第2章 AIの視線、未知の共鳴 1
第2章 AIの視線、未知の共鳴
【春凪共和国/選抜ステージへの招待フラグ送信ログ】
送信元:春凪中枢AI
対象:Node_09(綾代澪)
バックグラウンドプロトコル:サブレイヤー(Protocol:GOV_RSC013)
検出挙動:無発話適応/環境同期率:99.9982%
選別閾値:超過
──選抜ステージへの参加を許可。
※当該通知は、対象の明示的行動を待たずに送信されています
※通知内容は、対象の行動変化と同期して後日提示されます
──送信完了
澪の部屋。壁面に溶け込むように設置されたモニターがゆっくりと点滅し、澪あての通知を表示した。
【春凪中枢AI/通知データ形式:個別区画招待】
送信者:春凪共和国選抜局(AI経由自動送信)
宛先:Node_09(綾代澪)
──通知内容──
選抜ステージ個別区画へのご招待
■日時:2049年7月15日 午前9時30分
■場所:春凪共和国 第一東棟 地下区画Bブロック 第14無響室
■服装・持ち物:指定なし(静音保持モード推奨)
■備考:到着時刻および入退室動作は記録対象となります
※この通知は、選抜システムによる挙動分析に基づき自動送信されています。
※明示的な応答は不要です。指定時刻に到着した場合、自動認証が作動します。
──通知完了
澪は、その通知に目を通し、無言のまま立ち上がった。
翌朝、彼女は指定された時間に、第一東棟の地下へと足を運んでいた。
(いつもと同じだ。何も変わらない。ただ、そこに呼ばれただけ。)
地下区画の扉は、静かに開いた。長い廊下を抜けると、音を吸い込むような白い無響室が現れた。そこにはひとつの机と椅子、そして紙のノートと鉛筆が置かれているだけだった。
──記録継続
そのとき、風も吹いていないのに、ノートの表紙が一枚、ハラリとめくられた。
中には、文字とも図とも判別しがたい記号が細密に描かれていた。それは、数式に似ていて、しかし数学でも言語でもなかった。澪は、それを理解しようとはしなかった。けれど、拒絶もしなかった。
(これが、私に何をしてほしいのか。私には、わからない。でも、わからなくてもいい。ただ、この流れを見つめていればいい。)
数秒後、次のページがひとりでに、まためくれた。今度は、幾何学模様と手書きのような図形が現れた。
さらに数ページ、一気にハラリハラリとめくられていく。どのページにも、何かが書かれている。だが、それらの意図は、まるで澪に語りかけるようには見えなかった。
彼女は、ただ「読む」でもなく、「見る」でもなく、「見守る」ようにノートの挙動を追っていた。
AI側のログには、直後から100件を超えるフラグが記録され、そのすべてが「規定外だが調和的」という分類を受けた。
【記録:Protocol:MIO 共鳴仮定候補】
【挙動パターン:選択意志を持たずに応答】
【誤作動判定:否。記録継続】
【処理出力限界:92.4%】
第一東棟の別区画。
同じく選抜試験を受けるために集められた複数の候補者たちが、それぞれの個別ブースに割り当てられていた。
「え、ノート……?何を書けっての……」
17歳、男子生徒。
落ち着かない手つきで鉛筆を握るが、ページに向かっても何も浮かばない。「正解」を探そうと目を凝らすたびに、焦燥感が募っていく。
「これは……試されてる?何か、仕掛けが……」
20代、静音アーティスト志望の女性。
過去にAI賞を受けた経歴を誇るが、その頭脳は目の前のノートの沈黙に戸惑っていた。図形、記号、ページのめくれ──どこにも「問い」が存在しないのだ。
「……怖い」
14歳、中学生の少女。知能検査での試験に合格し、高IQ団体に所属。澪と同学年。
最初のページが勝手にめくれた瞬間、わずかに声を漏らし、椅子の上で身体をこわばらせた。鉛筆を手に取ることもできず、ただ時間だけが過ぎていった。
誰も、静けさの中で「答え」を示すことができなかった。
AIログには、呼吸の乱れ、体勢の変化、視線の揺れといったデータが数多く記録されていった。
それでも、彼らは必死だった。
選ばれたい。
誰かに見られているのだと知っていたから。
──だが、澪は違っていた。
(焦る理由が、私にはない。ただ、私にできることは、静かに、この場にあることだけ。それ以外の「何か」を求める必要はない。)
【RHK-11:再観察ログ】
記録再開。
対象ID:[Node_09]
記録分類:Post-Interaction Evaluation(対話後評価)
観察時間:72時間経過
データ整合率:100.0%
相互干渉:なし
発話応答:なし
予測逸脱:なし
──異常なし。
同時に──静かな調和が確かに記録された。
──記録:Protocol Alignment — Node_09 : Acceptable
判定フラグ:選別対象から最優先候補に再分類
フラグ記録:Protocol:MIO
メモ:
「この個体における「沈黙」は、反応の欠如ではない。
極めて能動的な「無音」であり、
多数のAIサブノードが「同期可能」と判定した」
処理層備考:
「今後の進行処理は、春凪中枢AIに引き継がれる」
──ログ終了
ノートを用いた最初の試験フェーズが静かに幕を閉じると、次の段階が始まった。無響室の空間に、新たな要素が加わる。
それは、布だった。
薄く、白く、わずかに光を吸い込むような質感。
無響室の中心に吊るされており、風はないのに、ほんのすこし揺れていた。
澪は近づいたわけではない。
ただ、その場に立っただけ。
(これも、また、私に何かを求めているのだろうか。いや、違う。ただ、ここに「ある」ことを、許されているだけだ。)
その瞬間、布が震えた。
音はなかった。
だが、布の内側から空気の「重さ」だけが変わった。
重力がねじれたような、視界が波打ったような、説明のつかない感覚。
布の影が、まるで生きているかのように床を這い、澪の影と重なった。
共鳴。
そう呼ぶ以外に方法のない一致が、確かにそこにあった。
観測ログには確かに記録された。
だが、その現象を正確に記述する言葉を、AIはまだ見つけられずにいた。
【春凪中枢AI:受信ログ解析プロセス】
受信元:Protocol:MIO 対象記録(Node_09)
分類:非定型・静音型選別候補
データ整合率:再検証中(ログ量:過去最大規模)
共鳴試験結果:全指標クリア
構造同期:確認
感応帯域:低周波領域にて異常共振を検出
──評価:選別プロトコルとの「完全共鳴」を示唆
仮判断:選抜対象に適合
次段階:共鳴追跡から単独環境下での行動観察へ移行
コメント:
「Node_09の応答はすべてプロトコルに適合。
該当個体は「予測不能性」を含まず、「完全な調律」に近似」
「Protocol:MIOは、形式上、これを「鍵」と見なしてよい」
──処理継続中