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第三話

 

「おはよう。アンジュ。今日も朝陽の中で輝く君はとびきり可愛いね」


 目を覚ますと、紫紺の瞳と目が合った。

 その瞬間、花がほころんだように微笑む。


「……お兄様。いつから。そして、なぜここに?」

「少し前かな? 理由は、最初に君が目に映すものが私であってほしいからだよ」


 寝起きのせいもあり、私の声はいつもより一段低い。

 目も据わっているはずだ。

 それなのに、私の様子など全く意に介さない。

 朝陽を浴びて輝いているのは、むしろ兄のほうだ。

 黒髪は艶を帯び、白い肌も明るく映える。

 薄手のシャツの下には、細身ながら鍛えられた体があるのも、幼い頃から知っている。


「次期侯爵が女性とベッドを共にするなど、ヴァレンティン家の名に泥を塗るおつもりですか?」

「今更じゃないか。君が幼い頃なんて、私の手を放してくれなかったくせに」


 一体、いつの話をしているの?

 私は10歳に満たないうちに、独り寝できるようになっていた。

 それに、どうして侍女たちは兄を平然と通すのだ。

 かれこれ一か月、兄の来訪は私の私室では『当たり前』になってしまっている。

 どう考えてもおかしいじゃない!


「お兄様。私、もう18歳ですの。夫でもない男性と一緒に朝を迎える方が問題になる年齢でしてよ」

「なら、私を夫に迎えるといい。アンジュとなら明日にでも式を挙げられるように全力を尽くそう」

「だからっ! 次期侯爵様はもっと自覚持てって言ってんのよ!」


 私の顔にかかった銀糸を絡め取る手を払いのける。

 それでも笑みを絶やさないその表情と、退室しようとしない態度が腹立つ。

 妹をそんな目で見ないでよ。

 私は、この家の疵にはなりたくないの。


 寝顔を見られることにすっかり慣れてしまった私は、可愛げなんぞかなぐり捨てて兄をにらみつける。

 そうすると、ゆっくりとベッドから体を起こし、兄が私の頬を撫でた。


「その眉間の皺、朝食の席には持ち越さないように」


 ふわりと笑って去って行く背中を黙って見つめる。

 撫でられた頬に、手を当てて。

 扉が閉まったのを確認すると、私はようやく息をつくことができた。


 ――このままではだめだ。

 早く、何か手を打たないと。

 私がここにいること自体が、間違いなのだから。



 *  *  *



 侍女に朝の支度を手伝ってもらい、食堂に向かう。

 さすがに兄は、あの後私の部屋に来ることはなかった。

 今日は、お気に入りの水色のワンピースにした。

 朝からあんなことがあったため、少しでも気分を押し上げるためだ。


「ほんと、いつまでこんな茶番を繰り返す気なのかしら?」


 やはり、一日でも早く家を出て孤児院で働かなくては。

 そのための説得を今日こそするのだ。

 私は決意を新たに食堂に入った。

 天井の高い食堂に既に両親や兄が揃って腰掛けており、私は足早に席に向かう。


「おはようございます。お父様、お母様」

「おはよう、アンジュ」

「おはよう。今日もアンジュは可愛らしいわね。そのワンピース、よく似合っているわ」


 父は手短に。

 母は私の服まで褒めて挨拶してくれる。

 兄とはすでに挨拶を交わしているので無視だ。

 席に着くと、すぐに目の前にスープが運ばれてくる。

 両親と兄の前には、既に湯気の立った皿が置かれていた。


「いただきます」


 スプーンで口に運び、コンソメと野菜の優しい味を堪能する。

 自分が孤児だと知った日から、私は食事の時間を大切にするように心がけていた。

 この国には、食べたくても食べられない人がいる。

 私も、その一人だったかもしれないのだ。


「そう言えばユリウス。あなた、今度の夜会のアンジュのドレスは用意してあるの?」

「もちろんです、母上。既に出来上がり、週末に届けに来る手はずになっております」

「色は当然、紫よね?」

「えぇ。ラベンダー色を基調として上にレースを重ね、所々アメジストを散らしております」

「まぁ、素敵! 届くのが楽しみだわ。ねぇ? アンジュ」


 はしゃぐ母に同意を求められ、私はあいまいに頷く。

 私、夜会の話初耳なんですけれど。

 そして、どうして当然のように兄が用意し、しかも兄の瞳の色なのか。

 そこをまず問いただしたい。


「アンジュ。言いたいことがあるなら素直に言いなさい」


 私の胸の内が伝わったのか、父が私に促してくれた。

 ナプキンで口元を拭いて、呼吸を整える。


「まず、私は夜会のことは初耳です。どなたが主催され、いつ行われるのかすら教えていただいておりません」

「主催は王家だ。王妃の誕生祝いの夜会であり、毎年この時期に開催されている」


 淡々と述べる父の言葉に、私は言葉に詰まった。

 先ほどのフリは援護射撃じゃなかったの? お父様。

 そして、これは招待者には拒否権のない夜会である。


「お姫様のエスコートは私が努めるから安心していい」


 キッシュにナイフを入れながら兄が告げるが、それが一番安心できないのだ。

 夜会のエスコートは何せ相手との距離が近い。

 兄に腰を抱かれて城のホールへ向かう自分の姿を想像し、眩暈がした。

 少し前までは、何の疑問もなかった。

 だが、今は違う。

 私は、自分の身の丈を知ってしまった。


「お兄様。私のことなど気にせず、どうか他の女性をお誘い下さい。釣書が山ほど来ていること、知っておりましてよ?」

「なんだい? ようやく妬いてくれるようになったのかい?」

「私はそこまで子供ではありません。たまには、お兄様以外の方のエスコートを受けてみたかっただけですわ」


 私の言葉に父がわずかに目を細め、母は口元に手を当てていた。

 兄は、笑みを深くする。


「アンジュ。私以上にお前をうまくエスコートできる者がいるとでも?」

「それは……わかりませんが」


 くっ!

 やはり兄に口では敵わないか!

 だが、実際兄と縁を結びたい女性はかなり多い。

 私は父の執務室で釣書が積まれているのを見ているのだ。

 それにも関わらず、兄にはまだ婚約者がいない。

 恐らく、私が今まで何の疑問も持たずに兄のエスコートを受け続けてきたことにも問題があるのだろう。

 だから、今回こそは回避したいのだが――。


「アンジュ。今から無理なことを言うのは止めなさい。ユリウスがお前のドレスを用意したということは、お前のドレスに合わせてユリウスの服も用意されているということだ」


 父の言葉に、私はうなだれた。

 全くの正論である。

 反論の余地もない。


「これから社交シーズンに入る。王妃の誕生祝賀会以外にも、この先夜会や舞踏会はある。エスコートは、ユリウスに任せることとしている。これまでと変わらずな」


 父の追撃に、私の心は折れそうだ。


「ふふ。また家族四人で一緒に入場しましょうね。楽しみだわ」


 金色の髪を綺麗にまとめ、蒼色の瞳を和らげる母。

 とても20歳の息子がいるとは思えない若々しい容貌だ。

 私はただ、そんな母を眩しく思いながら見つめていた。

 結局、孤児院で働くことを言い出せずに終わったことに気がついたのは、食堂を出た後だった。



続きは明日21時に更新します。

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