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【本編完結】転職先には人間がいませんでした  作者: 沢渡奈々子
第1章 不思議な出逢いは満月の夜に
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第1話:ミスター・ムーンライト

 智恵がそれ・・の存在に気づいたのは、五歳になった頃だ。

 当時は輪郭もはっきりしない、ぼんやりとした塊にしか見えなかった。

 まさかそれが『人ならざるもの』だなんて思わなかったので、話しかけてみたりした。当然ながら、反応は返ってこなかったのだけれど。

 護符さえ身に着けていれば悪さをされることもないし、取り憑かれることもない。

 ただひたすら見張られ続けて、今年で二十年が経った。

 

 今日、智恵の勤めていた会社が倒産の憂き目に遭った。地元では有名な建築会社だったが、手がけたビルが地震で崩れかけたのをきっかけに違法建築が発覚した。結果、SNS上やマスコミから大バッシングをくらい、あれよあれよという間に潰れてしまったのだ。

 最終日、智恵は同じ営業所の面々とお別れ会をした。大学卒業後に入社して約二年間、一緒に頑張ってきた仲間たち。次の職が決まっている人もそうでない人も、今日はお互い労い合おうと、酒を酌み交わした。

 智恵はまだ転職先が決まっていない。焦ってはいないのだが、何故か同情してくれた同期の女子が、


「いざとなったら、私に言って! 先生・・に紹介してもらお!」


 と言ってくれた。彼女の親戚が地元の県会議員をしていて、ちょうど秘書のポジションが空いていたらしい。元々秘書をしていた彼女は上手く転職できた。少しだけ羨ましい。

 同期の頼もしい言葉に智恵は「ありがとう、期待してる!」と返しておいた。


「――ふぅ。これであの会社ともお別れかぁ。二年と少し、よく頑張ったよ、智恵」


 二次会に行くという面々と別れて一人になって。智恵は空を見上げながら息をついた。梅雨入り直前の満月は、うっとりするほどきれいで眩しいくらいだ。

 大企業ではなかったけれど、居心地は悪くなかったのに。まさか違法なことに手を染めていたなんて、知らなかった。

 でも今さらそんなことを悔やんでも仕方がない。

 それなりにお金は貯まっているから、一ヶ月くらいは無職のままで過ごしてもいい。しかし梅雨明けまでには、仕事を見つけなければ。

 視界に人の行き来を認めながらもう一度大きく息を吐き出し、そして駅に向かう交差点で、信号待ちのために止まったその時――。


「えっ」


 ドン! という衝撃が背中に来た。同時に、身体が前につんのめる。人がひしめく歩道から、車道に飛び出し、べしゃりと地面に転んでしまった。思い切り道路のど真ん中だ。


「いた……っ」


 素早く起きようと思ったけれど、背中を押された時に足首を捻ったらしく、ズキンと痛みが走った。

 ならば這っていこうとした時、強い光が智恵を照らした。耳をつんざくようなクラクションの音が鳴る。


(やばい……っ)


 眩しさと痛みで動けなくて、思わず目を閉じる。


「……っ!!」


 刹那、身体が浮いた。浮いた、というのは正しくないかもしれない。誰かの手に引っ張られた上に、肩に担がれた感覚がしたから。思わずぎゅっと目を閉じる。


(な、なんなの……?)


 担がれたまましばらく高速で移動したかと思うと、現場からだいぶ離れたところで下ろされる。


「……」


 そっと目を開くと、さっきよりも人が少ないのが分かった。

 いや、少ないなんてものじゃない。人っ子一人いないビルの屋上ではないか。何故分かったかと言えば、それほど高い建物ではなさそうで、周囲には毎日見慣れたビルボードも見えたから。


「え……どういうこと……?」

「――大丈夫か?」


 夜の底のように濃く、それでいてどこか甘やかな低い声がした。


「は、はい……ありがとうございま――」


 ようやく状況を把握した智恵は、礼を告げると同時に固まってしまった。


(わ……きれい……)


 大きな満月を背負った青年だった。

 オレンジがかった月の光を受けた銀色の髪は、ダイヤモンドダストをまとったようにキラキラと輝いている。

 明らかに日本人とは思えない金色の瞳もまた、うっとりするほどのきらめきを湛えている。

 十人中十人が『イケメン』だと断言するだろう美形。

 智恵よりも少しだけ年上と思われる青年が、スッと目を細めた。


「あんたさ、あれ、誰かに押された……よな?」

「あー……はい、多分、そうです、ね……」


 背中のど真ん中に受けた強い衝撃は、忘れようにも忘れられない。今でも感触が残っている。

 誰かが、加害の意志を持って、智恵を突き飛ばしたのだ。


「何、心当たりでもあるの?」

「いえ、人に・・恨まれるような心当たりはないんですけど……」


 今までの人生、他人から殺意にまで至るような恨みを買った覚えはない。人の彼氏を取ったこともないし、誰かを騙して陥れたことだってない。あずかり知らぬことで逆恨みされた可能性も……なくはないが。

 それでも、無差別だと言われた方がまだ納得できる。


「……ん?」


 突然、青年がこちらに向かって鼻をくん、とひくつかせた。眉をひそめながら智恵の背中に回り、押された辺りの匂いを嗅いだ。


「っ! ……やっぱり……これは……」


 ボソボソと呟かれ、背中に何かついているのかと心配になる。


「何かついてますか? 匂いますか?」

「……いや、ついてはいない。いない、けど……」


 見えないのは分かっているが、自分の背中を覗き込んでしまう。彼はどことなく釈然としないような口調で呟いた。


「じゃあ、何か……?」


 一体背中に何があるのだと、気になって尋ねるも、彼は智恵の問いに答えてくれない。黙ったまま、何かを考えている。

 そうしてしばらく経って――ようやく彼の口から出てきたのは、意外な言葉だった。


「あんた、職場はこの辺?」

「あ……そうだったんですけど、明日からは無職です。会社が倒産してしまったので」


 予想もしていなかった問いに、智恵はぱちぱちと目を瞬かせた。それでも馬鹿正直に答えてしまう。答える必要もなかったなと気づいたのは、そのすぐ後だ。


「それは……ちょうどよかった」


 彼がシャツの胸ポケットから名刺入れを取り出し、一枚を智恵に差し出した。思わず反射的に、それを両手で恭しく受け取る。

 名刺に触れた途端、ふわんと爽やかな空気に包まれた気がした。なんとなくミントのような清涼感を覚えたが、ビルの上だから、心地よい風が吹き抜けたのだろう。そう思うことにした。

 改めて名刺に目を落とし、文言を読む。


「異類生活支援案内所、総合案内課、陣川湊……」


異類・・? 異類って……何?)


 『異類生活支援案内所』なんて、今まで聞いたこともない組織の名前だ。一体、誰の生活を支援し、案内するというのだろう。


「! その名刺の文字、全部読めるのか?」


 銀髪の彼――陣川湊が、金色の目をこれでもかと大きく見開いた。


「普通に読めますけど……場所、日本橋なんですね」


 住所からすると、この案内所とやらは都内にあるようだ。

 それはいいとして。「読めるのか?」なんて、この男からすると、自分は日本語が読めないような人間に見えるのだろうか。少し心外だ。

 しかしよくよく聞いてみれば、彼は実際にそう思っているわけではなさそう。

 まさか住所まで読めるとか……適正あるよな、これは――などと、またしてもボソボソ言っている。

 しばらくその様子を観察していると、彼はハッと気づいたようにこちらを見て。


「そこに来れば、多分いい仕事を紹介できると思う」


 と、智恵の手にある名刺を指差した。


「え……それって、危ない仕事ですか?」


 会って数分しか経っていない人をいきなり信用するほど、お子様ではないつもりだ。

 たとえそれが、かなりのイケメンだとしても。


「あんたが心配するような、犯罪行為はしていない。厚労省管轄のちゃんとした組織だから」

「そう……ですか」

「とりあえず、足首、応急処置してやるよ。捻挫してるんだろ? サポーター持ってるから」

「あ……ありがとうございます」


 智恵は貯水タンクの基礎コンクリートに腰かけた。足首を覗き込むと、腓骨の部分が腫れている。

 湊は持っていたサポーターを靴の上から足首にぴったりと巻いてくれた。


「電車? タクシー?」

「タクシーで帰ります」

「それがいい。自宅前までちゃんと乗って帰れよ?」

「はぁ……」


 念を押すように言われ、少し引っかかる。


「首から下げてるやつ、護符だろ? 割れてるから」

「え? あ……」


 木製の護符は、チェーンに通して常に首から下げている。さっき転んだ時に割れてしまったのだろう。智恵の身を守ってくれる大事なものなのに。


「俺はそっち側・・・・じゃないから、何から守られてるのかはよく分からないけど、かなり強い祈りが込められているのは分かる。だからなるべく早く家に帰った方がいい」

「はい……」


 そっち側・・・・とはなんなのだろうか――疑問に思ったけれど、聞ける雰囲気ではなかったので、軽くスルーしてしまった。


「あぁでも。さっき渡した名刺、あれを肌身離さず持っていれば、しばらくは護符と同じ役割をしてくれるはずだ。あれも結構な術が込められているから」

「この名刺が……?」

「さて。とりあえず、タクシー乗り場まで送ってやるよ。えーっと……」


 どういうことだろうか――と、首を傾げたものの、彼の言葉に疑問が遮断された。


「あ、私、成宮智恵、です」

「ナリミヤチエ、な。俺はその名刺にあるとおり、陣川湊」

「ジンカワ、ミナト、さん。よろしくお願いします」

「うん。……ほら」


 と、湊が智恵に背中を向けてしゃがんだ。躊躇していると「お姫様抱っこされたいのか?」と聞かれたので、慌てて彼の背中に乗った。


「――ちゃんと捕まってろよ」


 そう言い残し、湊は走り出した。いや、走るという表現はふさわしくないかもしれない。

 彼は跳んだ。それはもう、軽々と。まるで背中から羽根が生えているのではと思うくらい、空中を軽やかに跳ねている。


「わぁっ」


 ジェットコースターに乗っているような感覚が、身体の中を走る。ビルの屋上から屋上へ、下だけでなく、上にも跳ぶから不思議な感覚だ。

 パルクールとか、そういうレベルじゃない。


(この人、一体何者……? スパイ○ーマン!?)


 人間離れした身体能力に、智恵は驚きを隠せない。おまけに振り落とされないよう必死で、図らずも彼にべったりと抱きついている状態を、恥ずかしがることすら忘れていた。


「ひぇええぇ……」


 高所恐怖症ではないものの、一気にぐんと下に降りられると、ゾクゾクする。

 滅多に味わえないスリルを楽しめればよかったのだけれど、ここまでの展開自体がすでにジェットコースター状態なので、前向きなリアクションをする余裕なんてない。

 これは人助けというよりはアトラクションに近いものがあるなぁ……なんて思っていたら、スッ……と地面に下ろされた感覚がして。


「到着」


 湊の声が聞こえたので目を開くと、そこは確かに駅前のタクシー乗り場だった。


「……どんなマジック?」


 思わず呟いてしまった。辺りを見回してみるが、誰も自分たちに注目していない。こんなアクロバットめいた登場の仕方をしたというのに。


「まぁ、期間限定・・・・の俺の特技?」


 息を微塵も切らしていない男は、ニッと笑った。


「あ……りがとう、ございました。あの、お礼……」

「俺は基本、案内所・・・にいるから」


 さっき名刺をしまったバッグを指差し、湊は「じゃ」と手を挙げて去っていった。今度はゆっくりと、地面をしっかり踏みしめて歩いて。

 その後ろ姿を見つめながら、智恵はもう一度名刺を取り出す。記載されている文言は、やっぱりきちんと読める。


「異類生活支援案内所……どういうところなんだろう……」


 そして、陣川湊は一体何者なのだろう――智恵はなんだか不思議な気分になった。

 空を見上げた先に浮かんでいる月が、ことさらに大きく見えた。

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