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【本編完結】転職先には人間がいませんでした  作者: 沢渡奈々子
第2章 転職先には人間がほぼいません
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第8話:送り犬と人狼は仲がいいらしい

「智恵くん、まだ一ヶ月くらいしか経ってないのに、すっかりここに慣れたなぁ。早くもベテランの風格が見える」


 いつものように幽霊三人娘を軽くあしらった後、自席に戻った智恵がふぅ、と息をつくと、総合案内課課長の諏訪原すわばらしょうが声をかけてきた。


「そうでしょうか? 慣れざるを得なかった、というところです」

「ははは、確かにな。無理にでも慣れなきゃやってけないよな、ここは」


 高らかに笑いながらコーヒーを飲む諏訪原は、智恵と同じ『人間』だ。彼は元々、湊の父の友人だったという。智恵と同様、ある程度の適性・・を持っていたので、湊の父から『案内所』にスカウトされたらしい。

 ただ智恵のような『異情共親者』というわけではないようだ。稀人に対する親和性はなさそうで、明子が心を開いてくれないと落ち込んでいるのを、智恵も見たことがある。

 現在、案内所にいる人間は、智恵とこの諏訪原だけだ。

 年はおそらく智恵の父と同世代だろう。見た目は少しばかりきつそうだが、温かな人柄の持ち主で、初対面の時からよくしてもらっている。

 諏訪原の両親も妻も皆人間で、彼が『案内所』に勤務していることを知らない。家族や友人には、湊の実家のリサーチ会社で勤務していることになっているそうだ。

 ここでの話はもちろんしてはいけないので、会社の話題を振られた時には少し困ってしまうそうだ。

 智恵も同様に、家族には湊の実家で働いていることになっている。近々実家に帰るので、その時に名刺を渡しておこうと思う。


「――あれぇ、今日は湊いない? 智恵ちゃん」


 入口の扉の向こう側から顔を見せたのは、『送り犬』の奥村おくむらかい。『犬』と名はついているが、実体はダークグレーの狼だ。いわゆる『送り狼』の語源となった日本の妖怪である。

 その昔――夜中の山道を歩くと後をつけてくるのが送り犬で、うっかり転んでしまえばたちまち食い殺されてしまう――とまぁ、少々怖い背景を持つ妖怪だが、その一方で弱者の護衛をしてくれたという逸話もある。

 由来は違うものの、同じ種族ということで、湊とは交流があるそうだ。仕事は対外的には『商社』勤務ということになっているが、実際やっていることは『調達屋』だ。湊の家とは、ビジネス上でも関わりがあるという。

 湊よりも軽薄なイメージがあるものの、ふんわりわんこ系の美形だ。


(異類には美形が多いなぁ……)


 案内所で働くようになってから、ほとんど美形しか見ていないように思う。それに気づいてからというもの、芸能界で人気のあるイケメン俳優や美人モデルなんかも、ひょっとしたら――という妄想が頭をよぎる。


「あ、湊さんは今日はご実家の方です」

「そっかそっか、そっちか。……ん?」


 海が視線を彷徨わせながら、くん、と鼻を鳴らす。


「どうかしました?」

「あいつ、来てた? 吸血鬼議員」

「あぁ……蘇芳さん。よく分かりましたね」


 実際、三人娘の前には蘇芳の相手をしていた。智恵が就職してから何度カウンセリングしただろう。国会議員である彼は多忙の身、以前は半年に一度来ればいい方だったらしい。

 それが今では週一、週二で通っているのだから、よほど智恵のカウンセリングが気に入ったのだろうか。


「吸血鬼って、独特の匂いがするんだよねぇ。なんだろうね、あれ。化粧品みたいな。ちょっと気持ち悪いんだ」


 海が言うには、人工的なライムの匂いがするらしい。人間の嗅覚では感知できないほど、かすかではあるが。


「私には分かりませんけど……海さんには分かるんですね、匂い」


 智恵は話を続けながら、事務所の窓を透かして換気をする。ねっとりと湿気を纏った梅雨独特の空気が入ってくる。

 ちなみに結界は空気自体はもちろん遮断しない。だから外が暑ければ、熱気はしっかりと伝わってくるのだ。


「まぁねぇ。ちなみに智恵ちゃんはお香の匂いがするよ。最近よくあるフルーツのお香……ベリー系かな。ちょっと美味しそう」


 海がにっこりと笑う。それは兄から送られてきた護符の匂いだろう。いつも変わった香りのお香で、焚きしめてくれるのだ。


「海さんと湊さんは、どちらが嗅覚鋭いんですか?」

「新月期なら俺、満月期なら湊、かな。湊の種族は、満月期に身体能力が飛躍的に上がるタイプだから。その点、俺たちは月の満ち欠けに影響を受けないんだ」

「なるほど~。今は新月期だから、海さんの方が鼻が利くんですね」

「そういうこと。でも湊はハーフだけど、父親が偉大な人だったから、その遺伝か、すごい身体能力を持ってる」


 湊の父は人狼族の長だったことがあるそうで、身体能力などは抜きん出ていたという。

 その血を色濃く受け継いだ湊は、半妖ではあるものの、純血種とは遜色のない身体能力を持っている。

 ビルからビルへひょいひょいと飛び移るなんて、人狼でもできる人はあまりいないそうだ。

 それを話してくれた海は、何故か自分のことのように誇らしげだ。


「俺と湊はね、幼なじみなんだ。犬系異類のコミュニティがあって、そこで知り合ってね。それ以来、二十年以上のつきあいになるよ」

「仲良しなんですね、海さんと湊さん」

「そうだね。異類の友人の中では一番信頼できるかなぁ。だから湊が連れてきた君も、信頼してるからね」


 海も初めて会った時から、すんなりと智恵を受け入れてくれた。ここの異類たちはほとんど、智恵に警戒心を抱かずにいてくれたけれど、海はその中でも、特によくしてくれている。『湊からの紹介』というのが大きいようだ。それだけ、海の中で湊が大事な存在なのだろう。


「ありがとうございます」


 智恵は二人の関係が、少しだけ羨ましく思えた。

 そろそろ空気の入れ換えはよいだろうと、窓を閉めた途端、案内所のドアが開いた。


「……海、来てたのか」


 噂をしていたのを察知したのかと思うほどのタイミングで、湊が入ってきた。


「あれ湊、今日実家じゃなかったん?」

「ちょっと用があってな。……智恵、これ、操田ぐりたくんから。この間のお礼に、って」


 湊が手にしていた洋菓子店の紙袋を差し出してきた。


「わぁ、アンリ・ベルトワーズのクッキー缶! 好き好き大好きです!」


 袋の中には、可愛らしい缶に収められたクッキーの詰め合わせがあった。

 操田というのは、湊の紹介で、先日智恵がカウンセリングした男性だ。グリフォンの父と人間の母を持つハーフ、こちらもまたいわゆる半妖。

 元々は田舎に住んでいたが、大学進学を機に上京した。


「都会で引っ切りなしに走る車を見るたびに、併走したくてたまらなくなる」


 という衝動を持て余し『案内所』にやってきた。

 がっちりとした体格で、顔は精悍でどことなく猛禽類の雰囲気があった。


(やっぱりグリフォンだからかな……?)


 グリフォンは獅子の胴体にワシの頭と翼を持つ幻獣で、元々はギリシャ神話で天上の神々が乗る車を引く役割を担っていた。だからだろうか、操田は疾走する車を見て血が騒いでしまうようだった。

 そこで智恵が提案したのが「皇居ランしましょう!」だった。

 皇居周辺ならランナーが数多くいるし、周囲の車に触発されて走りたくなっても変な目で見られることもない。

 皇居の外周路は一周約五キロで、しかも信号がないため途中で走りを止めることなく走り切ることができる。そこで思う存分走欲を満たせば、併走したくなる衝動も収まるのではないかと、智恵は力説した。

 操田にとって『皇居ラン』は目からうろこだったらしく、早速チャレンジした。それが彼にとても合っていたようで、初回でいきなり外周路を三周も四周もしたらしい。

 以来、中二日で皇居に通い詰めているという。

 クッキー缶は、智恵のアイデアに対する操田からのお礼のようだ。


「諏訪原さんも海さんも湊さんも、お茶淹れますから一緒にいただきましょう?」

「ありがとう、智恵くん」

「わー、いただきまっす!」


 智恵は給湯室で四人分の紅茶を入れ、お皿にクッキーを並べて空きデスクの上に載せた。


「いただきます!」


 智恵は皇居の方に向かって手を合わせると、クッキーを摘まんだ。バターをふんだんに使ったそれは、口の中でホロホロと崩れていく。香ばしくてたまらない。


「ん~、美味しい」

「幸せそうな顔してるな、智恵」


 自分のデスクに座っておやつを堪能していると、クスクスと笑い声が聞こえた。見ると、湊が紅茶を口に運びながら笑っている。


「……だって、幸せですもん。美味しくないですか? これ」

「美味いけど、俺は甘いものはあまり食べないから」

「湊はスイーツ苦手だもんなぁ。俺は大好きだけど! うんまいよ、このクッキー。いいバター使ってるよなぁ」

「うんうん、さすが高級なクッキーは違うよ」


 海は満足げにクッキーを貪っている。隣にいた諏訪原もニコニコ頷きながら、二枚目のクッキーを口に入れている。


「智恵、俺の分は後で所長にやって。あの人も甘いもの好きだから」


 湊は残ったクッキーの皿を智恵の前に置いた。


「湊さんは、何が好きなんですか?」

「俺? 米が好きだな。飯が」

「ご飯?」


 人狼の血を引いているのだから、肉が好きなのではないかと、勝手に思っていたが、どうやらそれは偏見らしい。


「湊はね、小さい頃からふりかけご飯が好きだったんだよ」

「へぇ……なんだか可愛いですね」

「それ、褒め言葉じゃないだろ?」


 ほんの少しだけ、湊が不機嫌になる。不快というよりは拗ねているその顔を見て、智恵は慌てて両手を振った。


「褒め言葉のつもりでしたけど、気を悪くしたらごめんなさい」

「……なーんてな。気を悪くなんてしてないから、謝らなくていいよ」


 少し意地悪げにそう言って、湊は紅茶を飲み干した。どうやら怒ってはいないようで、智恵はホッとする。けれど……


(湊さんも拗ねたりするんだ……可愛い)


 心の中でそんな風に思ってしまったことは、絶対に内緒。

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