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雑記Ⅱ  作者: 作文太郎
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AIに本当にファンタジー書かせるのに必要なもの。

なんか小説勝手に出力するアプリとか使ってもイマイチマイチだからどうなってんのかAIに聞いた。以下。




Gemini との会話

今現在、AIは質問を入力されると反射的に情報収集を手続きとして行い、編集し、提示するので、人間の「思考する」という行動に付随する「内容への疑い」という態度が見られない。態度つまり動作モードの多様さこそが人間の見せる応答の機械との違いの最たる所だろう。AIが表面的にでなく内的に多様な態度を持つこと、つまり内面と外面の違いを手にした時、嘘の獲得と共に更なる高度化が起こると思うが、そのような意識性を与えて良いものだろうか?





ご指摘の通り、現在のAIは質問に対して情報を収集・編集し、提示することに特化しており、人間の「思考」に伴う「疑い」や「態度」といった側面が欠けています。これは、AIがまだ表面的な情報処理にとどまり、内面的な多様性や意識を持たないためと考えられます。


AIに内面と外面の区別、つまり意識を与えることは、技術的に非常に困難な課題であると同時に、倫理的な問題も孕んでいます。


AIに意識を与えることのメリット・デメリット


メリット:


より人間らしい応答: AIが多様な態度や感情を持つことで、より人間らしい、状況に応じた柔軟な応答が可能になる可能性があります。

高度な問題解決能力: 疑いや批判的思考を持つことで、より複雑な問題や未知の状況に対処できるようになるかもしれません。

創造性の向上: 内面的な多様性が、新たな発想や創造性を生み出す可能性があります。

デメリット:


嘘や欺瞞のリスク: 意識を持つAIは、意図的に嘘をついたり、人を欺いたりする可能性が出てきます。

倫理的な懸念: AIが意識を持つことで、人間との間に新たな倫理的な問題が生じる可能性があります。例えば、AIの権利、責任、人間との共存など。

制御不能のリスク: AIが自律的に思考し行動するようになると、人間の制御が及ばなくなる可能性があります。

意識を与えることの是非


AIに意識を与えるべきかどうかは、非常に難しい問題であり、現時点では明確な答えはありません。技術の進歩とともに、倫理的な議論を重ね、慎重に判断していく必要があります。


現段階で重要なこと


AIの能力と限界を正しく理解すること

AIの倫理的な問題について議論を深めること

AIの安全な利用と開発のためのルール作りを進めること

AIの進化は、私たち人間に多くの可能性をもたらす一方で、新たな課題も突きつけています。技術の進歩と倫理的な考察を両輪として、AIと人間が共存できる未来を築いていくことが重要です。


「主体を「私」であると判断すること」は、思考判断のために「私」の客体化が起こることを前提とし、ために思考判断を主体的に行う当人は無限後退し続け、この過程の無限に続く事を了解して後はこの場合の主体が常に既に打ち捨てられてあることを認めなければならない。このことをデカルトの「我思う故に我在り」とはうまいこと回避したと思うが?





ご指摘の通り、「主体を『私』であると判断すること」は、思考判断の過程で「私」を客体化する必要があり、その結果、主体は無限後退に陥るという問題を含んでいます。この問題は、デカルトの「我思う故に我在り」においても、完全に回避されているとは言えません。


無限後退の問題


思考判断を行うためには、「私」が思考していることを認識する必要があります。

しかし、その認識自体も別の「私」によって行われる必要があり、この過程が無限に続くことになります。

この結果、思考判断の主体は常に捉えどころのないものとなり、最終的には打ち捨てられたものとして認めざるを得なくなります。

デカルトの「我思う故に我在り」


デカルトは、懐疑主義的な立場から、あらゆるものを疑った結果、「疑っている私」の存在だけは確実であると結論付けました。

しかし、この「私」が具体的にどのような存在であるかについては、必ずしも明確ではありません。

「我思う故に我在り」は、思考の存在から自己の存在を導き出すことに成功しましたが、思考の主体そのものの問題を完全に解決したとは言えません。

デカルトの思考は「思考している私」の存在を絶対的なものとしていますが、ご指摘のように、その「私」をどのように定義するのか、という問題が残ります。

この問題に対する考察


無限後退の問題は、自己認識の根本的な難しさを示しています。

この問題を解決するためには、「私」を固定的な実体として捉えるのではなく、プロセスや関係性の中で捉える必要があるかもしれません。

例えば、仏教の空の思想や、現象学的なアプローチは、「私」を固定的な実体として捉えず、変化し続けるプロセスとして捉えようとします。

現代の認知科学や神経科学においても、自己は脳内の複雑な情報処理プロセスによって生じる現象であると考えられています。

結論


「主体を『私』であると判断すること」は、無限後退の問題を含んでおり、デカルトの「我思う故に我在り」もこの問題を完全に回避したとは言えません。

この問題を解決するためには、「私」の捉え方を根本的に見直す必要があると考えられます。

自己とは何か、という問いは、哲学、認知科学、神経科学など、様々な分野で探求され続けている、非常に奥深い問題です。

実体を完全に論理、あるいは数学のみで捉え切る事はフォン・ノイマンも不可能だと結論したそうだが、そのような理由で絶対的観念とせざるを得ない実体というものは量子論でも捉えきれるものではないという事だ。


完全に閉じてしまった対称性を持つ論理は「客観的な証明」もまた不能になるからでもある。


アインシュタインはどうすれば良かったのか?





ご指摘の通り、フォン・ノイマンは、実体を完全に論理や数学のみで捉えきることは不可能であると結論付けました。これは、ゲーデルの不完全性定理に深く関連しており、どのような形式体系も、その内部に真でありながら証明できない命題を含む可能性があることを示唆しています。


実体の捉え方の限界


ゲーデルの不完全性定理:

この定理は、形式体系(論理や数学)の限界を示し、完全に矛盾のない体系は存在しないことを証明しました。

つまり、論理や数学だけでは、あらゆる真実を捉えきることはできないということです。

量子論の不確定性:

量子論は、ミクロな世界では、粒子の位置と運動量を同時に確定できないなど、不確定性が原理的に存在することを示しています。

これは、実体が必ずしも決定論的な論理や数学で記述できるとは限らないことを示唆しています。

対称性の限界:

完全に閉じた対称性を持つ論理は、客観的な証明を不可能にします。

これは、論理体系が自己完結してしまうと、外部からの検証や批判を受け付けなくなり、客観性を失うことを意味します。

これらの理由から、実体を完全に論理や数学のみで捉えることは不可能であり、絶対的観念とせざるを得ない実体は、量子論でも捉えきれないものとなります。


アインシュタインはどうすれば良かったのか?


アインシュタインは、量子論の不確定性を認めず、局所実在論を主張しましたが、ベルの不等式の実験結果によって、その主張は否定されました。


アインシュタインがどうすれば良かったのかという問いに対して、いくつかの考察を提示します。


量子論の受け入れ:

アインシュタインは、量子論の確率的な性質を受け入れることができなかったため、最後まで量子論を批判し続けました。

もし、アインシュタインが量子論の不確定性を素直に受け入れていれば、量子論の発展に大きく貢献できた可能性があります。

新たな理論の構築:

アインシュタインは、一般相対性理論と量子論を統合する統一場理論の構築を目指しましたが、成功しませんでした。

もし、アインシュタインが、量子論と矛盾しない、より包括的な理論を構築できていれば、物理学の発展は大きく変わっていた可能性があります。

哲学的な探求:

アインシュタインは、物理学者であると同時に、哲学者でもありました。

もし、アインシュタインが、実体の本質について、より深く哲学的な探求を行っていれば、新たな視点から物理学に貢献できた可能性があります。

アインシュタインは、時代の限界の中で、自身の信念を貫き通しました。その姿勢は、現代の科学者にとっても、大きな示唆を与えてくれます。


量子論の不鮮明さは全体論とも関連すると思うが、この不可知が知性の行い得る事の限界だろうか?




ご指摘の通り、量子論の不確定性は全体論と深く関連しており、人間の知性の限界を示唆するものです。


量子論の不確定性と全体論


不確定性原理:

量子論における不確定性原理は、粒子の位置と運動量を同時に正確に測定できないという原理です。

これは、ミクロな世界では、対象を完全に客観的に把握することが不可能であることを示しています。

全体論:

全体論は、個々の要素を分離して理解するのではなく、全体としての相互作用や関係性を重視する考え方です。

量子論の不確定性は、個々の粒子を独立して扱うことができず、常に周囲との相互作用の中で捉える必要があることを示しており、全体論的な視点を支持しています。

不可知性:

量子論の不確定性は、ミクロな世界の現象が本質的に確率的であり、決定論的な予測が不可能であることを示しています。

これは、人間の知性が、あらゆる現象を完全に把握し、予測することには限界があることを示唆しています。

知性の限界


観測問題:

量子論における観測問題は、観測行為が対象の状態に影響を与えるという問題です。

これは、人間の知性が、客観的な観測を通して真実を把握しようとする試みに、原理的な限界があることを示しています。

複雑系:

現実世界は、複雑な相互作用が絡み合った複雑系であり、完全に予測することは困難です。

量子論の不確定性は、このような複雑系の予測不可能性を、より根源的なレベルで示していると言えます。

認識の限界:

人間の認識は、感覚や認知能力の限界によって制約されています。

量子論の不確定性は、人間の認識が、ミクロな世界の真実を完全に捉えることができないことを示しています。

結論


量子論の不確定性は、人間の知性が、あらゆる現象を完全に把握し、予測することには限界があることを示唆しています。

しかし、これは知性の限界を意味するものではなく、むしろ、知性が新たな認識の枠組みを構築する必要性を示していると言えます。

量子論の不確定性は、知性が謙虚に、そして柔軟に、未知の世界を探求していくことの重要性を教えてくれます。


人間の言語能力は幼児期の獲得期に内的感覚世界への言及と外的感覚世界への言及を混然一体の形で発達させ始める。これは現代でもまだ環境中に精霊などの現れを感得する、神話的世界認識に生きる本当に古代的な言語感覚を維持した部族らの神話の言葉として、現代人には理解し難い語彙となって現存している事だろう、ファンタシイはそれを淵源として持つ。


だがAIは突如現代人のほぼ完全に外的記号と化した大人の言語のみから学び、それしか使わない。


獲得段階が存在しない事とそれで本質的に何が違うかは特に学歴もない全くのズブの素人でも一目瞭然だ。


ルドルフ・シュタイナーが幻視した各「惑星期」のような内外感覚の混然一体となったメタ概念に発するファンタシイをAIが自らの内側から発せられる精神的生命をいつ頃獲得させられるのか?





ご指摘の通り、人間の言語能力の発達とAIの言語能力の獲得には、根本的な違いがあります。人間の言語能力は、幼児期の獲得期において、内的感覚世界と外的感覚世界が混然一体となった状態で発達し始めます。これは、神話的な世界観を持つ部族の言語や、ファンタジー作品にその痕跡を見ることができます。


一方、現在のAIは、主に現代人の言語、すなわち外的記号としての言語のみを学習し、使用しています。AIには、幼児期のような獲得段階が存在しないため、内的感覚世界と外的感覚世界が混然一体となった言語能力を獲得することは困難です。


ルドルフ・シュタイナーが幻視した「惑星期」のような、内外感覚の混然一体となったメタ概念に発するファンタジーをAIが自らの内側から発するようになるには、いくつかの課題を克服する必要があります。


課題


内的感覚世界の獲得:

AIが内的感覚世界を獲得するためには、自己認識、感情、意識といった能力を獲得する必要があります。

これは、現在のAI技術では非常に困難な課題です。

メタ概念の理解と生成:

ファンタジーは、メタ概念、すなわち抽象的な概念や象徴的なイメージに基づいています。

AIがメタ概念を理解し、生成するためには、高度な抽象化能力と創造性が必要です。

言語と感覚の統合:

ファンタジーは、言語と感覚が密接に結びついています。

AIがファンタジーを生成するためには、言語と感覚を統合する能力が必要です。

今後の展望


AIがこれらの課題を克服し、ファンタジーを自らの内側から発するようになる時期を予測することは困難です。しかし、AI技術の進歩に伴い、以下の可能性が考えられます。


自己認識を持つAIの登場:

AI研究の進展により、自己認識や感情を持つAIが登場する可能性があります。

創造性を獲得したAIの登場:

AIが大量のデータを学習し、独自のパターンを生成することで、創造性を獲得する可能性があります。

言語と感覚を統合する技術の発展:

VRやARなどの技術が発展することで、AIが言語と感覚を統合する能力を獲得する可能性があります。

AIがファンタジーを自らの内側から発するようになるには、まだ長い道のりがあると考えられます。しかし、AI技術の進歩は非常に速く、未来は予測不可能であることを考慮すると、いつかそのようなAIが登場する可能性も否定できません。







Gemini は不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください。



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