第30話:ほんとのラスボスはお兄ちゃん?
「さぁさぁ皆さん、遠慮なく召し上がってください」
智恵の母・春恵の弾んだ声が、二部屋をぶち抜いた和室に行き渡る。
そこに置かれた広々とした食卓の上に、大きな寿司桶がいくつも並ぶ。大皿に載った唐揚げやサラダも。
テーブルの脇には、冷えた瓶ビールが何本も立てられているし、熱燗も次々に運ばれている。
食卓についた者たちが皆、ビールで満たされたピルスナーを手にしたところで、成宮家当主・成宮智章が立ち上がった。
「皆様、この度は五百年振りの足濱童子封印のため、お力添えいただき、感謝の念に堪えません。お陰様で、無事に悪鬼を再封印することができました。本当にありがとうございました。――そして智真、これまでよく頑張った。なまじ私よりも力があったせいで、お前にはすべての苦労を押しつける形になってしまって申し訳なかったな。これからしばらくはゆっくり過ごすといい。お前がいてくれるので、この足濱智世神社もまだしばらくは安泰だ。本当にありがとう。――話はこれくらいにして、今日はささやかではありますが、お礼の席を設けさせていただきました。大部屋ではありますが、隣に寝室もご用意しておりますので、心ゆくまで飲んで食べて、楽しくお過ごしください」
智章が最後に「乾杯」と、グラスを掲げると、そこにいた皆が「乾杯!」と声を上げた。
「はぁ~、やっぱり風呂上がりのビールは最高だなぁ」
全身ピカピカになった海が、ビールを一気に呷って一息つく。
「まさか温泉に入れるとは思わなかったですな」
本多もまた、満足げにビールを口にする。
成宮家のそばには自前の温泉施設があり、入浴料を払えば参拝者も入ることができる。
智恵も含め、足濱童子や蘇芳と対峙した者たちは皆、全身ドロドロだったので、温泉を貸し切りにしてのんびりと疲れを癒やすことにしたのだ。
一番喜んだのは、もちろん海だった。
風呂上がりには揃いの浴衣を身につけた。そこで一番大きく声を上げたのは新兵衛だった。
「こいつぁ、久しぶりに故郷に帰って来た気分だぜ」
浴衣の帯をパン、と叩きながら、ご機嫌でコーヒー牛乳を呷る姿が、なんだかちぐはぐで笑ってしまった。
「私は何もしてないのに、なんだか疲れた……」
智恵は海老のにぎりを頬張りながら、呟いた。
「で、智恵の好きな人は誰なの?」
智恵の横に張りついた母が、耳打ちをする。
「は? 何言ってるのお母さん」
「だって、みんなイケメンじゃないの。それにここにいるということは、足濱童子の封印に手を貸してくれた子たちなんでしょう? そんな人たちなら、誰を選んでもお母さん、反対しないわよ?」
春恵がニヤニヤしながらビールを口にする。
「そんなんじゃないから……もう」
そうくちびるを尖らせながらも、智恵の目は少し離れた場所を捉えていた。浴衣姿でグラスを手にしている湊が、智真からビールを注がれて笑っている。
(何、話してるんだろう……)
とても仲良さそうなので、少し羨ましいと思ってしまった。ほんの少しだけ。
「智恵ちゃん、ちょっといい?」
珠緒がグラスを持ったまま、智恵の隣に移動してきた。彼女ももれなく浴衣姿なのだが、とんでもなく色っぽくて、同性ながら目のやり場に困ってしまうほどだ。
「はい。……あ、珠緒さん、飲んでますか?」
智恵はそばにあった瓶を持ち、珠緒のグラスにビールを注いだ。
「ありがとう。智恵ちゃん、すっかり身ぎれいになったみたいね」
「え?」
「初めて会った時に言ったわよね。『よっぽど強い何かに狙われてる』って。あの気配が、すっかり消えてるわよ」
「そうなんですか!? やったあ!」
ということは、今までつきまとってきた、あの変なものはもう現れないということだ。
智恵の中のもやもやが、一気に解消されていく。
「五百年後、智恵ちゃんたちの子孫がまた苦労することになるかもしれないけれど、今回のことは、智真くんとご両親が記録として残すはずだし、きっとまた無事に封印できるわよ」
珠緒はグラスを軽く掲げた後、中のビールを一気に飲み干した。
「所長、その時まで生きていたら、うちの子孫も助けてあげてくださいね。頼みましたよ?」
智恵はにっこりと笑ってお願いする。
「えぇ……私、そんなに長生きできるかしら」
「できますよぉ。……なんてったって『神様の使い』ですからね、所長は」
胸を張って断言すると、珠緒は目を細める。
「そんなお願いする前に、ちゃんと子孫を残しなさいよ? 智真くんも智恵ちゃんも。この県の未来は、あなたたちにかかってるんだから」
「あはは……相手がいればいいんですけどね」
今現在独身で、彼氏もいない智恵は、少しばかり後ろめたくなる。
「あらぁ……案外、すぐ近くにいるんじゃないかしら?」
珠緒は目を細めたまま、視線を少し遠くに移した。そこにいたのは――
「――所長、その目は何か悪巧みを考えてる目ですよ」
彼女の視線に捉えられた湊は、その目が持つ意味が分からないまま、突っ込んできた。
「いえね、智恵ちゃんが結婚したいって言ってるか――」
「所長! 私、そんなこと、ひとっことも言ってませんけど!?」
智恵が大慌てで、珠緒の口を塞ぐ。
「何? 智恵、結婚するのか!?」
湊の隣にいた智真が、とろんとした目をカッと見開いて立ち上がった。その手にはジョッキが握られている。疲れた身体にビールが効いているのか、どこか足元が覚束ない。
「だから、そんなこと一言も言ってないです!」
「いいじゃない。ここに年頃の男が何人もいるわよ? 選び放題よぉ」
珠緒は湊、海、新兵衛、若手烏天狗――と、智恵と近い世代の独身男を順番に指差していく。
「智恵の結婚はまだ早い! お前より、まずは俺だろう」
智真はジョッキをテーブルに置いて、キッと、ある方向を見据えた。
「――足濱童子は無事封印した。これからは平和に暮らせる。……だから理世子、結婚するぞ」
その場にいた全員が、智真の視線を追う。そこには、握り寿司を頬張ったまま固まった理世子がいた。
「え……おにい、ちゃん……と、理世子?」
智恵の視線が、智真と理世子の間を何度も往復する。
「智真くん……私でいいの?」
「俺の嫁は理世子しかいない。……待たせて悪かったな」
智真が大股で理世子のもとへ行き、跪いて。ポケットから指輪を取り出して、理世子の左手の薬指にはめた。
ダイヤモンドがキラキラと、神々しい煌めきを放っている。
「……智真くん」
理世子は涙をこらえるように、ぱちぱちとまばたきを繰り返している。
「もう智真ったら……プロポーズするにしても、場所を考えなさいよ」
智恵の隣では、母がやれやれとため息をついている。
「ちょっ、お母さん! お兄ちゃんと理世子って、つきあってたの?」
「つきあってた、っていうか……理世ちゃんはずっと智真のことが好きだったらしいのよ。でもほら、智真は足濱童子の封印をしなきゃいけなかったから、命の保証はないし、智真と繋がることで理世ちゃんも危険な目に遭うかもしれなかったから、ずっと一線を引いていたのよ」
でも童子を封じ込めた今、二人の間にはなんの障害もなくなった。理世子なら、成宮家の使命をちゃんと理解しているそうだし、逆に成宮家の面々も理世子のことをよく知っている。
母は昔から柿崎姉妹には智恵の姉妹のように接してきたので、智真と理世子が結婚しても、上手くやっていけるだろう。
兄と親友が結婚すると聞いて、嬉しい気持ち半分。
(それにしても……どうして私には何も言ってくれなかったのよ! 理世子!)
親友が兄との関係を何一つ教えておいてくれなかったことに、ほんの少しの憤りを感じる気持ちが四分の一。
理世子が智真に想いを寄せていたとまったく気づかなかった自分にも、少しだけ呆れる気持ちが四分の一。
(……いや、おめでたいし、私も嬉しい!)
半分を占めていた複雑な気持ちをなぎ払い、温かい気持ちで満たして。
「理世子! お兄ちゃん! 婚約おめでとう!」
智恵は「かんぱーい!」と、二人に向かってグラスを掲げたのだった。