第1話 余は、善き王となる
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「勇者よ、余はどこで間違った」
破滅の魔王、クロノアール・ヒポクリットの命は今、最期の時を迎えていた。
玉座の間と呼ばれていた魔王城の最奥は、もはや原型を留めない程に破壊の色が残り、床には壁や天井だった瓦礫が転がっている。
「余は、なぜ死なねばならぬのだ」
その中央、玉座に腰かけるクロノアールは、目の前で佇む青年に問うていた。
若くして数多の戦場で数えきれない程の戦果をあげ、いつしか人類から「勇者」と呼ばれるようになった。
そして遂に、誰一人届きえなかったクロノアールの心臓に聖剣を突き立てた者である。
「多くの者を殺したことが罪であるならば、それは貴様も同じであるはずだ」
魔王として、数多くの敵を屠ってきた。この身体の全てがもはや血で染まりきっている。
勇者も同じだ。多くの魔族を屠り、純白だったはずの甲冑は今や返り血で真っ赤に染まっている。
「なぜ、余なのだ」
だから問うた。
どうせ最期なのだからと、恥も外聞も捨て、問わずにはいられなかった。
答えが返ってくるなどと期待していたわけではない。
死を目前にして、ただ自然と口が動いただけだった。
「君と僕は似ている」
「…………何?」
だから、勇者が言葉をくれた時、喜びよりも戸惑いの方が強かった。
「君は魔王として魔族の頂点に立ち、僕は勇者として人類の最前線に立った。立場が違えば、それぞれの正義だって異なる。だからこそ、この結末はもしかしたら逆だったのかもしれない」
「…………ふざけるな」
しかし、勇者の言葉は到底受け入れられるものではなかった。
似ている部分がある、それは理解できる。
だが、この戦いにおいて、魔王と勇者は何かが確実に違っていた。
何度繰り返したところ覆しようがないと感じられる、決定的な何かが。
「強いて言えば」
クロノアールの憤りを受け取った勇者は、静かに再び言葉を紡ぎ始めた。
「僕が誰かを救い導いている中で、君は恐怖によって臣民を導こうとした」
「…………それが、どうしたというのだ」
「君は臣民を導くことは出来たかもしれないけど、臣民の拠り所にはなれなかった。そして君もまた、彼らを拠り所としなかった」
「…………貴様は違うというのか」
「僕は、誰かの拠り所になりながら戦った。そして僕自身、彼らを頼り、支えてもらいながらここまで来た」
そう言って勇者は、後方を見渡す。
そこには勇者と共に魔王軍を、そして最終決戦では魔王を苦しめた精鋭たちが揃っていた。
「君は、君の正義を貫く中で、もっと善い行いをすべきだったのかもしれない」
「…………そうか」
勇者の言葉はどうしてか胸に空いた穴をすっと埋めるように、自然と呑み込むことが出来た。
その表情にはこれまでにない穏やかさが宿っている。
そんなクロノアールとは対照的に、勇者は少し辛そうに笑った。
「欲を言えば、僕は君も助けたかった」
「…………傲慢な男だ」
「でも、僕は勇者だから。君が魔王である限り、僕は勇者として君を倒さなければならない。もし僕が敗れれば、次世代の勇者が生まれる。これはきっと、そういう戦いなんだ」
「…………余が魔王である限り、か」
いよいよ身体が冷たくなり、意識が遠のき始めた。
思い出すのは、魔王になってからの日々。
破滅の魔王と称されるに至った、破壊や殺戮の日々。
そこには悔いも、後悔も、罪悪感もない。
魔王としてやれるだけのことはやったのだ、と最期に思えた。
「もし君が、立場は違えど僕と同じだったのなら。魔王でありながら魔王じゃなかったのなら。あるいは共に歩む世界がどこかにあったのかな」
そして、破滅の魔王――クロノアール・ヒポクリットの生涯は幕を閉じた。
◇
「む……ここは……」
カーテンから射し込む眩しい朝の光に、クロノアールは目を覚ました。
長い夢から醒めたような気怠さに欠伸を噛み殺しながら、周囲を見渡す。
「ここは……余の部屋か」
目の前にあるのが自分の部屋だと理解するのに、やけに時間がかかった。
毎日目にしているはずなのに、どうしてか妙な懐かしさを感じる。
何かがおかしい、とクロノアールの直感が告げていた。
そこでふと、自室の扉が開いた。
「クロノアール様、お目覚めでしたか」
「うぬは…………」
執事服を身に纏った初老の男が穏やかな表情で朝の挨拶をしてくる。
その顔ははっきりと覚えているはずなのだが、なぜか名前が出てこない。
記憶力はいい自負のあったクロノアールは状況が理解できず困惑していた。
「まだ少しお疲れのようですね。ですが、今日はいよいよ戴冠式ですぞ。皆が新魔王の誕生に胸を輝かせ、クロノアール様のお言葉を今か今かと心待ちにしております」
「む、そうか……戴冠式か………………戴冠……式…………ッ!?」
「ク、クロノアール様!?」
頭に激痛が走り、思わずベッドに蹲る。
「…………うぬは、もしやセバスか……?」
「? はい、幼少の頃よりクロノアール様にお仕えしております、セバスでございますが?」
痛みに耐えながら、記憶を頼りに問いかける。
目の前にある顔と、記憶の中の名前がようやく一致した。
セバス・バスルーク。
数少ない信頼できる忠臣のひとり。
もう何年も前に死んだ、部下の名前である。
「これはいったい、どういうことだ……」
「クロノアール様、お加減は大丈夫ですか?」
「あ、ああ、問題ない。気にするな。……少し、一人にしてくれ」
「承知いたしました」
部屋を出るセバスを見送り、クロノアールは状況を整理し始める。
今日は戴冠式で、自分が新魔王となる日。
それを伝えに来たのは、忠臣セバス。
「……違う。セバスは死んだ。この腕の中で冷たくなる彼奴を確かに覚えている」
魔王になってから少し経った頃、セバスは死んだ。
派閥争いに負けた同族の報復によって殺されたのだ。
しかし、セバスは確かに生きている。
戴冠式も、これから執り行うという。
ベッドから起き上がり、部屋の壁に掛かっている鏡の前に向かう。
そこに映るのは、生涯を共にしてきた自身の姿。
筋骨隆々の肉体に、全身から溢れ出る覇気。
頭に生える猛々しい二本の角は魔族としての畏怖の象徴。
そして、漆黒の髪に爛々と輝く黄金の瞳。
鏡の中の自分と目が合う。
「余は…………既に魔王だった。破滅の魔王として名を馳せ…………勇者に負けて、死んだのだ」
その瞬間、頭の中に膨大な情報が滝のごとく流れ込んでくる。
戴冠式で新たな魔王として威厳を示したこと。
忠心を失い、憤怒が続く限り暴れまわったこと。
魔王として魔族を率いて暴虐の限りを尽くしたこと。
いつしか破滅の魔王と称されるようになったこと。
勇者との戦いで多くの部下を失ったこと。
人類を相手に劣勢を強いられ始めたこと。
最期は孤独に、勇者に討ちとられたこと。
「……そうか…………余は、一度死んだのか」
その事実をようやく理解することが出来た。
どういう原理かは定かではない。
だが、少なくとも一度は終わりを迎えた命が、時を遡り、いま再び生の喜びを感じている。
「余は、死に戻ったのか」
俄かには信じがたいが、目の前で起こっていることを他に説明しようがない。
「余は、また魔王になるのか」
――――君が魔王である限り、僕は勇者として君を倒さなければならない。
「余は、また死ぬのか」
未来を知っているということは大きな強みだ。
もしかしたら勇者を先んじて討つだけなら、そう難しい話ではないのかもしれない。
――――もし僕が敗れれば、次世代の勇者が生まれる。これはきっと、そういう戦いなんだ。
しかし、きっと結末だけは変わらない。
勇者によって魔王が討たれる。
どれだけの敗北を無くそうとも、どれだけの悲劇を躱そうとも、最後はきっと収束する。
そんな確信がクロノアールにはあった。
「クロノアール様、そろそろご準備を」
「……あぁ」
部屋に戻ってきたセバスに促されるまま、戴冠式の準備が始まる。
身に纏うのは先代魔王から引き継がれた漆黒の外套。
おどろおどろしい魔力がゆらゆらと浮かび、嘘か真か、見る者の深層心理へと深く入り込むという。
曰くつきの骨董品だが、着心地だけは以前と変わらず良いものだった。
「……さて、どうしたものか」
戴冠式の準備はできた。
しかし、このまま魔王になれば、先に待つのは勇者によって討たれる未来のみ。
あの苦しみをもう一度味わいたいとは、思えなかった。
とはいえ、既に戴冠式は目前に迫っている。
期待に胸を膨らませる臣民を前に、今更取りやめるなどということは魔王としての矜持が許さない。
「やはり、余のような魔王は、勇者に討たれる宿命なのだろうか」
――――君は、君の正義を貫く中で、もっと善い行いをすべきだったのかもしれない。
「…………そうか。分かった」
頭の中で響いた勇者の声に、一つの決意をした。
そして、魔王城の展望台へと足を踏み入れた。
下も上も、見渡す限りの大群衆。
国中の臣民が城下、上空に総動員している。
雲を裂くような大歓声が響き、空気を揺らしている。
クロノアールは、かつて同じ光景を目の当たりにした時のことを思い出す。
『余に歯向かう者はおるか。おるならば今すぐに申し出よ。余自ら栄誉ある死を与える。余は、全てを滅ぼす大魔王である』
当時は、魔王となったクロノアールの圧倒的な魔力を前にして声をあげられるものなどいなかった。
臣民に魔王としての威厳をしっかり見せつけ、戴冠式としても十分以上のものだった。
しかし、同じ轍は踏まない。
「聞け、臣民たちよ。余は魔王である。皆をどのように導いていくか、まだ決めてはおらぬ」
クロノアールの言に、臣民たちが戸惑いと不安の色を見せる。
後方で控えているセバスを始めとした幹部の者たちですら動揺しているのが分かった。
「それでも決めたことがある」
破滅の魔王、クロノアール・ヒポクリット。
その本質は、悪である。
一度目の生涯で行った大量の破壊や殺戮に対し、何の後悔も罪悪感もない。
故に、これはただの自己保身に過ぎない。
それでも、決意した。
「余は――――善き王となる」
全ては破滅の未来から逃れるために。
「余は、なってみせる」
偽りだらけの、善王に。
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