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【本編完結】転職先には人間がいませんでした  作者: 沢渡奈々子
第4章 鬼との対決

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第29話:ラスボス_2

「――兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」


 智真は手の組み方を変えながら呪文を唱え、九字を切っていく。そして最後に忍者のように刀印を結び、空に格子を描いた。

 描かれた格子が網を象り、足濱童子の胴と脚に巻きついて動きを封じる。

 智真は懐から縄を二本取り出した。この日のために本堂で祈りを込め、清めの香で焚きしめられた縄を、顕現した虎と牛の首にそれぞれかけた。縄の片側は己の手首に巻きつける。そして――


「――式神に今、智嗣の魂を移し、悪鬼を封じる。――行け」


 手首に巻いた綱を掴んだこぶしを、足濱童子に向かって突き出した。途端、式神の虎が咆哮を轟かせ、牙を剥き、右側から童子に襲いかかった。そして黒い牛が蹄を鳴らして左側から角を突き刺す。


『ぐぅわぁあああああ! やめろぉおおおおお!』

「――鬼門はうしとらの方角。だから丑と寅の間から戻してやればいい」


 聞いたこともないような智真の低く太い声に、智恵のまなじりから涙が零れ落ちた。


(お兄ちゃん……!)


 兄はこの日のために、厳しい修行を積んできたのだと思うと、涙が止まらなかった。

 智恵は知らなかった。何も知らされていなかった。極力普通の女の子として育てられ、生活しているその裏で、兄は血の滲むような努力を繰り返してきたのだ。

 智恵の心の中は、申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちでいっぱいだった。

 新兵衛によって呼び出された式神の虎と牛が、智真の力で足濱童子を追い詰める。そこに九尾の狐も加われば、童子にはもうなす術はないだろう。


『お前の住処に戻りなさい!』


 虎と牛が両側を固めているので、珠緒は真正面から悪鬼を押し返す。


『おのれぇえええええ! 許さん! 許さんぞぉおおおお!』


 少しずつ、少しずつ、玉砂利に童子が後ずさる跡がついていく。智真と珠緒以外の者は皆、息を呑んでそれを見守る。


(お兄ちゃん、頑張って……!)


 智恵は護符を握りしめて祈りを込める。なんの助けにもならないとは思うが、祈らずにいられない。

 それは他の面々も同じようだ。智恵の隣では、湊が瞬きもせずに目の前の戦いを見つめている。後ろでは海や本多たちも、同じ面持ちで立っていた。

 心の中では、智真と珠緒の勝利を願っているのだろう。

 そして――足濱童子の巨躯が石碑まで届いた瞬間、智真が高らかに宣言した。


「――悪鬼の実体を今、ここに封ず」


 彼は手にしていた縄を石碑に幾重にも巻きつけ、祓串を拾い上げると、さらに祈祷の句を口にする。

 智真が祈りを込めるごとに、童子の身体が石碑に吸い込まれていく。

 岩のような顔が苦しげに歪み、尖った爪がザリザリと岩を掻くも、巨躯はあっという間に石の中に引きずり込まれていった。


『ぐぅわぁあああああ!! 智嗣の子孫めぇええええ! この恨みは、五百年いおとせの後に――』


 恨みの言を残し切る前に、足濱童子はすっかり消失した。

 辺りは静寂を取り戻し、雷鳴も暗雲もなかったように青空が広がり、石碑には日の光が差し込み始める。

 淀んだ空気はまるで、空気清浄機を通したかのように澄んできれいになった。息苦しさもすっかりなくなり、智恵は大きく深呼吸する――肺に吸い込んだ空気は、とても美味しかった。

 新兵衛が呼び出した式神の虎と牛は、ただの紙切れになった。智真はそれで紙垂を折り、石碑に巻かれたしめ縄に差し込む。それからもう一本、予備として準備してあった縄を桃の木に結びつけ、同じく紙垂を差し込んだ。

 そして最後にもう一度祈りを捧げた。それはとても長い時間だった。しめ縄と紙垂の上から、結界の呪術を施すためだろう。その間、智恵たちも一緒に手を合わせる。

 そしてすべてが終わるや否や、智真はガクリと玉砂利の上に膝をつき、倒れ込んだ。


「お兄ちゃん……!!」


 智恵は兄に駆け寄り、身体を支えた。体力と気力のすべてを使い果たしたのだろう。智真はふぅ、と浅い息をつく。汗を拭う手すら動かせずにいる兄のために、智恵はハンカチで彼の顔を拭く。


「……智恵、ありがとな」

「お兄ちゃんこそありがとう。お疲れ様……ほんとに、お疲れ様」


 拭ったばかりの兄の顔に、智恵の涙がぽたりぽたりと落ちる。それを都度拭き取る。


「……俺より、珠緒さんと……新兵衛に……礼を言ってやってくれ」

「うん……うん……」


 涙ながらに振り返ると、九尾の狐が見当たらない。その代わりにいたのは、純白の狐だった。尾は九本ではなく、六本になっている。


『どうやら、力を使いすぎて尾を三本も失ってしまったわ。……何年振りかしら、九本じゃない私って』


 珠緒が気の抜けた声で呟いた。


「でも所長……身体の色が真っ白になってます。きれい……」


 神々しいきらめきに、智恵がうっとりしていると、本多が微笑んで言う。


「神の使いだと、認められたんじゃないでしょうか」

「おめでとうございます、所長」


 その場にいる者が皆、珠緒に拍手を送る。


『あぁもう、やめてちょうだい。……私は私よ。これからも変わらないわ』


 珠緒が白い尾をブンブンと振る。照れ隠しなのだろうと、智恵も皆もほっこりする。

 新兵衛もまた、力を使い果たして砂利の上で大の字になっていた。なんと、いびきをかいているではないか。


「本当に、この男は大物だな……」


 湊がぼそりと呟いた。


「あのー……」


 戦いの後の穏やかな空間に響く、間の抜けた声。全員の目が一斉に声の主へ向く。すべての視線を受け止めたのは、海だ。

 剥離液を浴びた身体に、足濱童子が巻き上げた木の葉や枝や小石がびっしりと張りつき、まるで戦場でギリースーツをまとった狙撃手のような風貌になっていた。


「――すべて解決したということで、すみませんが、俺は風呂に入りたいです」


 その姿を見て、智恵は申し訳ないと思いつつも笑ってしまったのだった。

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