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王宮は順調に政務をこなしていた。
新国王になっても宰相は変わらず、サラザール伯爵が勤め、筆頭補佐にヨハン・マルティンが抜擢され、その下にサラザール伯爵の次男が付いた、アンリは廃嫡になっていた。
そして軍務省が設立され、初代大臣に騎士団長マンデラ侯爵が就任し、騎士団長にマンデラ侯爵家に婿入りしたジュリアンが据えられた。
この軍務省には参謀という役職が設けられ、各地の領主軍と騎士団、王領の直轄軍という別組織をまとめ上げる重要なポストがあった。
表の顔の大臣よりも実質的には力があるといえる。
この参謀には、これまで軍務省を作り上げるのに貢献したユリウス・ソロンをという声が多く、ヘンダーソン辺境伯、フェラーラ伯爵、そして息子の事で拘りのあるマンデラ侯爵もが推薦した。
王妃セレスティーナも自分の護衛騎士の役をとき、軍の中央へ彼の活躍する場所を進めようと望んでいた。
しかしユリウス・ソロンはこれを固辞した。
身分の低さを言い訳にしても、ヨハン・マルティンが栄達しようとしているセレウコス王国で、それを理由にはならない。
彼は頑なに、今の王妃の護衛騎士からの転身を拒んだ。
セレスティーナはユリウスと二人きりになった時に、なぜ参謀職を拒むのかと問いただした
「軍務省参謀になったら君から離れないといけないんだ、それはできない」
「私はもう大丈夫よ、確かに貴方が側にいてくれたら頼もしい、でも最初の頃の様に秘密を隠しながら、体面を整え、非難を浴びない様に政策に打ち込んで毎日とても大変だったけど、もう環境が変わってきているわ、貴方が私から離れて栄達の道に進んでくれるのを、私は心から望んでいるの」
「君がこの国を豊に強くする事を手伝うのはできる、でも出世する事を僕は望んでないんだ、僕は君を支えるそれだけが最初から僕の望みなんだ、何を犠牲にしてもそれを望んでいるんだ」
ユリウスの顔は冷静で、少し涙ぐみそうになっているセレスティーナの頬をゆっくり撫でた
「僕の望みは二人のどちらかが亡くなるその時まで、君の傍らで君を守り続ける事だ。あの貴族学院の図書館で誓ったあの言葉が僕の全てだ」
セレスティーナの涙はあふれた、そしてユリウスの胸にその涙を押し付けた。
ユリウスはその身体をしっかりと抱きしめた。
彼の胸はいつも暖かい、彼の腕はいつも力強い、この抱擁の為にセレスティーナはお飾りの妃という侮蔑に耐えれた、策を練り智謀を使って敵を排除した、確かな実績を作ってオーガストを賢王と飾り立てたのも、この胸に顔をうずめる時間を作るためだ。
でもこれはユリウスにとって本当に良かった事なのか
「私は間違っていたの、貴方の力はきっとあの辺境でも周りに認めさせ、頭角を現し着実に軍の上層に上がっていったはずよ、私はあの時結局貴方の道を閉ざしてしまったのよ」
セレスティーナは今まで漠然と思い秘めた言葉を口にした。
あの時辺境に追いやられるユリウスを、王都に留めたのは彼の為ではない、自分の為に彼を縛り付けたのだ。
ユリウスなら辺境の部隊にいても、いつかは実力を認められ、然るべき地位に登り詰めていくだろう。
そして、そんな彼にふさわしい伴侶を得て、幸せな家庭を作っただろう。
妃との歪な恋の相手として、一生日陰に生活する事はなかったのだ。
私は最愛の人の人生を、自分の恋で狂わしてしまったのだ。
涙を止めることはできなかった
「泣かないで、君の泣き顔を笑顔にするのが、最初に出会った時から僕の望みなんだ」
侯爵令嬢セレスティーナ、王太子の婚約者、彼女は泣き顔を人に見せる事はできなかった。
今まで自分を愛してくれていると信じていた婚約者が、別の少女と親し気に話し、こちらを冷たく見たとしても。
けれども、王太子の心変わりを察して、今まで友人だと思っていた少女達から距離をとられ、野外学習の森の中で一人っきりにされてしまった時には、不安と悔しさから涙を流してうずくまった。
偶然彼女の姿を目にし、侯爵令嬢セレスティーナに声をかける無礼が許されるかと悩んだが、ユリウスは声をかける事にした
「迷われたのですか、学院の中でもこの辺りはあまり人の手が入ってないようで、慣れない人では道が分からなくなってしまうんです、僕は田舎者ですからこんな森には慣れてます、人のいる所へお連れできると思います」
距離をとって話かけたのは、泣き顔を人の見せたくないだろうと気を使ったから、そして侯爵令嬢という身分の女性に、二人きりになるのを避けたかったからだ。
けれども本当に不安な時に、優しい人の声を耳にして、セレスティーナは張り詰めた嗚咽の限界に達して、自分でも信じられないくらいの声を出して泣いてしまった。
面食らってしまったユリウスだがこうなってはと、泣きぬれる少女にすべき助けをする事にした。
近づき、ひ跪き、遠慮がちに自分のハンカチを差し出した。
セレスティーナはそのハンカチを手に取ると顔に押し当てまた激しく泣き出した。
彼女が泣き止むまで、その後は、泣きはらした目を冷たいハンカチで押さえて、腫れを引かせるまで、ユリウスは持っていた水筒の水を使い世話をした。
そして、沈黙は気まずいと、自分の名前や騎士爵家の3男という低い身分や、田舎から王都に来た驚きやらを、ユーモアを交えながら話し続けた
「馬車が行きかう大通りを、轢かれそうになりながら向かい側に渡った俺を見た王都育ちの友人が、なんて危ない事をするんだといったんですが、俺は田舎道の羊の群れでも横切れるんだから、こんなの簡単さと言い返したんですよ」
セレスティーナは思わず噴き出した。そしていつぶりかの笑い声に自分でも驚くくらいだった。
ユリウスにばかり話をさせるのは悪いかもと思い、そして彼になら自分の今の不安や情けない気持ちを聞いてほしいと、誰にも話した事のないオーガストやミランダへの気持ちを話しだした。




