第22話:兄はできる子
翌週のある日、智恵が駒子の店へのお使いから帰って来ると、諏訪原に呼び止められた。
「智恵くん、お客様が来ているよ」
「はい? 私にですか?」
「うん。所長と一緒に応接室にいるから行って」
ここに智恵の客として来る人物に、心当たりはまったくない。
「……誰だろう?」
呟きながら上に行き、所長室の扉をノックする。返事が来たのでドアを開き「失礼します」と口にしながら中へ入る。
「私にお客様って……って、お兄ちゃん!?」
「おう、智恵。元気だったか?」
ソファに座って紅茶を飲んでいたのは、確かに兄の智真だった。
ジャケットにノーネクタイシャツ、コットンパンツというスマートカジュアルで、髪はバックとサイドがすっきりと刈り込まれたベリーショートのすっきりイケメンが、そこにはいた。
「うっそ……」
ここ数年、智恵が目にする智真の姿ときたら、修験装束か白衣と袴か、だ。しかも髪も髭も「手入れ? 何それ美味しいの?」状態だった。
極々プライベートな時はジャージの上下だったりもするが、とにかくこんなお洒落な兄を見たのは久しぶりなのだ。
「智恵が元気そうでよかった。護符もちゃんと効いているみたいだな」
兄のちゃんとした姿を見て感心した次の瞬間、はたと気づく。
「って、お兄ちゃん、どうしてここにいるの? っていうかどうして来られたの!?」
目を剥いて詰め寄る智恵に、智真は「まぁまぁ座りなさいよ」と、まるで我が家のような振る舞いで着席を促した。
「智恵ちゃん、お兄さんのお隣にお座りなさいな」
智真の前に座っていた珠緒が、兄の隣を指し示したので、言われるままに腰を下ろす。
「所長、どうして兄がここにいるんですか?」
ここを教えたこともないのに。誰に教えられるでもなく辿り着いたのだろうか。そしてここにいるということは、兄には少なからず『適正』があるということだ。
「あなたのお兄さん――智真くん、かなりの力を持つ神職ね。修行の賜でもあるけれど、血筋のおかげもありそうだわ」
珠緒は感心しきり、といった様子だ。
「どういうこと……?」
「智恵、前に帰省した時、俺に新しい職場の名刺をくれたろ? リサーチ会社の。あれにかなりの妖力を感じたんだ。それで俺も負けずに名刺に法力を込めたらな、ここの住所が出た」
「え、そんなことってある? 何がどうなってるんですか、所長」
負けず嫌いの性質が規格外すぎて、目が回りそうだ。確かに名刺を渡した時、智真の様子が少しおかしかったのは、智恵も覚えている。
けれどいくら名刺に妖力を感じたからって、自分の法力を込めるなんてありえない。
我が兄ながら人間離れしていると、呆れてしまった。
「あのダミーの名刺は、なんの霊感もない人には普通のリサーチ会社の名刺なんだけれど、ちょっとしたギミックを仕込んであるのよ。ある程度の力を込めると、案内所の住所が出るようになっているというわけ」
「えー……」
「俺はそれが智恵からの救援メッセージかと思って、駆けつけてみたんだが、まさかこんな組織が存在するとはなぁ……。俺も職業柄、いろんな霊やあやかしは見てきたが、さすがに九尾狐みたいな上級中の上級は初めてだわ」
智真は、普段はブラコンに片足を突っ込んだ心配性の兄なのだが、こういうところを見ると、やっぱり神職としては有能なのだな、と認めざるを得ない。
しかも智真は、珠緒の妖力の洗礼をものともしなかったらしい。今も、まるで尊敬しているとでも言いたげなキラキラした表情で、珠緒を見つめているのだから。
智真は智恵以上に異類への適性があるのだろうと、珠緒が感心していた。
「ところで智恵ちゃん、お兄さん、あなたに話したいことがあるみたいよ」
「話したいこと……?」
隠していたはずの智恵の本当の職場に、こうしてわざわざお洒落をしてまで来るくらいだ。まさか世間話をするためではないだろう。
「……智恵、お前がこの間帰って来た時、鬼封印のために必要な三人の話をしたのを覚えてるか?」
智真が表情を一変させたので、思わず智恵も居住まいを正す。
「あ、うん……『封鬼士』と『相士』と『案内人』、で、お兄ちゃんが封鬼士……なんでしょう?」
智恵の答えに大きく頷いた智真は、数呼吸ほど間を取って、それから決心したように口を開いた。
「……案内人は、お前だ、智恵」
「……え? わ、たし?」
予想もしていなかった一言に、智恵の目がまんまるになる。
「この間お前がうちに帰って来た時に、それが分かったんだけどな……あの場で断言するのははばかられた」
「ど、どうして分かったの……? その、私が『案内人』って……しかも今になって?」
「多分、機が熟したんだろうな」
「機が熟した……封印の準備ができた、ってこと?」
「俺もまだ全部分かってない。だからここに来た。智恵の名刺にかけられた術を解いた時に出てきた住所に来れば、何かがつかめると思ったんだ」
「でも、私、案内人だなんて自覚がまったくないけど」
「智恵には自覚がなくても、俺には分かる。……智恵は小さい頃から鬼の怨念に見張られていたよな。俺はてっきり、成宮家の人間だからだと思っていたんだが、あいつらは多分、智恵の中に案内人の兆しが見えていたんだ。護符が効いていたから手出しできなかったんだな。しかしなぁ……俺はてっきり、案内人は坊さんか神主辺りだと思ってたんだ。まさか、自分の実の妹がそうだなんて、まったく想像もしなかった」
智真曰く。今までずっと日本全国で修行をしてきたのは、相士や案内人を探すことも目的だったという。
とにかく会ってしまえば分かるのではないかと、藁にも縋る思いだったそうだ。
「やっぱり、機が熟さないとダメだったんだな、って、今なら分かる。こうしてここに来てみれば、智恵が案内人だって嫌というほど実感できるし、それに何より……相士の気配も感じるようになった」
「え、相士ももういるの?」
「何日か前に、突然気配を感じられるようになった」
ということは、相士は智恵たちの近くにいるということだ。
(誰なんだろう……)
「――ちょっといいかしら」
今まで沈黙していた珠緒が、嘴を挟む。智恵と智真が同時に顔を上げた。
「なんですか? 所長」
「私ね、智恵ちゃんから足濱童子のことを聞いて、自分でも調べてみたのよ。……当時、足濱山を根城にしていた雷獣一族の長老が知り合いにいてね。足濱童子の封印について覚えていて、話してくれたわ」
雷獣とは、狸と犬を掛け合わせたような見た目をした妖怪で、落雷とともに現れ、雲に乗って空を飛んだと言われる。
珠緒曰く。足濱童子が大暴れした時、雷獣は一族揃って他地域に逃げ出したが、当時幼かった長老は逃げ遅れてしまい、ひたすら穴の中でじっとしていたという。
「成宮智嗣と彼の相棒が封印したのもこっそり見ていたそうだけど、相士となった僧侶は、どうやら……時渡りの人だったみたいなのよ」




