第13話 選ぶということ
真希の実家は、静かな住宅街にあった。
手入れの行き届いた庭。
整った玄関先。
靴箱の上には家族写真。
「どうぞ」
真希の父は穏やかな声で迎えた。
真希の母もにこやかにお茶を出す。
緊張はしているが、空気は悪くない。
(きちんと話せば、大丈夫だ)
そう思っていた。
世間話のあと、真希の父が自然に尋ねる。
「今はどちらにお勤めで?」
工場の名前を答える。
職歴の話になる。
そして、エデンのこと。
真希が一瞬だけ、こちらを見る。
言うのか、と。
俺は隠さない。
それが誠実だと思っている。
「依存、というのは具体的には?」
真希の父の声は穏やかだが、目が変わる。
「再発の可能性は?」
「今も通院は?」
「衝動は完全に抑えられているのですか?」
質問が重なる。
空気が冷えていく。
「ちょっとお父さん、陽介さんに失礼だよ」
真希が口を挟む。
真希の父は初めて強い声を出した。
「真希は黙ってなさい」
部屋が静まる。
いつもの優しい父の声ではないことに、真希は言葉を失う。
(俺のせいだ)
穏やかな空気を壊したのは、自分の過去。
真希の父は姿勢を正す。
「私は真希の父親です」
「娘には幸せになってもらいたい」
そして、静かに告げた。
「申し訳ないが、この結婚は認められません」
その瞬間、別の声が重なる。
『お前のせいで、妹の婚約が破棄になった』
面会室のガラス越し。
父の冷たい声と母の泣き声。
胸が締め付けられる。
さらに、もう一つの記憶。
まだ実家で暮らしていた頃。
リビングで並んでゲームをしていた夜。
「お兄ちゃん、また教えて」
自分に懐いていた妹。
無邪気に笑い合ったあの時間。
温かかった日常。
それを壊したのは、自分ではなかったか。
真希の父が言う。
「どうか理解してくれ」
俺は何も言うことができなかった。
怒れない。
反論できない。
もし自分に娘がいたら。
同じことを言うのではないか。
(俺と結婚して、真希は幸せになれるのか)
答えは出ない。
帰り道。
「ごめんね」
「説得するから」
「お父さん、あんな言い方する人じゃないのに」
真希は混乱している。
俺は静かに言う。
「当然だよ」
真希は、その声は優しいが、少し遠いと感じた。
それから、距離ができた。
工場での会話が減る。
笑う回数も少なくなる。
真希は気づく。
何かが変わったと。
数日後の夜。
部屋は静まり返っている。
真希の父の言葉が反芻される。
『再発の可能性』
『娘の幸せ』
そして、あの声。
『お前のせいで、妹の婚約が破棄になった』
自分は誰かの幸せを壊す存在なのではないか。
真希の幸せを思うなら、身を引くべきではないのか。
そのとき、スマホが震えた。
画面に表示された名前。
妹。
一瞬、指が止まる。
出る。
「……久しぶり、兄さん」
思っていたより、普通の声だった。
「両親には連絡するなって言われてた」
少し笑う。
「最初は、正直、恨んだよ」
俺は何も言えない。
「でもね……」
間がある。
「婚約、戻ったの」
言葉の意味がすぐに飲み込めない。
「いろいろ話して、喧嘩もして、泣いて。……でも、私が選んだの」
選んだ。
その言葉が胸に落ちる。
「結婚する」
静かだが、迷いのない声。
「私と両親のことは大丈夫」
そして、最後に。
「兄さんは、自分の幸せを考えて生きて」
通話が終わる。
部屋に静寂が戻る。
陽介は、これまでを思い返す。
教師に勧められて進学した大学。
「お前は成績がいいから、ここを受けろ」
自分は何も考えなかった。
ただ、勧められたから。
条件が良かったから選んだ電子機器メーカー。
やりたいことではなかった。
でも「安定」という言葉に流された。
タバコは恒一に誘われた。
断れなかった。
なんとなく始めた。
気づけば依存。
刑務所で無心で貼ったシール。
断ることもできた。
でも、断らなかった。
エデンで管理された生活。
数値で測られる更生。
指示に従えばよかった。
コンビニでは疎外感を感じて、自分から離れた。
理由を相手のせいにして。
そして今、真希の父に結婚を反対され、「身を引くべきでは」と思っている。
また、流されようとしている。
(俺は、自分で何かを選んだことがあったのか)
思い出す。
火をつけたタバコ。
立ち上る煙。
形を持たず、風に揺れ、やがて消えていく。
あれと同じだ。
自分の人生。
風に流される煙。
「……違う」
小さく、声が出る。
真希の父は言った。
『娘には幸せになってもらいたい』
妹は言った。
『兄さんは自分の幸せを考えて』
真希が幸せになれるかどうかではない。
俺はどう生きたい。
はっきりと分かる。
俺と結婚して真希が幸せになるんじゃない。
俺が真希を幸せにする。
そして…。
真希と一緒に生きることが、俺の幸せだ。
保証はいらない。
許可もいらない。
これは、俺が選ぶ。
人生で初めて、自分の意志で。
スマホを手に取る。
迷いはない。
真希に電話をかける。
「話がある」
短い言葉。
そして、決めている。
もう一度、真希の父に会いに行く。
今度は、理解してもらうためではない。
自分の覚悟を伝えるために。




