第3話:鵺vsキマイラ、ファイ!
「えーっと……確か、この辺……っと、ここかな」
日本橋のレトロなオフィス街のとある路地裏に入ると、さらにレトロなビルがある。六階建てだろうか。周囲のビルと比べると、それほど高くはない。エントランスをざっと見たところ、『案内所』のサインボードはなさそうだ。
智恵は名刺に書かれた住所と、ビルに記されたそれを見比べた。
「うん、ここよね」
頷きながら、名刺をしまう。護符代わりになっていると分かってから、智恵はその名刺をカードホルダーに入れ、首から下げていた。もちろん、人からは見えないように服の中でぶら下げているのだが。
エントランスに足を踏み入れた瞬間、ふわりと爽やかな空気を感じた。
「……?」
空気清浄機でも効かせているのかと思ったけれど、気にせず中へ入っていく。
エレベーターホールに行き、ボタンを押すとドアが開く。中に乗り込むと、パネルに手を伸ばす。
「えっと、確か受付は八階だったかな……」
階表示ボタンの『8』を押そうとして、はたと止まる。
「そういえば……このビルって……六階建てじゃなかった……?」
さっきビルの窓の数を縦に数えていったので、間違いなかったと思う。それなのに、このエレベーターのパネルには『1』から『10』までの数字ボタンがあるのだ。
智恵は慌てて首の紐を手繰り寄せ、名刺を取り出した。住所の文言を食い入るように見つめるも、そこには『受付は8階となっております』と書いてある。
「えぇ……どういうことぉ……?」
一瞬、誤植かと思ったが、誤植があったにしても、他人に渡す時には訂正するはずだ。間違ったまま気づかないなんて、ありえない。
それに何より、実際にこのパネルには『8』の数字があるのだ。
「あぁもう、行くしかない!」
智恵はピンと張った人差し指で、『8』を押したのだった。
エレベーターは普通に動き始め、八階まで止まらずに上がっていった。
そして……ポーンと鳴ると同時に動きは止まり、静かにドアが開いた。
「ここが……」
エレベーターから出る直前、パネルのインジケーターをちらりと見ると、やっぱり『8』の字が表示されていたので、間違いなく八階のようだ。
ゆっくりと歩いてホールを横切ると、大きな木製扉の横に『異類生活支援案内所』と書かれた看板が掲げられている。
「……よし、行くぞ」
智恵は扉をノックした後、真鍮のドアノブに手をかけ、そっと扉を開いた。
中に足を踏み入れると、広々としたスペースに受付カウンターがあった。智恵が今まで見たことのあるいくつかの会社より、受付に大きくスペースを割いているように見える。
ここに入る扉自体も、観音開きになっていた。普段は右側しか使わないようで、左側のドアには『右のドアから入室してください』と書かれた紙が貼ってあった。
カウンターの向こう側に声をかけようと近づくと、何やら話し声が聞こえた。いや、話し声ではない。どう聞いても言い争う声だ。
「そんなの、俺様に決まってんだろ?」
「何ふざけたこと言ってるんだよ、サル顔のくせに」
「うるせぇ! このオブジェ野郎が!」
「うるせぇのはお前だ、いっつもヒョウヒョウ言いやがって」
男が二人、罵り合う声が聞こえるものの、姿形は見えない。どうやらカウンターの向こうの、さらに向こうにある部屋の中で怒鳴っているようだ。
受付には誰もいないので、彼らを止める人もいなさそうだ。どうしたらいいものかと悩み、とりあえず声をかけてみる。
「すみませーん!」
なかなかの大声だったので、罵り合いがぴたりと止まった。すぐに部屋のドアが開き、二人の男がひょこっと顔を見せる。
「……人間だ」
「……人間だな」
一人はあっさり顔で、どこかサルっぽい。そしてもう一人は濃い顔で、ネコ科の猛獣っぽい。どちらもイケメンの部類だとは思うけれど。
今し方言い争っていたのは、この二人なのだろう。
「あの……私、この名刺をもらって……」
カードホルダーに収まったままの、湊の名刺を掲げる。
「あー……湊の客か。ってか、お前に聞きたいことがある」
「……はい?」
サル系の男がつかつかと近づいてきて、ビシッと智恵を指差した。
「俺様とアイツ、どっちがイケメンだと思う?」
「は?」
「俺様だよなぁ? あんなオブジェ野郎より俺の方がいい男だろ?」
「何言ってんだお前。……こんなサルみたいな男より、俺の方がイケメンだ! そうだよなぁ? 姉ちゃん」
いつの間にか近くに来ていた濃い顔の男が、サル顔を押しのけて智恵に聞いてくる。
二人揃って「早く答えをくれよ!」と言いたげな強い視線を突きつけてくるので、智恵は困った。なんと答えればいいのか……。
「あ、あの……どちらもイケメンでは、ないでしょう……か?」
申し訳なさそうな気弱な声音で告げる。こんなありきたりな答えで満足してくれるだろうか。
「お利口ちゃんな答えだなぁ、おい。こんなんじゃ埒があかねぇ」
「あっち(・・・)の姿になろうぜ。そしたら決着つくだろ」
「そうだな。……じゃあお前、こっちならどうだ」
二人は示し合わせたように頷き合う。次の瞬間――智恵が何度か瞬きをし終えた頃には、男たちの姿は消えていた。
残されたのは、智恵と、そして――二頭の獣だった。
「ひぃ! な、何!?」
生まれて二十五年間、見たこともない生き物が、そこにはいた。
一頭は、サルの頭をしている。しかし胴体は狸、そこから伸びた手足は虎、そして、尾は蛇だ。
そしてもう一頭、獅子の頭と胴体を持つそれは、同時に山羊の頭部も持ち、そして尾はやっぱり蛇だ。
『これなら優劣つけやすいだろ? 俺様の方がカッコイイよな? 日本人ならこの鵺を選ぶだろ?』
サルの頭部を持つ獣から聞こえる声は、さっきのサル顔の男のものだ。
『鵺なんて、ヒョウヒョウ鳴くしか能がねぇだろ。やっぱりキマイラが最高だよな? 何せ、俺の尾の蛇は火を吐けるんだぜ』
頭が二つの獣が、濃い顔の男の声で言い放った。
(鵺……? キマイラ……? 何その物語の中でしか聞いたことない名前!)
目の前に恐ろしい姿をした獣が二頭もいる。逃げ出したくてたまらなかったが、反面、この案内所は一体何をする場所なのかという好奇心も大きくなっていった。
(ひょっとして……こういう人? たちがたくさん出入りするから、間口や受付のスペースが広いのかもしれない)
体躯が大きな生き物が入るには、狭い入口では不便だろう。智恵は出入口近辺が不自然なまでに広々としている理由が、分かった気がした。
「――あんたたち、また張り合ってるのか」
どうしようかと思っていたところに、第三の声が割り込んできた。一体次は何が登場するのかと、口元をひくつかせながら振り返れば。
背の高い、とてもきれいな顔の青年が、そこにはいた。
『湊かよ。……そういやこの姉ちゃん、お前の客みたいだぞ』
「えっ」
キマイラの言葉に、智恵は思わず声を上げた。
(湊って、この間の……?)
先日会った陣川湊は、絹糸のような銀髪に、月の光を吸い込んだような金色の瞳をしていた。肌だって、この間の方が透けるように白かった。
今、目の前にいる湊も、美形は美形だ。けれど髪と瞳の色が全然違う。髪は焦げ茶色だし、目は琥珀色だ。顔は……よくよく見れば、確かにあの時の彼かもしれない。
でもあの日は夜で暗かったし、彼とは十数分しか一緒にいなかったし、しかもその半分近くは彼の肩か背中の上にいたわけで。
正直、彼の顔を見たのはほんの数分だったのだ。
だからすぐ気づかなくても仕方ない。そう、仕方がない。
「やっと来たな。ナリミヤチエ」
「あ……どうも、こんにちは」
「初めてここに来て、いきなり出くわしたのが、鵺とキマイラじゃ驚くよな。よく逃げ出さなかったな。偉い偉い」
湊はニッと歯を見せて笑った。
「そ、それなんですけど! この人たちは一体なんなんですか?」
「まぁ、分かりやすく言えば『妖怪』とか『幻獣』というやつだな。俺たちの中では『異類』と呼ばれているけど」
「異類……」
智恵は大きく頷きながら、貰った名刺にもあった耳慣れない単語を噛みしめる。
信じられない! こんなのありえない! ……と主張できないのは、自分をとりまいている環境のせいだ。
『人ならざるもの』を、これまで散々目にしてきたのだから、妖怪なんているはずないと、頭ごなしに否定などできない。