王子が好みじゃなさすぎる
あれからどれくらい経ったのだろう。
何年? 何十年? もしかしたら百年越え?
とにかくとても長い長い間、私は眠りについていた。
「――では、おやすみなさい……――――」
これは眠りにつく前に聞いた、最後の言葉。
私に呪いをかけた魔法使いが言った言葉だ。
馬鹿にしたような、恨みがましいような、憎たらしいような顔をしながら。
そう、私は魔法使いに呪いをかけられて、深い森の中の城で眠り続けていた。
けれど呪いを解く方法は簡単だ。
古今東西にあるお伽話のように、運命の王子様によって私は目を覚ます。
そして今日――長い長い間眠り続けて長かったけれど、ようやく誰かが私を見つけてくれた。
てのひらを通して伝わってくる温かい体温を感じながら、私は目を覚ました。
そして手を握り返しながら、ゆっくりと目を開く。
「ああ姫、お目覚めになられたのですね……――!」
目の前にいたのは、見た目からするとおそらく大国の王子様。
立派な衣装をまとっているし、宝飾品もたくさん身につけている。それに付き人の数も多い。
王子は私の背中に手をまわし、起き上がるのを支えてくれた。がっしりとした腕で、とても力強い。
「言い伝え通り……なんて美しい姫君だ」
そしてにこりと、白い歯を見せながら微笑んだ。
その白は、健康的に焼けた肌と比べてやけに目立つ。
――……どうしよう。
この王子、全然私の好みじゃない。
「では姫、さっそくですが――……」
王子は私が何か言う前に、私の身体を軽々と抱きかかえた。
「こんなところで愛を語り合うのも何ですから、早く私の城へ参りましょう。姫は長い間眠っていたのです、身体も思うように動かないことでしょう……下に用意している馬車までこのままお運びいたします。なあに、ご安心ください。腕力には自信がありますから」
ははは、と明るく笑いながら、また白い歯を除かせる。
私を抱える腕の筋肉はたくましく、たしかに腕力には自信がありそうだ。
でも、そういうところも好みじゃない。
筋肉質な体格よりも、線の細い人のが良い。
健康的な肌よりも、不健康なくらいの白さが良い。
だってそのほうが王子様らしいから。
それに歯を見せて笑う快活さも、寝起きにはちょっと暑苦しい。
出会ってすぐに愛だのなんだの言われるのもちょっと。
いきなり抱きかかえるのも少し引いてしまったし、私のためというよりも筋肉を自慢したいのではと感じてしまう。
「……姫、ご気分が優れないのですか?」
起きてから無言の私に、王子は心配そうに問いかける。
「あ……いいえ、違うんですの。目覚めたばかりで少し混乱しておりまして……お礼が遅くなってしまいました。助けていただき、どうもありがとう」
「ははは、とんでもない。姫は声も可愛らしいのですね」
王子はまた快活に笑った。
私の好みではないけれど……でも、王子はきっと、良い人ではある。
見立て通り王子の国はなかなかに大きく、お城も立派な作りだった。
「さあ、ここが姫のお部屋です」
案内されたお部屋には、調度品どころかドレスやアクセサリーもそろっている。
「お疲れでしょうから、今日はゆっくりお休みください。何かあれば、メイドに申し付けを」
「何から何まで、どうもありがとう」
王子は意外にも紳士だった。お城に着いたらもっとぐいぐい来るかと思ったけれど。
メイドたちが、てきぱきと私の着替えを手伝ってくれる。
なんだか少し対応が冷たい気がするけれど、まあそれも仕方がないか。メイドたちからすれば、主人が突然連れてきた見知らぬ姫なのだから。
その日から、私たちは一緒に暮らし始めた。
一緒の時間を過ごしてみると、王子はやはり悪い人ではなさそうだった。
「姫、しばらくは不安でしょうがご安心ください。この城の警備は固めてあります。魔法使いが現れても、きっとあなたをお守りしますから」
そう言いながら、ぐいっと腕に力こぶを作る。
正直に言えば、力こぶに魅力は感じない。まあでもたしかに、このくらいの力自慢のほうが私を守りきってくれるのかもしれない。
魔法使いより強い人でなくてはいけないのだから。
ある時は、狩りで得た獲物を見せてくれた。
「どうです? この大きな角! もし魔法使いがやってきても、私にとっては良い的ですよ」
王子は銃を構えて打つ真似をする。
私は狩りにも興味がないけれど……魔法使いにも銃は効くのだろうか。
そしてある時は、馬で遠乗りに連れていってくれた。
「私の愛馬は速いでしょう! もし魔法使いがあなたをさらったとしても、この愛馬ですぐに追いついてみせますよ」
たしかにこの馬は速いけれど、空を飛ぶ魔法使いに敵うのだろうか。
馬上の激しい揺れで気分が悪くなりながらも、私は王子に愛想笑いをした。
それにしてもこの王子、魔法使いの話ばかりしている気がする。
王子の城へやってきてからというもの、少し退屈だけれども平穏な日々が過ぎていった。
今日は舞踏会が催されるそうで、そんな退屈も紛れそう。
私は今日着ていくドレスを選ぼうと、部屋のドレッサーを開けた。
けれどそこにあったのは、見事に切り刻まれたドレスの残骸。無事なドレスもあるけれど、私好みのドレスはどれもズタズタだ。
「………………」
ひとまずドレッサーを閉じて考えてみる。
誰がこんなことをしたのだろう。
心当たりといえば、いまだに私に冷たいメイドたち。そこまで嫌われるようなことをした覚えはないのだけど……。
さすがの私もこれにはこたえて、バルコニーへ出て風に当たる。
部屋のバルコニーからはこの国が一望できた。広くて肥沃な土地だ。
でもこの広い国の中で、私のことを知っている人は誰もいない。
「……どうかなさったのですか? まだ着替えも済んでいないようだ」
いつのまにか、私の隣には王子が立っていた。
「少しだけ……寂しくなってしまって。私、起きてから知り合いも誰もいないし……」
「そうか、姫は長い眠りについていたからご家族も友人もすでに……――姫に寄り添うことができておらず、申し訳ない」
まあ家族とは元々不仲だったし、友人もいなかったのだけれど。でもだからこそ、愛し愛される恋人が欲しかった。私のことを大切にしてくれる、王子様と出会いたかったのだ。
そんな昔のことを思い出しかけた時、王子はたくましい腕で私を抱き寄せた。
「――姫、ご安心ください。私がいますから。姫は一人ではありません」
「王子……――」
好みではない筋肉質な腕とがっしりした体つきが、なんだかかっこよく思えてしまう。
王子は私の顔を見つめ、白くきれいな歯を見せながら爽やかに笑いかけてくれた。
やっぱりこの人こそ私の王子様なのかも……――と、思いかけた時。
「――……そうだ!」
王子は急に、がばっと私を腕から離した。
「今日の舞踏会には、私の妻も来る予定なんです。姫の良き話し相手になるかと!」
「…………つ、ま……――?」
思いがけない言葉が王子の口から飛び出して、頭が回らなくなる。
「ええ。今は少し離れた領地にある城に住んでいるんですけどね、今日は舞踏会には来るはずだ。そうそう、この姫の部屋も元は妻の部屋だったんですよ」
「…………え?」
「私が姫を眠りから覚ますにあたって、城を移動してもらったのです。この城のほうが守りを固めやすいですからね」
王子はまた、はははと爽やかに笑う。
「久しぶりに妻に会えると、メイドたちもさっき喜んでいたっけ。姫についているメイドたちから話を聞いていませんか? みな元々妻付きのメイドたちなんですよ」
ちょっと待って。
妻がいるということは、私は妾?
妻を追い出して妾の私をこの城に迎えた?
さらに妻の部屋を私にあてがった?
さらにさらに、仕えていたメイドたちを私付きにしたと?
なんという無神経――――。
そりゃあ、私はメイドたちに嫌われるわけだ。
王子の妻はできる人なのだろう。メイドたちはよく仕込まれているし、きっと主従関係も良好だったはず。
先ほどのドレスも思い返せば、切り刻まれていたのは私がここに来てからプレゼントされたものばかりだった。
無事なドレスはみな、元からドレッサーにあったもの。おそらく王子の正妻の持ち物だ。
「……――というわけですから、今日の舞踏会に魔法使いがやってきても、返り討ちにしてみせますよ。ご安心を」
衝撃を受けている私をよそに、王子は爽やかにまた魔法使いの話をしていた。
「はあ……」
舞踏会には出たくない。どんな顔をして正妻と会えばいいというのだろう。
私は結局着替えもせずに、城の裏庭でやさぐれていた。
すると裏の焼却炉のほうから、使用人たちの話し声が聞こえてきた。私には気がついていないようだ。
「今日あたりには現れるかねえ、魔法使い」
「そろそろ来てくれなくちゃ困るよ。王子も待ちくたびれたんじゃないか?」
どういうことだろう。
「お姫さんも可哀想に。気丈に振る舞ってはいるけど、何度も魔法使いに狙われてるんだろう? 王子ももっと構って差し上げればいいものを」
「王子は今、魔法使いと戦うことしか頭にないんだもの……」
「自分の腕がどこまで魔法使いに通じるか試したい、なんてね。そりゃあ志は立派だけど、奥様もお姫さんも気の毒だよ」
「悪い人ではないんだけどね……。でも今日は久しぶりに奥様に会えるわね、楽しみだわ」
……なるほど、そういうことだったの。
私を眠りから覚ましてくれたのは、魔法使いと戦いたいがためだったのね。
私に手を出さなかったのは、私に興味なんてなかったから。
私に優しくしてこの城に住まわせてくれたのは、魔法使いを呼び寄せるため。
私は王子が好みじゃなかったけれど、王子だって私が好みじゃなかったのだ。
「はあ……」
続々と発覚する事実に、大きなため息が漏れ出る。
でも、へこんでばかりもいられない。
このまま私がここに居座っては、王子の正妻に申し訳がなさすぎる。
「……よし!」
改めて気を取り直し、私はこっそり王子の城を出た。きっと魔法使いの仕業だと思ってくれることだろう。
お世話になった感謝だけ、急いで走り書きを残しておいた。
さて――――長らく眠っていた私が、向かえる場所は一つしかない。
「――久しぶりね、魔法使い」
「……ああ、姫さま。今回も理想の王子様じゃなかったんですか?」
魔法使いは馬鹿にしたような顔で私を見る。
「今度の王子様は何が気に入らなかったんです?」
「……何がって言われると難しいわ。悪い人ではないんだけど、見た目も好みじゃなかったし無神経なところも嫌だったし……というかそもそも、正妻がいたのよ。私、妾なんて嫌だわ! お互いを一番に思い合って愛し合える、そんな王子様じゃなくちゃ嫌なの!」
魔法使いに呪いをかけてもらったのは、今回で何回目になるだろう。
悪い魔法使いに呪いをかけられて眠り続けるお姫様を助け出す、そんな理想的な場面で理想的な王子様に出会うために。
「でも今回理想の王子様じゃなかったのは、あなたにも責任があるのよ?」
話を聞いているんだか聞いていないんだかわからない魔法使いに、私はことの顛末を話した。
魔法使いは話を聞くと、さもおかしそうに笑い出す。
「なるほど、あの王子の考えそうなことだ!」
「なに笑ってるのよ! そもそもあなた、王子のことを知っていたの? ああいう感じの王子は私の好みじゃないって、知ってるくせに!」
「いやだって前回、もっと強そうな王子様がいいって言ってたじゃないですか。だから今回は姫の眠る森に魔物を放ったりして、武力に優れた王子じゃないと辿り着けないようにしたんですよ」
「だって前回の時の王子は、ちょっと理屈っぽすぎたんだもの。顔は好みだったんだけど、頭でしかものを考えていないというか……」
「それだって前々回の時にもう少し頭が良い王子がいいって、姫が言ったんですよ。だから謎解きを仕掛けて、頭の回る王子じゃないと辿り着けないようにしたのに」
「だって前々々回の時の王子が、ちょっとお馬鹿すぎたんだもの! 優しくはあったんだけど、頼りなかったっていうか……」
何回呪いをかけてもらっても、なかなか理想の王子様には出会えない。私の、私だけの王子様――いったいどこにいるのだろう。
「ねえ、だからお願い。もう一度、私に呪いをかけて欲しいの」
「はあ……本当に、仕方がないですね」
魔法使いは面倒そうではありながら、呪いをかける準備をしてくれる。
「ありがとう、あなたって本当に頼りになるわ! でも、頼りがいがありすぎるのも問題なのよね……私の理想の王子様は、私の周りの誰よりも強くて賢くて優しくて、私の好みであって欲しいの。だからあなたが比較対象になっちゃうと、どうしても理想が高くなっちゃうのよね」
「はあ、そうですか」
魔法使いは私に背を向けたまま、何やらぶつぶつ呪文を唱えている。
「はい、準備できましたよ。姫のご準備もよろしいですか?」
「ええ! 今まで通り、目を覚ますきっかけは手を握るだけにしてね。好みじゃない人にキスなんてされたくないもの」
「もちろん、わかってますよ。では、いきますからね」
「次は私のことだけを愛してくれる、理想の王子様に出会えますように――……あ、ちょっと待って! そういえば、あなたに銃って効くの?」
「銃? まさか。姫が眠っている間に、私はまた強くなったんですよ。銃だろうが何だろうが、人間に私を倒すことなんて出来ません」
「そうよね、良かった! もしあの王子に倒されちゃったらと思って、心配になっちゃった」
「それは……ご心配ありがとうございます。では、良い夢を。おやすみなさい……―――――」
眠りにつく前に見た魔法使いの顔は、なんだかいつもと違って見えた。いつもは馬鹿にしたような、恨みがましいような、憎たらしいような顔をしているけれど、今回はどことなく嬉しそうだ。
なんだかとても良い夢が見られそう。
「さて、次はどこにしようか…….――」
地図を開いて、次に姫が眠りにつく場所を考える。
今回は東の国にして正解だった。最近西の国には評判の良い王子がいるから、万が一姫のお気に召していたらと思うと……。
すやすやと眠る姫の顔は、とても気持ちが良さそうだ。どんな夢を見ていることやら。
姫と出会ったのは、もうどれくらい前のことだろう。
少し調子に乗って暴れすぎ、王に捕らえられていた時のことだった。処刑を待つばかりだった自分の命を救ってくれたのが、この可愛らしい姫だったのだ。
姫は父である王の目を盗み、自分を牢から逃してくれた。その代わりに理想の王子様に出会わせてくれ、と。
姫の理想は、眠りから覚めるたびに高くなった。
誰よりも強くて賢くて優しくて、そのうえで好みの顔であること。
姫が眠りに落ちる度に、姫の理想に近づけるように修練してきたが――今回はその必要がなさそうだ。
姫だけを愛すること、その点において修練は不要である。
次こそは、この手で姫を目覚めさせよう。