパーへ行く。

特別ではない日常。

でも陽介はふと気づく。

これは流されている時間ではない。

自分で選び続けている時間だ。


ある夜。

真希が少し緊張した顔で言う。

「……できたみたい」

「何が?」

「赤ちゃん」

一瞬、言葉を失う。

嬉しさより先に、不安がよぎる。

自分に父親が務まるのか。

逃げたくなった過去が、脳裏をかすめる。

でも今回は違う。

逃げない。

陽介は真希の手を握る。

「一緒にやろう」


安定期に入った頃。

テーブルに名付けの本が広がる。

「どんな子になってほしい?」

真希が聞く。

陽介は少し考える。

「……自分の中に、ちゃんと光を持ってる子」

真希がページをめくる。

「光っていいね」

「うん」

陽介が顔を上げる。

「光希っていうのはどうだろう?」

口に出してみる。

響きが、やわらかい。

「どうして光がいいの?」

真希の問いに、陽介は少しだけ間を置く。

「俺はずっと、外に光を探してたから」

誰かの評価。

誰かの言葉。

誰かの承認。

「でも、本当は自分の中に持つものだったんだって、やっとわかった」

真希は微笑む。

「あなたも今はちゃんと持ってるよ」

陽介は照れくさそうに笑う。

「じゃあ、光希にしよう」


泣き声が響く。

小さな命。

「お名前は?」

「光希です」

指を握られる。

小さくて、あたたかい。

(お前は、自分の光で生きろ)

声には出さない。

胸の奥で誓う。


五年後、公園。

「パパ見て!」

走り回る光希。

真希が笑う。

陽介も追いかける。

息が上がる。

「ちょっと休憩……」

ベンチに腰を下ろす。

少し離れた所で、真希と光希が笑っている。

夕方の光が三人を包む。

胸に手を当てる。

かつてあった、ぽっかりとした空洞。

誰かに満たしてもらおうとしていた穴。

流される煙のようだった自分。

今は違う。

選び続けてきた日々。

逃げなかった時間。

笑い声が風に乗る。

陽介は静かに思う。


……もう、胸の空洞はない。

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