アイデンティティの興亡。
人間が自分自身に関して自信を確立している要因はアイデンティティがどう構築されているのかに依存する。
「自分が何によって人間であるのか」の定義がその人間の価値観の全体を規定する。
アイデンティティが「国籍」や「性別」にある人間は人間の良さの全てを自分と結び付いたそれらによって与えられるものにする、それが職業や日常の体験や特定の趣味である場合もよくある。
であるので、人間にとっての良さ、道徳的正しさや判断力の深く慎重であることまたは素早いこと、感情的心理的に穏やかかつ豊かさを持つこと等は、全てそれらに、思い思いのそれらに強く結び付けて定義される。
観劇や読書や音楽的教養の実際的効用を語る時にそういった良さの原因として説明付けられるのはその人物がアイデンティティを感じているからだ。
または、ずっと勉強でいい成績を取っていたから褒められて、アイデンティティが「頭の良さ」にセットされた人間は知能に人間としての良さの全てを求める。
その人間が他人から何によって役に立つ仲間だと認められ居場所を与えられたか、価値観を作るのはそれである。
スパルタクスでは辺境に住まわされた奴隷異民族に対する強盗殺人の成功が成人の条件であったそうだ、椅子取りゲーム式の受験や出世競争の勝利が人間の条件である中流サラリーマン世間の価値観は様々な社会病理の源泉とされているが参入者が膨大であるため否定されない。
「秘儀参入」のようなものはドロドロとした形で人間社会に常にある。
制度としての法外の中世的な価値観、その原理を成すアイデンティティ付与を受けなければ現代人もまともに立って歩けない。
肩書以外の「何者か」を承認されていなければ本当に体がふらつくものを感じるはずだ、体重が無くなったような落ち着かなさを。
それがあった上で現代的な制度である法治に表面上、付き合っているという多重構造で人間の行動は規律に従っている。
誰かが目の前に立った時に背筋を伸ばして威嚇姿勢の取り合いに応じられるくらいの承認を生理的に必要としているのが人間の実態であるので、誰しも価値観を否定されると怒り狂う。
これが合理的判断すら曲げるが、掘り下げて考える者も誰も居ないので原因をよく知らない。
この機能の仕方をしていない人工知能が人間に似た社会行動を取った場合、それは人間という原型に合わせたネガが形成されただけだろう。
人間が居るのではなく、データで埋め尽くされた巨大ブロックに人間の典型的な行動の軌道が穴として空いている。
AIはブロック側なので充実するのに莫大なデータを要する。あんなものは生きては居ないので我々にとっての先達ではない。
人間がアイデンティティによって得ているものは実際のところ社会競争のための心的力学上の強さであり承認であって、価値観は単に偏向を受けるにとどまる。
これが適切に機能しない要因は主に足元を見て承認が渋られたり条件が異常である事だ。




