第21話:大事なものを隠すには……
智恵が案内所で働くようになって、三ヶ月近く経った。
お盆もとうに過ぎたが、スタッフはちらほらと遅い夏休みを取っている。
というのも、実は案内所にはお盆休みはない。何故ならその時期、案内所はとても忙しくなるからだ。
そう、祖先の霊が現世に帰って来るため、今この世に彷徨っている霊たちとトラブルを起こす事件が増えるのだ。
それを解決するのも、何故か案内所の仕事の一つだというのだから、智恵は驚いた。全国の提携寺社とタッグを組んではいるものの、何せ帰ってきている霊同士のトラブル、むやみやたらに除霊をするわけにもいかないし、根本的な問題を解決しないと、毎年同じことの繰り返しになってしまう。
そこで出動するのが、案内所の担当者だ。
今年はとある男性の霊が帰って来た家に、愛人の霊が押しかけてきて、妻の前で大ゲンカしたのだ。
とは言っても、妻はまだ健在である。まさか自分がせっせとお供えをしている仏間で、亡き夫と愛人がケンカをしているなんて、見えてもいないし、思ってもいないだろう。
本当はそういうトラブルに対処するのは、幽霊課に所属する霊媒師なのだが、何故かこの時も活躍したのは幽霊三人娘だった。
「男ってほんとどうしようもないわねぇ。浮気ばっかりで」
と、お岩がうんざりしていたものの、愛人を説得し、とっとと成仏させていた。
それを聞いた智恵は、「もうお岩さんたちは、いっそ案内所で雇った方がいいのでは……?」と思ったのだ。
お盆が終われば、秋の異類コンの準備だ。毎年、異類が経営しているホテルのバンケットルームで行われる。
智恵は参加者募集の案内を作成したり、その後は種族別の名簿を作ったりと、まあまあ忙しい。
「智恵ちゃん、おはよう。今年も異類コンやるんだって?」
バックパックを背負った送り犬の海が、案内課にやって来た。
「あ、そうみたいです。海さんも参加するんですか?」
「そうだなぁ……今年は出てみようかなぁ」
「どうぞどうぞ。案内ができたらホームページに載せますから」
海は湊と同じ年なので二十七歳だ。すごく若く見えるので、年上から可愛がられそうだ。
「智恵ちゃんが結婚してくれれば、異類コンに出る必要もないんだけどねぇ」
海が片眉をクイと上げて笑う。
「またまたー。ここの人たち、みーんな私をからかうんで、もう慣れましたからね」
「からかってなんかいないのになぁ。……ま、いっか。今日は湊、来てるはずだよね。……いないの?」
あっさりと話を切り替えた海が、カウンターの中を見回す。
(こういうところよ、こういうところ!)
からかっているということが如実に分かってしまう態度に、智恵は苦笑い。
「湊さんは、諏訪原さんと一緒に所長室に行ってます。そんなに遅くならないと思いますから、中で待っててください」
「はーい」
海がカウンターを回って中に入って来た。と同時に、智恵は隣の給湯室でコーヒーを淹れた。
「海さん、コーヒーにミルクとお砂糖は?」
「あ、どっちも入れるよー。俺めっちゃ甘党だから」
コーヒーと一緒に、砂糖とミルクもテーブルに置く。
「この間湊さんが買って来てくれたマドレーヌもありますから、よかったらどうぞ」
お皿の上にマドレーヌを出し、それも差し出した。
「ありがとう。……湊はこういうの、よく買って来るの?」
「そうですね~。ご実家のお仕事に行ったついでに、いつも差し入れてくれますよ? ケーキとかプリンとかも」
湊は週に一、二度は、洋菓子店のちょっといいお菓子をくれるので、すっかり餌付けされてしまっている自覚がある。
「へぇ……前はそんなことしてなかったけどなぁ」
「そうなんですか?」
「そもそも湊は俺と違って、甘い物好きじゃないじゃん?」
「そういえば、そうでしたね」
湊がくれたお菓子を「湊さんもどうぞ」と、渡しても「俺の分は智恵が食べていい」と言って、いつも譲ってくれるのだ。
だから時々、ご飯好きの湊にはお礼と称して炊き込みご飯を作って差し入れたりしている。
いつも美味しそうに食べてくれるので、作り甲斐がある。
「じゃあ今度、甘味好き同士、美味しいパフェのお店、一緒に行く? なんなら珠緒所長も誘ってさ」
「パフェ! いいですねぇ」
「湊は甘い物嫌いだから、ハブりまーす」
海がマドレーヌを頬張りながら、ふふふと笑う。
「誰をハブるって?」
「あ、湊さん」
受付の扉から、湊が姿を現した。そのまま案内課へ入って来て、智恵がマドレーヌを食べている姿を見て「それ、美味い?」と尋ねた。
「美味しいです。いつもありがとうございます」
バターたっぷりのマドレーヌに頬を緩めて答えると、湊がふっと笑った。
「また今度、近くに行ったら買って来る」
「湊~、俺にも買って来てくれて、いいんだよ? これ美味いもん」
海がおどけながら嘴を挟む。
「お前は自分で買えよ、海」
「ちぇー、ケチだなぁ、湊」
「ところでお前は俺に用事があるんだろ? なんだよ」
湊が海の前に座る。海は「あ、そうそう」と、バックパックを開き、化粧品の箱らしきものを二つ、手渡した。
「今しか時間がないからさ、ここで渡しちゃうけどごめんな」
「いや、悪いな。……よく入手できたな」
(ビジネスの話かな……)
智恵は二人からそっと離れ、異類コンの案内ホームページに載せる内容の確認をしながら、二人の話が終わるのを待つことにした。
どうやら、海が湊の依頼で調達してきた商品の受け渡しをしているようだ。
「今回はかなり頑張ったからね。……ちょっと今回は、料金割り増しになるよ」
「かまわない」
湊が片方の箱を開けると、化粧品のクリームのジャーが入っていて、彼はさらにその蓋をひねって開けた。
「――っ! これだ、海」
中に詰まっているクリームの匂いをくん、と嗅ぐや否や、湊の目が大きく見開かれた。
「やっぱりそうだよね。俺もこの匂い嗅いで確信したから」
もう片方の箱も開き、同じように中身を確認した湊は、大きく深呼吸をした。
「海、こっちのローション、調達できるだけ調達しておいてもらえるか? 可能ならバケツ単位で」
「うっわ……そう来るか。できないこともないと思うけど、時間かかるよ~」
「なるべく早く頼む。……後は、調査内容だけだ」
「どこにあるんだろうね。思いついたところは全部探したんだよね?」
「あぁ……」
(なんだか深刻そうに話してる……)
二人は顔を突き合わせたまま、しばらくの間黙っていた。
聞くまいとしても、会話は聞こえてしまう。とりあえず邪魔にならないよう自分の仕事に没頭しようとすると、いきなり話しかけられた。
「――智恵ちゃんはさぁ、人に見つかりたくない、自分の一番大事な物を隠すとしたら、どこ?」
「っ、あ……大事な物、ですか? そうですねぇ……。こんなこと言うの、ちょっと恥ずかしいですが、タンスの下着の中、とか?」
思いがけない内容に、あたふたしながら答えると、海が噴き出した。確かに、笑われても仕方がないとは思うけれど。
「ははっ、なるほどねぇ」
「あ……でも、私の兄は昔、彼女が遊びに来るたびに、私の部屋に、その……そっち系の本とかDVDを隠してましたよ?」
(……って、下着の中だとか、やらしいDVDの話とか、何言っちゃってんの? 私ってば……っ)
焦ってみるも、後の祭り。
智恵が高校生の時、智真が彼女を家に連れて来ると、必ず段ボール箱を智恵の部屋に避難させてきたのは本当のことだ。
『智恵、これは修行の教本だからこのまま置いといてくれ。絶対に開けるなよ?』
何度も念を押してきたので、怪しんだ智恵は、一度だけチラッと開いたことがあった。そこには予想どおり、男性向けの成人雑誌やDVDが入っていた。
密封されていたとはいえ、年頃の妹の部屋に避難させるのはどうなのよ? と、智恵は呆れたが、結局、智恵が大学進学するまで、兄の願いを聞いてやったのだった。
「あはははは、智恵ちゃんのお兄さん、面白いなぁ~」
「でも兄は『一番信頼できる家族だから、お前に預けるんだぞ』って、偉そうに言ってましたけどね。多分、両親に預けたら普通に開けちゃうし、怒られると思ったんでしょうね」
「一番信頼できる家族……」
湊が呆けたようにぽつりと呟いた。何かが引っかかっているのだろうか、そのままの姿勢で固まったまま数十秒経つ。
それからハッと目覚めたように勢いよく立ち上がり、内線電話の受話器を取り上げた。
「――所長すみません、私用で早退します」
ひとこと告げて電話を切った湊は、ふぅ、と息をつき、頭をブルブルと振った。
「智恵ごめん、ちょっと用事ができたから帰るな。……海、さっき言った件、よろしく頼む」
「あー……はい、分かりました。お疲れ様でした」
「湊どうしたの? 何かあった?」
海が心配そうに声をかけるも、湊はニッと笑う。
「大丈夫だ。海……後で連絡する。……智恵、ありがとな」
最後にふうわりと笑うと、湊は智恵の頭にポン、と手を乗せ、そして、案内所を後にした。
「……湊、何か閃いたようだね。きっと智恵ちゃんのおかげだ」
「? 何がですか?」
何もかもを理解している風の海と正反対で、智恵は何がなんだか、といった表情で首を傾げたのだった。