エピローグ:大団円まであと一歩?
以前と変わらない日々が戻って来た。いや、智恵にとっては変化があった。珠緒の指摘どおり、今まで智恵を監視してきたあやかしがきれいさっぱりいなくなった。そのおかげだろうか、気分もすっきりして、文字どおり、景色が明るく見えるようになったのだ。
「お智恵ちゃん、最近ものすごく機嫌がいいわね」
「いい人でもできたのかしら」
「元々きれいだったけど、ますます輝いてるわ。若いっていいわねぇ……」
受付のそばで屯している幽霊三人娘が、智恵を見てヒソヒソニヤニヤ話をする。
「聞こえてますけどぉ?」
カウンターの内側から声をかけると、彼女たちは「きゃーっ」と騒ぎながら、慌てて散っていった。
「もう、相変わらずだなぁ、お露さんたち」
でもこんな些細なやりとりも楽しくて、智恵はクスクスと笑う。
あれから、兄の智真は足濱智世神社の神職として落ち着くことになった。命を削るように修行する必要もなくなったからだ。
これからは神社の運営に専念するそうだ。
しかしその前に、理世子との結婚だ。
二人は正式に婚約をした。結婚式は半年後で、もちろん神前式。
結婚すれば理世子は実家の農業からは手を引くらしい。繁忙期だけは手伝いに行くらしいが、基本的には智恵の母から神社の運営の裏方業務を引き継ぐのだろう。
実家と成宮家との間で行き来で、今よりも忙しい身になるのではと、智恵も最初は心配したものの、タイミングよく柿崎家には人が増えた。
新兵衛だ。
智恵や珠緒を悩ませてきた新兵衛の就職だが、なんと彼は今、柿崎家にいる。
農業に従事しつつ、智真に剪紙成兵術を教える師として、足濱智世神社にも通っているらしい。
何故、物臭な新兵衛が、農家に入ったのか――それは『恋の力』に他ならない。
新兵衛はあの日、理世子の妹・紀代子に一目惚れしたのだ。
紀代子は実家の手伝いをしつつ、成宮家の温泉施設のスタッフとしても働いていた。智恵たちが足濱童子を封印した後、そのまま温泉へ行った時に応対してくれたのが紀代子だったのだが、その時見せてくれた笑顔に、新兵衛は一発で陥落てしまった。
以来、以前のものぐさぶりはどこへやら、真剣に紀代子へ求婚しているというのだから、案内所の皆はそれはそれは驚いたのだった。
そして新兵衛はこの時代で生きていくにあたり『新川永芳』と名乗ることになった。新兵衛の『新』を苗字に据え、名前には師匠の歌川国芳の『芳』をいただいた。
足濱童子との戦いと紀代子との出逢いが転機となり、心をすっかり入れ替えた永芳は、案内所での社会生活支援プログラムをきっちりと終わらせた後、智恵の両親を後見人とし、柿崎家の世話になることになった。
案内所を卒業する時、永芳は智恵にこう言った。
『お智恵、いろいろありがとうな。実家に帰って来た時には、俺にも声かけてくれよ。その頃には、お紀代ちゃんと夫婦になってるはずだぜ』
笑って去って行く後ろ姿を見て、智恵はしんみりと涙ぐんでしまったのだった。
ちなみに紀代子から連絡が来て、
『智恵姉ちゃん、永芳さんがすごい手品を見せてくれるんだけど、タネがどうしても分からないの。あれ、どういう仕掛けなの?』
と尋ねられ、智恵が苦笑いしたのは想像に難くない。
珠緒は相変わらず『異類生活支援案内所』の所長として忙しくしている。しかし妖狐から一転、神の使いへと昇格したためか、珠緒の元には、彼女を女神と崇める異類たちが、弟子入りや下僕を希望しにやって来るようになった。
それが鬱陶しくてたまらないらしく、
「こんなことなら、妖狐のままでよかったわよ……」
と、アンニュイに呟く姿を、智恵はたびたび目撃している。
若い女性を拉致して血液を奪い、それに気づいた湊の父を殺した黒幕の蘇芳は、吸血鬼族の名誉を汚したとして、家系図から名前を抹消、墓すら作ってもらえなかったという。
有名代議士だった彼が女性を拉致して殺していた、という事件はセンセーショナルすぎて、しばらくは新聞の一面やニュースのトップを賑わせ、SNSのトレンドでも上位を独占した。
当然ながら、女性を拉致した動機について『食料として』とは公表できないので、一連の犯行はあくまでも『女性のみを狙ったシリアルキラーの凶行』として伝えられた。
ちなみに表向き、蘇芳は犯行が露見しそうになったので死を選んだ、ということになっている。遺体発見時に犯行の詳細を記載した遺書と、拉致した女性から奪った『戦利品』が見つかったと、ニュースで大々的に報道されていた。
蘇芳グループの株は大暴落し、経済界は世界をも巻き込んで阿鼻叫喚に。この時の混乱は後に『蘇芳ショック』と呼ばれるようになった。
『智恵、その後どうだ? 変なものにまとわりつかれてないか?』
足濱童子が再封印されてから二週間ほど経ったある日の昼休み、案内課で昼食を食べていると、智真から電話があった。
廊下の隅っこで応答すると、まず身の回りについて心配された。
「うん、大丈夫。あれからなんにも起こらなくなったの。でも念のため、護符は身につけてるけどね」
『それがいい。お前の仕事上、つけておく方が無難だ。……ところで、湊は元気か? この間、ずいぶんと迷惑かけちまったみたいだからな。怒ってたか?』
これは足濱童子封印の件についてではない。その夜の宴会の時の話だ。
理世子へのプロポーズが成功した智真は、テンションマックスになり、やたらめったら湊に絡んでいた。湊は大人なので、その場では嫌そうな顔はしていなかったものの、きっとうざいと思っていただろう。
翌日目覚めた智真に、母の春恵はかなり怒っていたそうだ。しかも、
『ひょっとしたら、智恵の旦那さんになる子かもしれないのに! 兄のあなたが迷惑かけてどうするの! 反省しなさい!』
と、どさくさに紛れて『湊はうちの娘婿候補』発言をぶちかましたのだとか。
内容についても遺憾ではあるが、それよりも、その時の母の口ぶりがまるで子どもを叱る若いママさんのようだったと、兄がぼやいていたのがおかしかった。
『俺これでも来年三十のアラサーだし、しかも足濱童子を再封印した「二代目・伝説の神職」なのになぁ~。偉かったのになぁ~』
兄は情けない声でそう言っていたのだから、子どものように叱られてもまぁ、仕方がないと思ったのだった。
「湊さんは何も言ってなかったけど……気にしてるなら本人に謝りなよ」
『そうか。……智恵、この間は、結婚は早いって言ったけどな。俺は湊だったら許せるぞ? 足濱童子が復活しそうになった時も、あいつは智恵を守ってくれた。俺は湊を認めてるからな?」
「もう、何度言ったら分かるの? 私と湊さんはそんな仲じゃないってば。湊さんだって……私なんかを押しつけられたら迷惑よ、きっと」
『でもこの先どうなるか、分からないだろう?』
「しつこいってば、もう。私よりもお兄ちゃん、理世子のことをちゃんと幸せにしないと、私怒るからね!」
智恵は兄の言葉を振り切るように言い放ち、電話を切った。
「……ほんとにみんな、余計なお世話!」
どうして誰もかれも、湊のことを言うのだろう。
「……そんなに分かりやすいのかな」
自分的には、それほど顔に出るタイプだとは思っていないのだが。それでも周囲からはバレバレなのだろうか。
「やっぱり……分かっちゃうかなぁ……」
恥ずかしくて、両手で顔を覆う。
「ひょっとして、湊さんにもバレてるとか!? ひぇえええ……やだどうしよう……」
「――俺がなんだって?」
「ひえっ」
真後ろから聞こえたバリトンボイスに、智恵はビクリと身体を震わせた。
恐る恐る振り返ると、爽やかな笑顔の湊が立っていた。父親の事件が解決したことで、彼がまとっていた憂いのようなものがほとんど晴れたようだ。
今のように、明るい笑顔を見せてくれることが増えた。
「電話してたろ? 俺のこと話してた?」
「あ、あのですね。兄が、この間湊さんに迷惑をかけてしまって、申し訳なかった、って、言ってました!」
自分で謝れとアドバイスした、その舌の根が乾く間もなく、兄のメッセンジャーをしてしまった。
でも上手くごまかせそうなので、結果オーライだ。
「ふーん……。ところでさ、今度、東京スーパーマラソンに、操田くんが出るらしい」
「あ、『皇居ラン』の!」
「そう。しかも準エリートで出るって」
「準エリート?」
「要はフルマラソンを二時間三十二分以内で走りきれるランナー、ってこと」
「えぇっ、すごい! まだマラソン始めたばかりなのに……」
操田はあれからも走り続け、眠っていた長距離ランナーとしての才能を開花させたそうだ。
全国の中長距離走大会に出ては好成績を残し、アマチュアランナー界では『彗星のごとく現れた、期待の長距離ランナー』だとか『オリンピックマラソン金メダルに、一番近い日本男児』などと言われているらしい。
操田と定期的に連絡を取っている湊が、教えてくれた。
「あいつも外類半妖だから、いろいろ相談されるんだよ、俺」
操田はグリフォンと人間のハーフなので、人狼と人間のハーフである湊を兄のように慕ってくれているらしい。
「ほんと面倒見いいですよねぇ……湊さんって」
見た目は冷たそうなのにな……と、智恵は少々失礼なことを心の中で思う。
「今頃知ったか? 俺、智恵の面倒だって人一倍見てるだろ?」
「う、確かに……お世話になってます」
出逢った日から今日まで、湊の世話になりっぱなしだ。兄妹揃って迷惑をかけているのが、申し訳なくて仕方がない。
「ま、これからもずっと、面倒見てやるよ。俺にはお前を拾ってきた責任があるからな」
「捨て犬じゃないんだから、もう……」
「あははは」
穏やかな笑みを浮かべた湊が、頬を膨らませた智恵の頭をくしゃりと掻き撫でる。
「……」
途端、智恵の顔がぶわりと赤くなる。彼に触れられた頭から、蒸気が噴き出そうだ。
二人の間に、どこか甘い空気が流れた気がする。
「あ~! お智恵ちゃんと湊くんがいちゃいちゃしてる~!」
「やだ……職場でいちゃつくなんて不潔……」
「いいじゃなぁい。アオハルってやつよ、アオハル」
「やだもう……お岩ちゃんったら、覚えたての若者の言葉使いたがって、オバサンみたいよ」
「オバサンみたい、じゃなくて立派なオバサンなの。……むしろババアだよ。それに若者の言葉~なんて言ってる時点で、二人ともババアだから。ちゃんと自覚してよね」
「ちょっとお菊ちゃん! ババアはやめて! 昔、伊右衛門様に『俺に指図するなババア』って言われて以来、トラウマなのよぉ」
姦しい三人娘がやいのやいの言っている脇を、智恵と湊はスッ……と通り過ぎる。そして総合案内課まで戻ると、顔を見合わせてクスクスと笑った。
「あの三人、ほんと賑やかだよな」
「でもそれが彼女たちのいいところですし……私、結構好きなんですよ? 成仏しちゃったら……きっと淋しくなっちゃうなぁ……」
うるさいと思うこともあるが、彼女たちの明るさは『異類生活支援案内所』のオアシスでもある。たまには聞きたい時もあるのだ。
「そうか。……まぁでも、当分はこのままだと思うぞ?」
「だといいんですけど」
「ところで、人狼って鼻だけじゃなく、耳もいいって知ってるか?」
突然話を変えられて、少し戸惑うも、すぐに頭を切り替える。
「あ、そうですよね。遠くの音も聞こえたりするとか?」
「だから、数メートル先で電話してるやつがいると、その通話相手の話し声まで聞こえてくるんだ」
「うーん……それは便利なのかしんどいのか、分かりませんね」
耳がいいのも考えものだなぁと、智恵が唸っていると。湊がクスクスと笑っているではないか。
「……まだ気づいてないのか」
「はい? 何が?」
「電話の声が聞こえるってことは、さっきの智恵と智真さんの電話の声も聞こえてた、ってことだぞ?」
湊がくつくつと、喉の奥で笑いを殺している。
「え? ……っ、あ! ちょっ……と、ほんとに? ほんとに聞こえちゃってました!?」
「俺なら、智恵の結婚相手として許せるとかなんとか?」
「っ!!」
よりにもよって、湊本人に聞かれてしまうなんて!
この間は蘇芳に未経験だとバラされてしまったし、本当にもう、湊の前では恥ずかしい思いをしてばかりだ。
「……すみません、兄が突っ走ってしまって。聞かなかったことにしてもらえると……助かります」
何故か両手で耳を塞ぎながら、かぶりを振る。恥ずかしさを弾き飛ばしたい。
しばらくして、そっと顔を上げると、湊が優しく目を細めていた。
「……本当にそれでいいのか?」
「はい?」
「聞かなかったことにしていいのか?」
「えっと、あの……」
課内に静寂が訪れる。諏訪原は外にランチを食べに行っているので、今この場にいるのは二人だけだ。
(ひょっとして……)
さっきの「ずっと面倒見てやる」発言といい、今の発言といい、期待してしまっても、いいのだろうか――智恵は久しぶりに訪れたときめきに、どう反応したらいいのか忘れてしまっている。
恋愛偏差値底辺の自分が、心底情けない。
すると頭の上に湊の手が伸びてきて、さっきのようにくしゃりと撫でた。
「まぁ、焦らずゆっくり自分と向き合えよ。……智恵は俺の――なんだからな」
「え? なんですか? 最後聞こえなかったです」
「智恵の中で答えが出たら、その時に教えてやるよ」
湊がフッと笑うのを見て、智恵はなんだか悔しくなった。
――でも、嫌じゃない悔しさだった。
了
すでに書き終えていたものなので、だだだっとコピペしてまいりました。
オメガバース以外の現代ファンタジーは初めてでしたし、恋愛要素入れるの下手だし、なんだか最後は智恵よりも智真の恋愛成就で終わってしまいましたが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
「異類生活支援案内所」を舞台にした作品としては、まだ書きたいネタがあります。智恵と湊の恋愛もまだ着地してませんし、主人公を別な子にした話もうっすら浮かんでいるので、おいおい書いていけたらなぁと思います。
感想欄解放恐怖症なので、もしご感想いただけるのであれば、Xやマシュマロ宛て(https://marshmallow-qa.com/chippedsharkfin?t=TiWLCh&utm_medium=url_text&utm_source=promotion)にいただければ嬉しいです。
お読みいただいた方、ありがとうございました。




