第17話:悲しい現実
【注意】この回は子どもへの犯罪の描写があります。お気をつけください。
新兵衛の就職について、頭を悩ませて数日が経つ。
「肉体労働は絶対に無理なタイプだよねぇ……」
新兵衛は太ってはいない。むしろ細くてヒョロヒョロしている。元の時代でも、ちゃんとした仕事をしていたわけではなさそうだし、とてもではないが、一日もたないのではないかと思う。
「かと言って、普通の会社員なんてもっと無理だと思うし……」
案内所の生活支援プログラムをきちんと受けてくれれば、ある程度の会社で働けるようにはなるが、新兵衛にはそれすら期待できない。
「正直、新兵衛さんに一番向いているのは、ヒモ! それしか思い浮かびません!」
智恵は諏訪原に向かって愚痴を吐く。もう半分ヤケクソだ。
「智恵くん、辛辣だねぇ」
「だって新兵衛さんって、どう考えてもダメンズじゃないですか。こうなったら、若いイケメン好きのセレブ熟女に養ってもらうのが、一番手っ取り早いですよ」
新兵衛ときたら、プログラムはサボるわ、金を持たせればスイーツの食べ歩きばかりしているわで、ある意味ではこの世界に馴染みきっているのだが、社会人としては失格の烙印を押さざるを得ない。
智恵が「真面目にやってくださーい!」と、何度も説得を試みている。しかし『暖簾に腕押し』ということわざが、これほど似合う男もそうはいない。
『だーいじょうぶだって。甘い物食った後はちゃんとすぽおつじむ? とやらに通って、運動してるからよ』
的外れな言葉を返しては、ヘラヘラと笑って去っていくのだ。
唯一の救いは、新兵衛は意外にもギャンブルには興味がないらしく、金をそこに注ぎ込んだりはしないところだろうか。
それを抜きにしても、ダメンズの才能に満ちあふれすぎているのだが。
「智恵くん……あまりに悩みすぎて、思想が危なくなってきてるよ」
「えぇ、えぇ……私じゃもう無理です。誰かあの人を真人間にしてくれないですかね……」
ゴツン、とデスクに頭を乗せた智恵は、口から魂が飛び出ているような顔をしてブツブツと呟いた。
「あの……お智恵ちゃん、ちょっといい?」
静かな声で呼ばれ、顔を向ければ、そこには幽霊三人娘が立っていた。とは言っても、足はないのだが。
「あ……はい、どうしました?」
智恵は身体を起こし、彼女たちを見た。どうも様子がおかしい。いつもならもっと、突き抜けた明るさでもって「お智恵ちゃん! 聞いてちょうだいよぉ~」なんて、言ってくるのに。
「あのね、この子の話を聞いてやってほしいんだわ」
お菊が自分の後ろに目をやると、そこから出てきたのは、小学生くらいの少年……の、幽霊だった。
智恵と三人娘と少年は、カウンセリングルームで向き合っていた。
「私たちね、今日は少し遠出をしてみたの。散策をしていたら、とある家の前にこの子が立っていたのよ」
「小さな男の子の幽霊なんて、どう考えてもワケありに決まってるじゃない? だから、お話を聞いたわけ」
「そしたらね……この子、現世ではまだ『行方不明』扱いなんだって」
「えぇ……それって……」
智恵は口籠もらせて少年を見た。タケルと名乗ったその子は小学二年生だという。
智恵がスマートフォンで『小学生の行方不明事件』を検索すると、東京某区の住宅街で、小学二年生の少年が行方不明だというネットニュースがヒットした。
名前は、山下尊。ある日、学校の帰りに忽然と姿を消してしまったそうだ。半年ほど前のことだ。
警察が捜査をしたものの、未だに行方知れずらしい。
確かに半年前、ニュースで大々的に報道されていた気がする。智恵の中にも、わずかにその事件の記憶が残っていた。
そのタケルが今、智恵の目の前にいる――幽霊として。
ということは、彼はもう亡くなっているのだ。
(こんなに小さな子が……可哀想に……)
智恵の胸が、締めつけられるように痛くなった。
「お智恵ちゃん、タケルちゃんね、自分を殺した犯人を知ってるんですって」
「えぇっ! ……タケルくん、本当に?」
タケルの顔を覗き込むと、こくん、と頷いた。犯人がいる、ということは、他殺事件ではないか。
「ミキちゃんの……お父さん……」
ごくごく小さな声で呟かれた言葉が、智恵の胸を刺す。
「それって、お友達のお父さん、ってこと……?」
タケルはふたたび頷いた。
「そのおミキちゃん、って子は、ご近所に住んでいる大きな家の子らしいのよ」
「私たち、その家を見てきたけど、いかにもセレブ、って感じのお宅だったわよ」
「しかも、家族は仲が良さそうだったの。人殺しにはとても見えなかったんだよね……」
お露たちは、心痛な面持ちでタケルの頭を撫でている。
こんな小さな子が、成仏もできずにいるのだ。嘘などつくはずがないだろう。
つまりタケルは、友人の父親に殺されたということになる。
(どうしよう……こんなこと、私一人じゃ……)
「――お岩さん、湊さんを呼んできてもらっていいですか? 諏訪原さんは今日お休みなので」
「分かったわ」
お岩が湊を呼びに行くと、彼はすぐに来てくれた。そして智恵の隣に腰を下ろす。ざっくりと事情を聞いたようで、湊は真面目な顔で、タケル少年の頭を撫でた。
「大変だったな」
大きく温かな手で撫でられたためか、タケルは「うっ、うう…ひっく……っ」と嗚咽を漏らし、大粒の涙を流した。
智恵たちは、タケルが泣き止むのを待つ。泣き声はしばらく続き、智恵はその間、湊が少年の頭を撫で続けているのを潤んだ瞳で見つめていた。
少しして落ち着いた少年に、湊が問う。
「ミキちゃんのお父さんに、痛いことをされたのか? 怖かったら全部言わなくてもいいから、話せることだけ、お兄さんたちに教えてくれないか?」
優しげに笑う湊に、タケルはすん、と鼻を鳴らした後、口を開いた。
「あのね……僕んち、ハッピーっていう犬を飼っていたの。でもいなくなっちゃって……」
タケルの家には、外飼いの雑種犬がいたそうだ。彼が赤ちゃんの頃から家にいたので、兄弟のように仲良しだった。
しかしある日、ハッピーは首輪が抜けていなくなってしまった。
それを悲しんだタケルは、大切な愛犬を探しに、夜中に家を抜け出してしまう。
家から徒歩十分ほどのところに、木々が生い茂っている空き地があるのだが、そこで見てしまったそうだ――男が、猫や犬を殺しているのを。
しかもタケルが現場を目撃しているのを、相手の男も気づいてしまった。それが、友人の父親だったというわけだ。
タケルは一目散に逃げ、自分の部屋のベッドに潜り込んだ。凄惨な場面が脳裏にこびりつき、忘れられなかったという。
翌日、学校に行きたくないと言ったものの、具合も悪くないのにそれは許されず、登校班の待ち合わせ場所に行くと、ミキが父に連れられ現れた。
タケルは怖くて怖くてたまらなくて、目を合わせられずにいた。すると、あろうことか、ミキの父親がタケルの前にやって来て。
『――タケルくん、ミキといつも仲良くしてくれて、ありがとうな』
と、にっこり笑った。タケルは震えながら頷いたという。
それからも、ことあるごとにミキの父はタケルに接触してきた。まるで見張っているように。
憔悴していくタケルに、両親は「学校でいじめられているの?」と尋ねるも、タケルは口を噤んだ。とても信じてもらそうにないからだ。
そして――ある放課後、学校から帰る途中、例の空き地の前で男が声をかけてきた。
『――タケルくんちのハッピー、保健所にいるらしいよ? 一緒にお迎えに行こう』
その日が、タケルの命日となった。
「酷い……」
タケルがつっかえつっかえしながら、なんとか話してくれた内容に、智恵は涙があふれそうになるのを堪えた。
この子の前では泣いてはいけないと、何度も目を瞬かせた。
しかし幽霊三人娘は遠慮もせずにダバダバと涙を流し、タケルを包むように抱きしめていた。