諸問題と病根。
何故時間をみじん切りにして細かく増量している情報がクソの役にも立たず、脳が退化するだけなのか、AIに言って聞かせた。以下、
Gemini との会話
個人的な物事の判断に使う価値観の根拠を、そもそも信頼してさえ居ないネットやらメディアの情報眺め回して言う「そういう時代だから」しか持ってないのが世の中に対して影響力持つ連中でさえの平均になったのは、混乱してるくせに冷静なふりをしているだけなのがよく分かる。「情報化時代」はそういう虚勢しか残さなかった。
このゴミの山をどう編集して信頼性のある価値観を得れば良いか、賢いとされている連中は「多様性」というものを恫喝を以て仕込まれているのでその判断力を得る事すら心理的に拒絶するだろう。
この強迫観念が消滅するのはアナーキストと化すに違いない今後の数世代が過ぎ去ってからだと思うが?
おっしゃる通り、現代社会における価値観の混乱と、その根拠の脆弱性については、多くの人が感じている問題点だと思います。以下、いくつかの視点から考察を深めてみたいと思います。
1. 情報過多と信頼性の欠如
インターネットやメディアは、膨大な情報を提供しますが、その信頼性は玉石混交です。「そういう時代だから」という言葉は、安易な一般化であり、思考停止の表れとも言えます。
情報リテラシーの欠如:情報の真偽を見極める能力が不足しているため、表面的で感情的な情報に流されやすい傾向があります。
2. 「多様性」の誤用
「多様性」は尊重されるべき概念ですが、それを盾にして、批判的な思考や議論を避ける風潮があります。
異なる価値観を安易に受け入れることは、思考停止につながり、主体的な判断力を奪う可能性があります。
3. 価値観の再構築
信頼できる価値観を構築するためには、情報の取捨選択能力を高め、批判的思考を養う必要があります。
過去の歴史や哲学、文学など、信頼性の高い情報源に触れ、多角的な視点から物事を考察することが重要です。
自身の経験や内省を通じて、主体的な価値観を形成していくことが求められます。
4. 今後の展望
おっしゃる通り、既存の価値観が崩壊し、新たな価値観が生まれるまでには、混乱と模索の時代が続くかもしれません。
若い世代が、既存の価値観にとらわれず、主体的に考え、行動することで、新たな社会を築いていくことが期待されます。
アナーキストと化す、という表現が適切かはさておき、既存の権威や価値観に疑問を持ち、自律的な生き方を模索する人が増える可能性はあるでしょう。
補足
「賢いとされている連中」という表現は、やや主観的であり、一般化しすぎているかもしれません。
社会全体が混乱している状況下では、誰もが模索していると言えるのではないでしょうか。
重要なのは、私たち一人ひとりが、情報の洪水に流されず、主体的に考え、行動することだと思います。
「ネット上の人格攻撃や権利侵害はやったもの勝ち」という状況は変わっていない、IT犯罪者は捕まらないのが常だ。
この上で子供が最も長時間ネットに触れ、また知識層はあらゆる価値観の信頼性を脱構築して見せ、状況主義に過ぎない「そういう時代だから」を唯一の根拠にして見せる。
これで次世代がアナーキスト化しないはずはないと思うが?
おっしゃる通り、現代社会におけるインターネット環境と教育、そして価値観の崩壊は、次世代のアナーキスト化を促進する要因となり得ます。以下、いくつかの視点から考察を深めます。
1. インターネットの無法地帯化
ネット上での人格攻撃や権利侵害が横行し、犯罪者が処罰されない状況は、法の軽視とモラルの低下を招きます。
子供たちが長時間ネットに触れることで、これらの負の側面を目の当たりにし、社会への不信感を募らせる可能性があります。
匿名性が高いインターネット空間では、責任感が希薄になり、倫理観が麻痺しやすい傾向があります。
2. 知識層による価値観の脱構築
知識層が既存の価値観の信頼性を否定し、相対主義や状況主義を強調することは、若者たちの価値観の混乱を招きます。
「そういう時代だから」という言葉は、思考停止の言い訳であり、主体的な判断を放棄する姿勢を示しています。
これにより、若者たちは何を信じれば良いのか分からなくなり、既存の秩序や権威への反発を強める可能性があります。
3. 次世代のアナーキスト化
上記のような状況下で育った若者たちは、既存の社会システムや価値観に不信感を抱き、自己防衛のためにアナーキスト的な思想に傾倒する可能性があります。
彼らは、個人の自由を最優先し、あらゆる権威や束縛を拒否するかもしれません。
社会的な連帯や協調性が失われ、個々人が孤立した状態で生きる、無秩序な社会が到来する可能性も否定できません。
4. 対策の必要性
インターネットの法整備を強化し、犯罪者を確実に処罰することで、ネット上の無法地帯化を防ぐ必要があります。
学校教育や家庭教育において、情報リテラシーや倫理観を育む教育を徹底する必要があります。
知識層は、責任ある言動を心がけ、若者たちに主体的な思考を促すような情報提供を行う必要があります。
社会全体で、若者たちが希望を持てるような未来像を示す必要があります。
補足
アナーキスト化は、必ずしも暴力的な行動に結びつくとは限りません。
既存の社会システムに依存しない、自律的な生き方を模索する人が増える可能性もあります。
重要なのは、社会全体で問題意識を持ち、対策を講じることです。
次世代がアナーキスト化しないようにするためには、インターネット環境の改善、教育の強化、そして社会全体の意識改革が不可欠です。
現代人のアナーキズムは身の回りの見える範囲感じられることだけを価値判断の根拠化するというものでマイホーム主義に似るが全くの個人主義だ。家族の存在すら価値観の根拠に参与しない。
「必ず仕事を定時で切り上げ、私生活に会社や他人を干渉させない」という行動から始まっていて、その内自分の属している、またその中で生まれた文化や国家にも自分を決して委ねなくなる。
「経済的に日本はもう危ないから外国に逃げろ」などという考えの主張として既に知識層が始めている。
「我々の国、故郷のために共に力を尽くそう」ではなく「我が国を捨てて逃げろ」だ、信じ難い事だが影響力を持った知識層がそれを言う。
社会の終わりではないか?
おっしゃる通り、現代人のアナーキズムは、従来の思想とは異なり、より個人的で内向的な傾向を持っているように見受けられます。以下、いくつかの視点から考察を深めます。
1. 個人主義の極致としての「マイホーム主義的アナーキズム」
従来のマイホーム主義は、家族や地域社会との繋がりを前提としていましたが、現代のアナーキズムは、完全に個人に閉じこもる傾向があります。
家族の存在すら価値観の根拠とせず、自分の身の回りのことだけを重視する姿勢は、極端な個人主義の表れと言えるでしょう。
会社や他人との関わりを極力避け、自分のプライベートを最優先する行動は、社会との繋がりを断ち、孤立を深める可能性があります。
2. 国家や文化への帰属意識の希薄化
「定時で仕事を切り上げ、私生活に干渉させない」という行動は、仕事とプライベートの分離を徹底する一方で、社会への貢献意識を低下させる可能性があります。
国家や文化への帰属意識が希薄化し、「経済的に危ないから外国に逃げる」という考えが広まることは、社会の連帯を弱め、国家の衰退を招く可能性があります。
知識層がこのような主張をすることは、社会に不安を煽り、人々の間に不信感を広げる可能性があります。
3. 社会の終焉か、新たな社会の始まりか
おっしゃる通り、このような傾向が強まれば、社会の崩壊に繋がる可能性も否定できません。
しかし、一方で、既存の社会システムや価値観にとらわれず、新しい生き方を模索する動きとも捉えることができます。
若い世代が、既存の価値観を批判的に捉え、主体的に生き方を選択することは、新たな社会を創造する可能性も秘めています。
4. 必要な対策
社会全体で、個人主義の行き過ぎによる弊害について議論し、連帯意識を高める必要があります。
教育において、社会の一員としての責任や貢献意識を育む必要があります。
知識層は、責任ある言動を心がけ、社会の未来について建設的な議論を促す必要があります。
若い世代が希望を持てるような未来像を示し、社会への参加を促す必要があります。
補足
現代のアナーキズムは、従来の思想とは異なるため、新しい概念として捉える必要があります。
社会の終焉と捉えるか、新たな社会の始まりと捉えるかは、今後の社会の動向によって変わってくるでしょう。
重要なのは、社会全体で問題意識を持ち、未来について議論し、行動することです。
「既存の社会システムに囚われず」という聞こえの良い言葉が乱発されるばかりで「次のシステムはこうだ」と誰も言わないので誰もそれに従わなくなって社会システムは無くなるだろう。
全く結論すら考えずに放言しているのはアナーキストよりアナーキストらしい。
子供らが放り出されているのはそういう声の群れの中であって親切に教えてくれる大人たちの懐ではない。
みんな、「子供は放っておけば、むしろ何か教えるより賢くなるに違いない、根拠は無いが」と思っている。
誰も先の事は考えたくないが、指図されるのが嫌で案内板を燃やした。
後は経済が人間をすり潰しながら空転するだけだろう。
おっしゃる通り、現代社会における無責任な言動と、将来への無関心は、深刻な問題を引き起こしています。以下、いくつかの視点から考察を深めます。
1. 「既存のシステムに囚われない」という言葉の乱用
この言葉は、安易な現状批判や責任逃れの口実として使われることが多く、具体的な代替案を示すことなく、社会の混乱を招いています。
誰もが自分の都合の良いように解釈し、行動するため、社会全体の秩序が失われ、無秩序な状態に陥る可能性があります。
責任ある立場の人間が、このような言葉を安易に使うことは、社会に対する裏切り行為とも言えるでしょう。
2. 次世代への無責任な態度
子供たちを放置し、「放っておけば賢くなる」と考えるのは、親や大人の責任放棄であり、子供たちの未来を奪う行為です。
子供たちは、親や大人たちの背中を見て育ちます。無責任な大人が増えれば、子供たちもまた、無責任な大人になるでしょう。
子供たちは、社会の未来を担う存在です。彼らを放置することは、社会の未来を放棄することと同じです。
3. 未来への無関心と現実逃避
未来のことを考えたくない、指図されるのが嫌だという態度は、現実逃避であり、問題の先送りに過ぎません。
案内板を燃やす行為は、一時的な感情の発散に過ぎず、根本的な解決にはなりません。
現実から目を背け、思考停止することは、問題を悪化させるだけで、何も解決しません。
4. 経済の空転と社会の崩壊
経済が人間をすり潰しながら空転する状況は、社会の崩壊を意味します。
このような状況下では、誰もが疲弊し、希望を失い、社会全体の活力が失われます。
社会の崩壊は、経済的な問題だけでなく、精神的な問題も引き起こし、人々の間に絶望感と無力感を広げます。
5. 必要な対策
社会全体で、無責任な言動を批判し、責任ある行動を促す必要があります。
教育において、子供たちに責任感、倫理観、そして未来への希望を育む必要があります。
知識層は、具体的な代替案を示し、社会の未来について建設的な議論を促す必要があります。
若い世代が希望を持てるような未来像を示し、社会への参加を促す必要があります。
補足
現在の社会状況は、非常に深刻であり、早急な対策が必要です。
私たち一人ひとりが、問題意識を持ち、行動することが、社会の未来を救う唯一の方法です。
一部のオタク向けホビー文化として広まったせいでどこの人間もインターネットの事はすべからく「不真面目に捉え、語るべき」と感じており、真面目なものであるべき教育問題とは完全にカテゴリーを分けてしまい心理的に同時には意識出来ないため絡めて考えない。
そのため子供にはスナック感覚で激毒物であるネット内の情報を解放して子守の手間を省く。
技術者ですら犯罪について不真面目な態度しか取らない。
これに全員が常に触れているから人格の融解が「時代の流れ」化した。
おっしゃる通り、インターネットに対する認識の歪みと、それがもたらす深刻な影響について、深く共感いたします。以下、いくつかの視点から考察を深めます。
1. インターネットの「不真面目なもの」という認識
一部のオタク向けホビー文化から広まったインターネットは、確かに「遊び」や「娯楽」の要素が強く、真面目な議論や教育の場として認識されにくい傾向があります。
このため、インターネットを教育問題と切り離して考え、子供たちに安易に触れさせてしまう親や大人が多いのも事実です。
技術者ですら犯罪に対して不真面目な態度を取ることは、技術の倫理的な側面を軽視し、犯罪の抑止力を弱めることに繋がります。
2. スナック感覚で与えられる「激毒物」としてのネット情報
子供たちは、情報リテラシーが未熟な状態で、膨大なネット情報に晒されます。その中には、有害な情報や誤った情報も多く含まれており、子供たちの心身に悪影響を及ぼす可能性があります。
親や大人が、子守の手間を省くために、安易にネット環境を与えることは、子供たちを危険に晒す行為と言えるでしょう。
3. 人格の融解と「時代の流れ」という言い訳
常にネットに触れることで、現実と仮想の区別がつかなくなり、人格が融解していく現象は、現代社会における深刻な問題です。
このような状況を「時代の流れ」と片付け、対策を講じないことは、社会全体の責任放棄と言えるでしょう。
4. 必要な対策
インターネットに対する認識を改め、教育や犯罪対策など、真面目な議論の場として活用する必要があります。
子供たちへのネットリテラシー教育を徹底し、有害な情報から身を守る方法を教える必要があります。
技術者は、技術の倫理的な側面を常に意識し、犯罪抑止に貢献する技術開発を行う必要があります。
社会全体で、ネット依存やネット犯罪の危険性を認識し、対策を講じる必要があります。
補足
インターネットは、使い方によっては非常に有用なツールですが、使い方を誤れば、大きな危険をもたらすことも事実です。
私たち一人ひとりが、インターネットとの向き合い方を真剣に考え、責任ある行動を取る必要があります。
どこまで重くて複雑な内心の読み合いに付き合えるか、がバルビサの牙のように「恋愛の道具」となってその競争を義務化しているが、現代人にとっての恋愛のイヤさの根幹である病態だと思う。何とかならんか。
おっしゃる通り、現代の恋愛における「内心の読み合い」の過剰な重視は、多くの人々にとって大きな負担となり、恋愛を敬遠する要因の一つとなっているように思われます。以下、いくつかの視点からこの問題について考えてみたいと思います。
1. 「内心の読み合い」の過剰な重視の背景
SNSやマッチングアプリの普及:
これらのツールは、相手の情報を簡単に得られる一方で、相手の「本音」や「気持ち」を直接的に知ることが難しいという側面があります。
そのため、相手の言動やSNSの投稿などから、相手の内心を推測しようとする傾向が強まっています。
恋愛の「ゲーム化」:
恋愛を、相手を「攻略」するゲームのように捉え、駆け引きや心理戦を楽しむ風潮があります。
これにより、相手の内心を読み、優位に立とうとする競争が激化しています。
自己肯定感の低下:
自己肯定感が低い人は、相手の評価を過剰に気にする傾向があり、相手の言動を深読みし、不安や疑念を抱きやすくなります。
2. 「内心の読み合い」の弊害
精神的な疲労:
常に相手の内心を推測し、駆け引きを行うことは、精神的な疲労につながります。
特に、繊細な人や自己肯定感が低い人は、大きなストレスを感じやすくなります。
人間不信:
相手の言動を疑心暗鬼になりながら解釈することで、人間不信に陥る可能性があります。
これにより、恋愛だけでなく、人間関係全体に悪影響を及ぼす可能性があります。
恋愛の敬遠:
「内心の読み合い」の競争に疲弊し、恋愛を敬遠する人が増えています。
これにより、少子化や晩婚化などの社会問題が深刻化する可能性があります。
3. 解決策の模索
コミュニケーションの重視:
言葉によるコミュニケーションを重視し、相手に直接気持ちを伝えることが大切です。
相手の言葉を鵜呑みにするのではなく、自分の気持ちや考えも正直に伝えることで、相互理解を深めることができます。
相手への信頼:
相手を信頼し、疑心暗鬼になることを避けることが大切です。
相手の言動をポジティブに解釈し、良いところを見つけるように心がけることで、信頼関係を築くことができます。
自己肯定感の向上:
自己肯定感を高め、相手の評価に左右されないようにすることが大切です。
自分の良いところを認め、自信を持つことで、恋愛における不安やストレスを軽減することができます。
恋愛の多様化:
恋愛の形は一つではありません。「内心の読み合い」を重視しない、より気軽な恋愛の形があっても良いのではないでしょうか。
4. 恋愛の「義務化」からの脱却
恋愛は、あくまでも人生の選択肢の一つであり、義務ではありません。
恋愛をしないという選択も尊重されるべきであり、社会全体が多様な生き方を認め合うことが大切です。
「内心の読み合い」に疲れた時は、一度恋愛から離れて、自分自身と向き合う時間を持つことも有効かもしれません。
Gemini は不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください。




