第12話:九尾の狐は意外にドジっ子
智恵はお盆に日本茶と大福を載せ、十階へ上がった。
「所長、失礼します」
ノックをしてからドアを開くと、珠緒は狐の姿になっていた。黄金色に輝く姿でソファに横たわっている。
ぱっと見、セレブに飼われている長毛犬のようだ。但し、尾は犬どころではない本数と毛量だが。
珠緒は智恵に気づくと、すっと起き上がった――かと思うと、次の瞬間には人型を取っていた。
「ごめんなさいね、仕事をしたものだから、ちょっと仮眠を取っていたのよ。寝る時は狐の姿の方が都合がよくて」
「あ、名刺と結界ですか。いつもありがとうございます。寝ているところを邪魔しちゃってすみません。これ、うちの実家の近くにある和菓子屋の大福です、置いておきますね」
実家へ帰った時にいつも立ち寄る和菓子屋は、知る人ぞ知る名店だ。特に人気なのは豆大福で、午前中には売り切れてしまう。
だから智恵はご近所の顔なじみ特権で前日に予約をしておき、駅へ向かう途中で受け取ってきたのだ。
珠緒に出す前に諏訪原にもおすそわけしたが、好評だった。
「ありがとう、智恵ちゃん」
珠緒はテーブルの上を見て「わ、美味しそう」と、目を輝かせた。
「それにしても、いつ拝見してもスマートすぎる変化ですね、所長」
「千年近く生きているしねぇ。慣れたものよ」
智恵はもう何度も珠緒が人間から妖狐、妖狐から人間へと変わる姿を目撃しているが、その変わり身の速さには感心するしかない。瞬きする間に変わっているのだからすごいと思う。
「私……九尾の狐は白いものだとばかり思ってましたが、金色なんですね。すごくゴージャスで素敵です」
「白い狐というのは、神様の使いなのよ? 私はその真逆の化け狐だもの。まぁでも、神様から罪滅ぼしの機会をもらえたから、今でもこうして生きていられるのだけれどね」
珠緒は紅茶を口にしながら苦笑する。
彼女はこの組織を立ち上げるにあたり、用意されたビルに様々な呪術や結界を施した。六階建てと思わせて一般人を寄せつけない結界、建物内で異類が過ごしやすくなるよう空間を操作する呪術など。
だから幽霊三人娘は、案内所の中では飲食できるし物に触れるのだ。
職員の名刺に守護と適正判別の術を施しているのも、もちろん珠緒だ。
定期的に結界を張り直し、名刺の妖力を込め直しているので、さすがの彼女でも疲れるらしい。
時折、妖狐姿で仮眠を取っている様子が見受けられる。
「――所長、思ったんですが、結界を張り直す日と、名刺に妖力を込める日をずらすことはできないんですか?」
一度にやるから疲れが酷くなるのであって、妖力を使う日を分散すれば疲労度は下がるのでは、と智恵は提案した。
「……」
珠緒はパチパチと目を瞬かせたまま、動かなくなってしまった。固まっているようだ。
「しょ、所長……?」
智恵は心配になり、珠緒の目の前で手をヒラヒラと振る。
「…………かしら」
「はい?」
「どうしてそのことに、今まで気がつかなかったのかしら!? そうよ、一度にしなくったっていいじゃない! ねぇ? 智恵ちゃん!」
「は、はい……っ」
目をカッと見開いた珠緒は、智恵の両肩を掴んで揺さぶった。
「大きな結界は満月の日じゃないと張り直せないから動かせないけど、名刺は新月の日でもいいじゃない。そうよ、どうして私、同じ日にやらなきゃいけないと思い込んでいたのかしら。……馬鹿ねぇ、私ったら」
どうやら本当に気づかないまま、結界と名刺作りを同じ日にしていたらしい。珠緒は大きく息を吐き出すと、ソファの背もたれに身体を預けた。
「じゃあ、これからは別々にするんですね?」
「そうね。本多にスケジュールを組んでもらうわ」
本多は珠緒の秘書だ。烏天狗である本多は非常に面倒見がよく、百年以上も珠緒の身の回りの世話をしている。
今回の件を彼に話したところ、
「結界と名刺作りを別々な日にすればいいとは、何十年も前から私も思っておりましたし、一度だけご提案したこともあったのですが。長く生きていらっしゃると、些末なことなど覚えていられないのですね……」
と、遠い目をしていた。
かくして、結界と名刺の作業は日を変えて行うことが決定したのだった。
「あははは、所長、今まで気づいてなかったのか。あの人らしいな」
総合案内課で一緒にお昼ご飯を食べる湊に、先ほどの件を話すと、堪えられない、といった様子で笑っていた。
「所長って、見た目はあんなに隙のない美女なのに、ちょっとだけドジっ子入ってません?」
少し前にも、妖狐姿の時に己の尾を踏んで「ふぎゃっ」と可愛らしい声で叫んでいたのを、智恵は見逃さなかった。思わず「可愛い……」と呟いてしまったほどだ。
「確かに、憎めないドジをすることはたまにあるな」
「私、珠緒所長大好きです。……っていうか、ここの人たちみんな好きですけど。いい人たちばかりですよね」
正直に言ってしまえば、初めは人間だからといじめられないか、少しだけ心配していた。けれど異類たちは、自分たちがこの世界ではあくまでもマイナーな存在であることを知っている。そのためか『案内所』内ではマイナー側な智恵を、常に気遣ってくれるのだ。
それに気づいた時、智恵は異類たちを色眼鏡で見ていた最初の自分を恥じた。
先日、珠緒にそう打ち明けてみると、
『そういう正直で誠実な子だからこそ、異類のみんなも智恵ちゃんが好きだし、親切にしてくれるのよ』
と言ってくれて、嬉しくなった。
「へぇ……俺も? その中に入ってる?」
目元にたっぷりと意味を含んで、湊が智恵の顔を覗き込んできた。きれいな顔がアップで現れ、心臓がぴょこん、と跳ねた。
「……っ、ちょ……近い。湊さんはすぐ、そうやってからかうんですから」
駒子の店に行った日から、こうして湊にからかわれるというか、かまわれることが増えた。
嫌なら突っぱねればいいのだが、嫌じゃないと思ってしまう自分がいるのだからタチが悪い。
「いや、みんな好かれてるのに、俺だけ嫌われてたら切ないだろ? だから一応確認しておこうかな、と」
「き、嫌いなわけないじゃないですか! ……湊さんは命の恩人ですし、ここを紹介してくれた人ですし。……私、今、案内所で働くのがすごく楽しいんです」
初めは妖怪や幻獣の姿や習性に驚いたりしたけれど、みんな親切にしてくれるし、楽しい。異類たちの悩みごとを聞いてアドバイスをして『智恵さんに聞いてもらえてよかった』とか『智恵ちゃんといると癒やされる』と言ってもらえるのが、何より幸せなのだ。
海も本多も駒子も、智恵の周りにいる異類は、皆、本当に親切だ。
幽霊三人娘から絡まれる時も、うんざりという体で接して「成仏したらどうですか?」などと言ってはいるけれど、心の底からそう思っているわけではない。彼女たちのことはすごく好きだし、本当は成仏しないでほしいとさえ思っている。それを感じているからこそ、彼女たちも毎度毎度、智恵にかまってもらいたがるのだろう。
「――だから、湊さんには本当に感謝してるんです。ありがとうございます」
笑ってお礼を言えば、湊はどことなく照れたように頬をうっすらと染めた。
「……そう言ってもらえると、俺も紹介した甲斐がある。……お前のことを拾ってよかった」
低いけれど穏やかな声音は、どこか智恵を安心させた。
それからも話は弾み、お互いの家族の話題になる。
「智恵の家は確か、足濱山だよな。遠いな」
「そうですね。何せ山の中なので、東京に出るのに三時間はかかりますから。この間帰省した時も、やたら遠く感じました」
バス停に出るのすら、歩いて十五分はかかる。そこから駅まで十五分、電車に揺られること二時間以上。隣県なのに、こんなに時間がかかるのだ。
都会の生活に慣れてしまった智恵の中では、帰省のたびに「あぁそうそう、こんな田舎だったなぁ」と、懐かしさと不便に思う気持ちとが交錯するのだ。
「だから一人暮らししてるのか」
「最初、兄には反対されましたけどね」
未だに電話口で言われる「うちに帰って来てもいいんだぞ」という言葉は、聞かないことにしている。
「智恵の家族は、みんな元気なのか?」
「元気ですよ。父は実家の神社の神主ですし、母も存命です。兄は跡継ぎの修行であちこちに行っています。この間、久しぶりに会いました」
「そうか。そうやって護符も送ってくれるし、いいご家族だな」
湊が智恵の首を指差す。護符は服の中に隠れているが、チェーンは首元に見えているので、それを示したのだろう。
「そうですね。過保護かな、と思うこともありますが、これにはかなり助けられているので。……湊さんは? ご家族はお元気なんですか?」
「母は実家にいるし、姉は結婚して九州にいる。父は……三ヶ月くらい前に亡くなったんだ」
ほんの少しだけ切なげな声音で、湊が言った。
三ヶ月前なんて、智恵が案内所に入る一ヶ月半ほど前ではないか。
「そ、そうなんですか……それは……大変でしたね」
病気か何かなのだろうか――さすがに聞くことはできないので、黙り込んでしまった。そんな智恵の内面の葛藤を察したのか、湊が苦笑う。
「変な話、聞かせて悪かったな」
「変な話なんかじゃないです。お父様が亡くなって……いろいろと大変だった時期に、私を助けてくれたんですよね。ありがとうございます」
今の智恵があるのは、湊のおかげだ。
自分もいつか、湊を助けたい、恩返しをしたい――智恵はそんなことを心に思うのだった。