第5話:所長は元・傾国の美女
「――さて、ここまで話を聞いて、どうかしら?」
この組織や智恵が担当する仕事についてざっくりと説明を受けた後、珠緒に改めて確認される。
聞く限り、業務の内容は普通の会社とそんなに変わらなさそう。でも一応……。
「あの……試用期間を設けてもらえますか……?」
「いいわよ。一ヶ月を試用期間にして、その後正式契約しましょう。その時点で無理なら辞めてもらう、ということで。でも辞める時には記憶を操作させてもらうけれどね。ここは普通の人間には極力知られたくない組織なの」
「まぁ……そうでしょう、ね」
智恵は顎にこぶしを当てて考えた。
あの名刺の効力を鑑みれば、おそらくここにいれば例のアレに悪さをされることもないのではないかという打算が浮かぶ。
それに血筋のせいか、どんな妖怪や幽霊と会えるのかワクワクし始めていた。身の安全が保証された上でなら、異類どんと来いだ。
「――もしよければ、こちらにお世話になってもいいでしょうか」
智恵はバッグの中から用意してきた履歴書を取り出し、デスクに置いた。珠緒はそれを広げて目を通すと、キラリと瞳を輝かせた。
「カウンセリングの資格を持ってるのね! それはうってつけだわ!」
「そうですか……?」
幼い頃から人ならざるものを目にしていたせいか、精神的な支えとして、心理学やカウンセリングを学んできた。
前職ではあまり活かせなかったが、いつかそれを活かせる仕事がしたいと思っていたのだ。
「人間社会に溶け込むために悩む子たちは結構多いの。そういう子たちの悩みを聞いてあげてほしいわ」
「なるほど……私がお役に立てればいいんですが」
「じゃあ決まりね! ……あ、そうだわ。最終試験が残っていたわ」
「最終試験……?」
呟くや否や、全身がぶわりと総毛立った。得体の知れない何かから圧を感じる。なんとか目を開いて見ると、そこには黄金色に輝く大きな獣がいた。
「狼……? ちがう……狐……? 尻尾がたくさん……っ、って、え……九尾の狐!?」
ふさふさとした尾は確かに九本あって、優雅に揺れている。
妖艶な光を帯びた切れ長の瞳が二つ、こちらを見据えている。紅玉のように赤く光った目は、どこか神秘的だ。
大きな口から覗く牙は白く尖っていて。
細くてもがっしりとした体躯からは、神々しいばかりの光が放たれていた。眩しくて目を閉じたくなるけれど、よく見たくてなんとか開く。
確かに狐だ。
恐怖とは少し違う、圧倒的な強さを感じさせる存在に気圧され、脂汗が吹き出る。
しかし逃げたいとは思わなかった。
その姿に目を奪われ、食い入るように見つめていると、次の瞬間、ふっと圧が緩んだ。同時に、智恵の緊張も解ける。
「……っ」
ドッと疲れが押し寄せてきた。全身が汗でびっしょりだ。
「私の全力の気に耐えたわね。すごいわ。……湊くんも汗をかいてるわよ」
いつの間にか人間の姿に戻っていた珠緒に言われて隣を見れば、湊が額の汗を手の甲で拭っていた。
「所長、フルパワーで妖気出し過ぎ。きっと所長室から漏れてますよ」
「あ……の、前苑所長は、九尾の狐……なんですか?」
「そうよ。あの玉藻前伝説の妖狐は私のこと。……まぁ、なんだかんだあって、大昔に犯した罪の贖罪として、この案内所を立ち上げて、現代社会でも異類の面倒を見ているというわけ。今は善人中の善人だから安心してちょうだい」
九尾の狐と言えば、傾国の美女の正体として、日本や中国では定番の妖怪だ。日本の玉藻前伝説での妖狐は現在の栃木県で討伐され、巨大な石に化けたと言われ、現在でもその石は『殺生石』として存在している。智恵の記憶が確かならば、石は最近、二つに割れてしまっていたはずだが、珠緒自身に影響はあったのだろうか……。
「え……ということは、年は……」
「八百を越えた辺りから数えるのをやめたわ」
「八百……」
途方もない年齢にクラリとした。
「そんなわけで、採用! ……ということで、これを智恵ちゃんに渡しておくわね」
珠緒がいつの間に持っていたのか、ペンダントを人差し指に引っかけて差し出してきた。銀のチェーンに直径二センチほどの水晶がぶら下がっている。智恵はそれを手の平で受け取る。途端、身体の中にミントのような清涼感のある何かが駆け抜ける感覚がした。
「なんですか? これ」
「『名刺』よりも強い力を持つ守護石よ。湊くんの話を聞く限り、あなたが持っている護符は、日本由来の異類に特化したものみたいだから。これは海外由来の妖怪たちに特化したものになってるわ。智恵ちゃんに危害を加えようとする異類には効くはずだから。ご実家の護符と一緒に持っていると相乗効果で護りの力も強化されるはずよ」
智恵はそれをそっと首にかけた。
「あ……ありがとうございます。あの、日本の、その……異類? と、海外の異類では、やっぱり性質が違うんでしょうか? 同じ護符が使えないというのがなんだか不思議で……」
この場所において、もはや『不思議』という言葉は使う意味などないのかもしれない。しかし智恵は初心者だ。疑問に思ったことはなんでも聞いていくつもりでいる。
「性質は違うといえば違うわね。他人の内面に影響をもたらしやすいのが日本由来の異類なのよ。たとえば私みたいな? ……まぁ、元を正せば、私は中国出身だけど」
珠緒がニヤリと笑う。確かに、玉藻前のようにいともたやすく男を手玉に取れるのは、『魅了』の妖力を使っているからなのだろう。
海外でも、セイレーンのように歌声で人間を魅了する生き物もいれば、吸血鬼のように動物や昆虫を操る異類もいるという。
「――だから、というわけではないのだけれど、日本由来の異類は医者になる者が多いの。そして海外由来の異類は、経営者・技術者としての才能に恵まれた者が多い」
世界に流通している様々な精密機器・工業製品など、テクノロジーの最先端を担う企業の創業者には、海外由来の異類が関わっていることが多いのだと珠緒が説明してくれた。
ちなみに、日本由来の異類は内類、海外由来は外類と呼ばれているらしい。
「なるほど……」
「ちなみにそこにいる湊くんのお父さんも、社長さんだったのよ。……ね、湊くん」
「うちの父親の会社は、それほど大きくないリサーチ会社だけどな」
その時、湊の表情に影が差した。あまりに悲しげに見えて、胸が痛くなる。しかし次の瞬間には元に戻っていた。
元々憂いを帯びた雰囲気を持つ人なので、気のせいだったのかもしれないと、智恵は忘れることにした。
「湊くんは、人狼と人間のハーフなの。いわゆる『半妖』ってやつ。正確に言うと『外類半妖』」
「そうなんですか!? ……あ、そっか……」
『俺はそっち側じゃないから、何から守られてるのかはよく分からないけど――』
そっち側じゃない、というのは「内類ではない」ということなのかと、今分かった。
智恵は数日前のことを思い出した。湊と初めて出逢った夜は、満月だった。
曰く、ハーフである彼は、満月でも狼になったりはしない。その代わり、髪と瞳の色が変わり、身体能力が異様に高くなるのだ。
(だからあんな風に、ビルからビルに飛び移れたんだ……)
智恵はびっくりするやら納得するやら、複雑な気持ちになる。
普段の湊はあれほど動けないらしい。まさに期間限定の能力。今は髪も瞳も真っ黒ではないものの、落ち着いた色味だ。どちらの色でもものすごい美形であることに代わりはないけれど。
今を生きる異類は、人間の血が混じってその特性が薄まっていく反面、大勢の人間たちの中で生きる上での進化もしている。
それが『認識阻害』だ。衆人環視の中、異類の特性が出てしまった場合、周囲の人間が違和感を覚えないよう、容姿や行動を常識内に馴染ませる呪術のようなものを使えるという。
もっとも、力がそれなりに強い妖怪・幻獣しか使えない能力らしいが。
だからあの日、湊が智恵を抱えてビルに跳び乗ったりしても注目する人がほとんどいなかったのだ。
「リサーチ会社って、探偵みたいなことをするんですか?」
「もちろん。そんな時は身軽なのが役に立つ」
湊の実家の会社は、人狼の社員が数多くいて、皆が凄腕の調査員だという。確かにあれだけ素速く身軽に動けるのなら、尾行も上手くできそうだ。
「湊さんも調査をしたりするんですか?」
「ここと実家は7:3くらいだな。基本はここにいるが、週に一日二日は実家の仕事をしてる。お前と会ったあの日も……人を探してた」
湊は再び表情を強張らせた。先ほどと同じだ。どうしたのだろうと智恵は首を傾げるものの、突っ込んで聞ける立場でもないので、やっぱり黙っておいた。
「とりあえず、明日から来られるようなら、一日研修を受けてもらって、明後日から働いてもらうわね。湊くん、お願いね」
「はい。……ナリミヤチエ、明日は朝九時から研修を始めるぞ。一応、就業規則や福利厚生もあるから、その説明もする」
「は、はい……!」
(あっという間に決まっちゃったけど……ほんとによかったのかな……)
智恵はほぼ勢いで就職先を決めてしまったことに、自分でも驚いていたのだった。