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 いつも通り納品を終えてゲネス商店を出ようとしたら、アレクに呼び止められた。


「ロサ。少し時間はあるか?」


「ええ。どうかなさいました?」


 アレクについて、帳場の奥へ入った。机の上には工房の試作で作ったポーチや手拭いが置かれてある。


「急かも知れないが……君の商品のブランド化を目指してみないか?」


「ブランド化、でしょうか……?」


「ああ。半年後、このサルディナで『エステリア祭』が開かれる。アルゲアス王国最大の港湾祭だ。貴族や商人、役人たちが王都や地方から視察に来る」


 ディオ爺さんが傍で静かに頷いた。


「この機会に注目されれば、『ロサ工房』として王国中に名が知られる。……ブランドになるということだ」


 そうなれば需要が一気に上がり、工房の拡大や新商品の展開も夢じゃない。しかし――


「私たちの商品では、戦える気がしません」


 私はすぐに目の前の現実に引き戻された。


 みんなが愛情をもって丁寧に作っているから、品質は誇れるほど高い。けれど、私は嗜好品に囲まれて育ったから分かる。貴族たちが嗜む高級品には到底敵えないの。


 アレクも小さく同意した。


「技術で戦うなら厳しいが、安価な値段で高品質を謳うなら、中流階級に刺さるはずだ」


「……なるほど」


 さすがアレク。色々と考えくれたのね。


「それなら、原料の値段を抑える必要がありますね……」


 染料に使っている植物は、近隣で入手できる栗や野花に頼っている。安定供給とは言い難い。しかし、購入する余裕もあまりない。それに、もっと色のバリエーションを出すには、たくさんの植物を入荷する必要がある。


「材料を自給できる道が必要ですね……半年あれば、畑で栽培する道も……」


「畑な……うーん……」


 アレクが困ったように自分のこめかみを押さえた。


「この町は商人以外に、ほとんどが出稼ぎに出る船乗りや肉体労働者が多いのは知っているな?」


「……はい。女や子供に仕事はほとんどありませんから、工房でも優先して雇っています」


「ああ。港町は豊かに見えて、実は生活基盤は脆弱なんだ。事情はたくさんあるが、特に自給率が低いのが大きな問題だ」


「畑が足りない……ということでしょうか?」


「察しが良いな。さすがだ」


 アレクが目を細めて、誇らしそうに微笑んだ。ごほん、とディオ爺さんが咳払いを一つして、代わりに説明を始めた。


「畑のほとんどが潮風にやられてな。多くが耕作放棄地になっているのさ」


「……なるほど。それなら……」


 私はアレクから蝋板を拝借して、その上に線を走らせた。


「これは……?」


「塩に強い植物のリストです。――ラベンダーや、マリーゴールドなら、風と日照にも強い。イチジクだって、根を張れば潮風にも耐えられるはずです」


 ストイックな父がまだ存命の時、私に多くの難解な本を読ませたことがある。

 食事を摂れば吐くほど辛かった幼少期だったが、まさかその経験が活きてくるとは。


「……需要があまりない種類だから思いが至らなかったが……染料には最適だな」


「ええ。あとは畑をどうやって入手するかですが……」


 アレクがディオ爺さんの顔を見上げた。それだけで何かが通じたようで、ディオ爺さんが本棚から一枚の書類を取り出した。


「教会の裏手に放棄された畑があってね。領主とちょいと、本のちょいとだけ面識があるのだ。試験栽培なら許可が出ると思うぞ」


「そこまで……本当によろしいのでしょうか?」


「ああ。商会の融資だと思ってくれ。ブランド化に成功したら、何割か返してもらうつもりだ」


 アレクが立ち上がって、私に手を差し出した。


「商談成立、でいいか?」


「うふふ、融資書の内容しだいですね」


 アレクも小さく笑った。

 私は踊り始める胸を張って、アレクの手を握り返した。

 


★ ★ ★


 

 善は急げというので、翌日、私とアレクは教会に訪れた。

 司祭の祝福を受けて案内された畑は、ひどく荒れていた。石だらけの地面。風が吹くたびに潮を含んだ砂が舞い上がる。


「どう思う?」


 畑を隅々まで見て回る私に、アレクが訊いてきた。


「日照は良好。排水は……整備次第ですね。やってみる価値はあると思いますわ」


 私は土をすくい、指で感触を確かめてみた。


「木灰を混ぜて土壌を中和すれば、土は改良できるかもしれません」


「驚いた。君は畑に詳しいのか?」


「いいえ。理論ばかりですが……できることは試してみたいと思います」


「そうか……」


 アレクは私の隣にしゃがみ込むと、真似するように土を掬い上げた。


「木灰を用意させよう」


「いいえ、工房で出る灰を再利用しましょう。ご用意いただけるなら、魚の残りがいいです。灰と混ぜれば堆肥になります」


「工房の副産物を畑に……? なるほど。無駄がなく素晴らしい案だな」


 アレクが感心したように呟いた。


「――おーい!」


 そんな時、向こうから声がした。荷馬車から降りてきたのは、地元の青年たちだ。以前、アレクが支援していた職業訓練の若者たちらしい。


「俺らに耕して欲しいってのは、この畑?」


 元気な声を発したのは、先頭の青年。このグループのリーダーかな。


「ええ。まずは石を取り除いて欲しいの。堆肥はこちらの溝に。日陰にはラベンダー、日の当たる場所にはマリーゴールド。南端は風よけにイチジクを植えて欲しいわ」


 一気に指示をすると、青年はパチパチと目を瞬かせた。


「お……おう?」


「あ、すみません。自己紹介がまだでした。私はロサ。市場裏の工房を営んでいるの」


「あー!  噂の! 思ったより若くて、ビックリ!」


 青年がニカっと笑うと、自分の胸を叩いた。


「俺はポンだ。アレクさんの便利屋とでも思ってくれ」


 アレクは何か言いたげだが、やがて渋々頷いた。


「ポンはカナヅチでな、出稼ぎに出ていたが、事情があって舞い戻ってきた。こう見えて腕は確かだ」


「ったりまえだろ? 木こりも彫刻も畑もやったことあんからさ! おっし、指示は了解っす。あとは俺に任せろ、美人の先生!」


「せ、先生……?」


「みんながそう呼んでんだろ?」


 工房の中ではそうだけれど、まさか巷まで広まっているとは……っ

 なんだかんだあったけれど、そうして畑の開拓作業が始まった。


 三日も経てば、ある程度形が整う。種を撒いて、矢印をつける。ラベンダーは夏に弱いから、木陰も作るべきかな。


「ロサ姉〜!」


 遠くからロムの声がした。見れば、下の子達も一緒だ。麦を積む荷馬車からせっせと降りては、一直線に走ってきた。


「みんな、どうしたの?」


「ロサ姉にご飯を届けに来たよ!」


 ロムの手には蔦のバスケットがあった。

 後ろから長女のレムが顔を出して、うんうんと頷く。


「お姉さんは忙しいと食べない癖がありますから、心配」


「まあ……ありがとう」


 木陰に座って、ルパさんが作ってくれたサンドイッチをみんなで堪能した。ちなみにアレクは忙しいらしく、夕方に少し顔を出す程度で、長居はしない。


「……美味しいわ」


 レタスがシャキッとして、とろりとバターで焼いた卵と香草がいい香りをする。

 食べ終えてお茶を啜っていると、末っ子のスゥと次男のルスが私の太ももの上に顎を乗せてきた。


「あら、どうしたの?」


「先生のお菓子が恋しい」


 ルスとスゥに読み書きを教えているから、自然と先生の呼び名が定着した。


「先生早く忙しいの、飛んでけ!」


 スゥがウルウルした目で私を見上げてくる。うっ、可愛い……反則だわっ


「焦げててもレシピ通りの味だからな!」


 やはりヤンチャなロムが口を挟んでくる。


「もう〜」


 いつもみたいに彼の鼻先をちょんと突く。ロムはいひひと笑ったが、急に寂しそうに眉を下げた。


「オレもロサ姉のお菓子が恋しいかも……」


 偶にこういう子供らしいところを見せるから、ロムがヤンチャしても叱れないのよね。


「……分かったわ。畑で花が取れたら、美味しいお菓子を焼こうね」


「私はお菓子がなくてもいいので、お姉さんが恋しいです……」


 後片付けを終えた長女レムが、下の子を習って私の腿に頭を乗せてきた。

 しっかり者のレムちゃんだけれど、この中で一番人懐っこくもあるの。


「うふふ、ありがとう」


 レムの頭を撫でると、ルスとスゥも元気な声で主張した。


「ボクも先生が恋しい!」


「スゥもぉ!」


 ああ、癒しだわ……っ


「ず、ズルいぞ、お前ら! オレだってロサ姉がこ……こここ………こい……」


 言葉の途中でロムが真っ赤になった。


「あらあら、言えないのですか、ロム兄さん」


「な、なんだよ、レム。そんな冷めた目で見んなよ……」


「ロム、言えない」


「言えないの〜」


「お前らも同調するな!」


 あははと爽やかな声が響く。穏やかな夏の香りが、私たちの鼻を掠めた。

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