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アンリ・サラザールが赴任した東部の僻地は、農地にするには河川が近くになく水が不足し、資材とする森もなく、都市をつなぐ交通の要所でもない、平野ではあるので痩せた土地で出来る雑穀を細々と作って生業にしている。

ここが、やる気のある貴族ならば、なにがしかの工夫と努力で特産品を作り出す事もできるかもしれないが、王領である事と痩せた土地と分かり切っている事で、現状には手を付けず、代々の王都から派遣された代官の怠惰な施策に浸るボルガノという名の寒村だった。


アンリは代官というこの地の権力者だったが、中央に返り咲くという気力もなく、この地を豊かにするという希望もなく、事務仕事を適当に片づけて、余暇は言い寄ってくる女達と後腐れなく遊ぶ、そうやって残りの人生を過ごそうと考えていた。


ユディットという名の女性が現れるまでは。


「息子の事で相談があるので代官様にお取次ぎいただけないでしょうか」

小さな役所なので、その声もユディットの姿もアンリにはすぐに気づいた。

これはきっかけ作りで、俺を誘っているのだろう、相談というきっかけで男女の仲になる、いつものパターンだとアンリはユディットの姿を確かめた。

自分よりも少し年上のようだ、身なりは質素だが品はいい、物腰の上品さは貴族の端くれには連なっているのだろう、目元が涼やかなところが元婚約者に似ているなと思うと少し不躾に見てしまった、その視線に気づいてユディットは頭を下げた、相談に乗るのは決まった。


ユディットはボルガノに狭い領地を持つ貴族の娘だ、北部の小さな領地を持つ貴族と結婚し男の子を生んだが夫が事故で他界した。夫には弟がいてユディットの子は家を継げず実家に帰らされた。

このままでは息子は平民になるしかない、しかしユディットは息子が頭が良くこの田舎で平民として終わらせるのは惜しいと考えていた。

家にある少ない蔵書は読めば全て暗記し、一度会った人の顔は忘れない、親の欲目かもしれないが何とか身を立てさせたい

「貴族学院に入学できないかと考えているのです」それが相談だった

「貴族学院はほとんどが王都の高位貴族の子女だが、低位の貴族でも入学資格はある、けれども、学費や住まいが王都にない場合の住居の用意、寮もあるが費用はかかる、金銭的には難しいですね、ただ、成績優秀者への特待制度というのはあったと思う、調べてあげよう」

ユディットは図々しい願い事に恐縮しながらも、息子の為にと切々と訴えた。

その表情から、残念ながら自分を誘う下心がなさそうなので、アンリは代官としての矜持で彼女の頼みを聞いてやる事にした。


アンリが王都の弟に手紙で問い合わせをし、ユディットに説明し、息子のトーマスを面接した。

トーマスは14歳で、母の欲目でなくアンリが話してもその優秀さがわかる少年だった。

しかし、学習する教科書が少ない為に学院に入学するにはさらなる勉強が必要だった。

アンリは弟にまた手紙を書き、古い教科書を送ってもらった。

懐かしい教科書を見ていると学院生活を思い出し、また、弟に勉強をみてやった優しい自分を思い出した。

女達と戯れていた時間をトーマスに勉強を教える時間に変え、アンリは今までになく充実した日々を過ごすようになっていた。

代官が一人の少年の勉強を見てやる、これは依怙贔屓と周りから見られるだろう、他にも自分で教えられる事があれば教えようと役所の中で提案すると、それではと事務官達から手が上がった。

法令をもっと知りたい、複式帳簿とはどうするのか、この地に適する植物がないか調べてみたい、ただ漫然と仕事をしているだけかと思って部下を見ていたが、それは間違っていたようだ、アンリはまた王都に手紙を書いた。


アンリが貴族学院にいた時には、地方の貴族が学院に入学するのは極めて難しかった。

寮はあったがそれなりの寮費がかかる、服を整える、学友と交際するなどの費用もかかる。

しかし、ヨハン・マルティンのような地方の秀才を見出すためには、成績優秀者にしっかりとした奨学金を用意すべきだ。

そんな改革案が王太子宮から出されて、入学試験での優秀者には学費、寮費、そして幾ばくかの交際費が支給される事になっていた、トーマスはもちろんこれを狙って勉強していた。


入学試験の為に王都に向かうトーマスを、アンリはユディットと一緒に見送った。

トーマスに関わりながら、アンリは母親のユディットとも話す機会があった。

そのほとんどはトーマスの事だったが、ユディットの入れてくれた紅茶や、感謝の気持ちの刺繡したハンカチなどが二人の時間を優しいものに変えていた。

入学試験の結果が出るまでトーマスは王都に残り、奨学金対象で入学がきまればそのまま王都で卒業までいることになる。ボルガノから王都までの旅は長く、容易く行き来はできないのだ。

母から長く離れるのは少年には悲しい事だった、けれども、その悲しさを越えねば未来は開けないのだ。






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