第11話:鬼の封印の秘密
「智恵~! こっちこっち!」
駅前に出ると、ロータリーに停まっていた黒いSUVのウィンドウが開き、ブンブンと振られる手が見えた。
「あ、理世子!」
智恵は車に駆け寄り、助手席のドアを開いて乗り込んだ。
「ちょうど今、着いたところだったから、タイミングバッチリだったわね」
「いつもいつもありがとね、理世子」
「何、水くさいこと言ってるのよ、智恵。家族同然なんだから、いつでも言いなさいよ」
智恵は久しぶりに実家に帰って来た。前の会社が倒産した時も時間はあったのだけれど、その時は面倒くさい気持ちが先に立ってしまい、帰らずに終わったのだ。
何せ智恵の実家はK県西部の山奥だ。東京から帰れば在来線とバスで三時間半はかかる。しかも駅からのバスは、三時間に一本という田舎運行なので、一本逃すと大幅に帰宅が遅れる。
だから智恵はいつも家族に駅まで迎えに来てもらうのだが、まず兄は修行で家にいないことが多い。父は神社を空けるわけにはいかない。いつもは母に迎えに来てもらうのだが、やっぱり都合が悪い時もある。
そんな中、智恵のタクシーとして名乗りを上げてくれたのが、柿崎理世子だ。理世子は智恵と同い年の幼なじみで、お隣同士。お隣、とは言っても、実際には家と家の間が百メートルほど離れているのだが。
理世子の家は大昔から農家を営んでおり、小さい頃からお互いの家を行き来していたし、いつも一緒に行動していた。
ゆえに理世子は足濱智嗣の鬼封印のことも知っているし、智恵の体質についても理解している。
姉妹がいなかった智恵にとっては、理世子と彼女の妹・紀代子は本当の姉妹と言ってもいい間柄だった。
「理世子も紀代ちゃんも、元気にしてた?」
「元気だよ~。成宮のご両親もちゃんと元気だから、安心して」
「ほんとに、いつもありがと」
「いいのよ、ちゃんとバイト代はもらってるんだから」
高校を卒業した後、智恵は東京の大学に進学したが、理世子は県内の大学に通い、卒業後は実家に戻っている。
理世子たちには弟がいるが、何せまだ十五歳の中学生だ。彼が後を継ぐにせよ、十年近く先になる。とりあえず結婚する予定のない理世子たちが、家業を請負いつつ、智恵不在の神社の手伝いもしてくれているのだ。
本来なら自分がかり出されるべきの繁忙期に、理世子と紀代子が代わりになってくれているのだから、もう頭が上がらない。
「理世子は結婚とかはまだしないの?」
「んー……ない、なぁ、今のところは。……そんな相手もいないし」
そう言った理世子は、どこか淋しそう。彼氏ができないからか。
「そっかぁ……私と一緒だ」
「もう、智恵ったら。悲しすぎるおそろいじゃないの」
「ほんと、あまり嬉しくないおそろいだよねぇ」
智恵と理世子は笑い合った。
久しぶりに会った幼なじみとの会話が、弾まないはずがなく。ずっと楽しくお喋りをしていると、あっという間に自宅に着いた。
「ありがと、理世子」
「どういたしまして。あ、そうだ。珍しく智真くんも帰ってるわよ」
「え、ほんとに? じゃあ、お兄ちゃんに迎えに来てもらえばよかった。理世子に面倒かけちゃったね」
「私が行く、って言ったのよ。智真くん、とてもじゃないけど迎えに行けるような雰囲気じゃなかったし」
理世子がやれやれといった様子で、かぶりを振った。
「え……どういうこと?」
「智真くん、珍しく深刻な感じで本堂に籠もってるみたい。智恵が顔見せれば元気になるんじゃない?」
そう言って、理世子は手を振りながら車で帰っていった。
「……お兄ちゃんが深刻?」
智恵はぽつりと呟き、首を傾げた。
自宅に入ると、母の春恵がパタパタとスリッパの音を立てて出迎えてくれた。
「智恵、お帰りなさい」
「ただいま、お母さん」
「理世ちゃんが迎えに行ってくれて、助かったわ」
「お兄ちゃん来てるんでしょ? 理世子がいつもと様子が違うみたいなこと言ってたけど……大丈夫?」
リビングに向かいながら尋ねると、春恵がため息をついた。
「いろいろ大変みたい。智恵が顔見せたら喜ぶだろうから、行ってあげて」
心配そうに頬に手を当てる母にお土産を渡し、智恵は洗面所で手洗いうがいをしてから、本堂に向かった。
(お兄ちゃん……大丈夫かな……)
本堂は成宮家の母屋から少し離れている。元々は自宅を社務所としていたが、極力穢れを境内に持ち込まないように、また逆に足濱童子封印の影響を受けないようにと、明治維新を機に自宅を敷地外に構えた。
境内に入り、拝殿で手を合わせてから本堂に行くと、懐かしいお香の匂いが全身を包んだ。
兄の智真が装束姿で一人、正座をしていた。
「智恵か」
こちらをちらりとも見ずに、智真が呟くように問いかけてくる。
「お兄ちゃん……大丈夫? どこか悪いの?」
「あぁ、だ――」
心配になってそばに寄ると、兄は返事をしかけたものの、智恵の顔を認めるや、みじろぎせずにじっと見つめてきた。
「……お兄ちゃん?」
あまりに動かないので不安になって声をかけてみると、次の瞬間には、智真がニカッと笑った。
「久しぶりだな、智恵! 身体は全然大丈夫だ」
「そっか、ならいいんだけど、理世子も心配してたから」
「理世子には手間かけたわ。……で、智恵は? 転職したんだろ? 仕事は順調か?」
智真は智恵の頭をくしゃくしゃっと撫でる。
見せてくれる笑顔にも、手のぬくもりにも、いつもより元気がない気がした。なんと表現すればいいか分からないけれど、とにかくいつもの智真ではないと思った智恵だが、あえて普段どおりに接することにした。
「ちょっ……やめて、お兄ちゃん! 仕事はね、順調。お兄ちゃんにも一応名刺渡しとくね」
智恵は肩にかけたままだったバッグの中から名刺を取り出し、兄に差し出した。
「おぉ……悪いな」
智真は名刺を右手で受け取った。その刹那――
「……っ」
目を見開いた智真は、身体を大きくぶるりと震わせたかと思うと、名刺を手にしたまま動かなくなった。
「あ……」
(ひょっとして、守護がかかってるのを感じたのかな?)
「……そうだったのか……灯台下暗すぎるだろ……ったくよぉ……」
何やらブツブツと呟きながら、智真は名刺を懐にしまう。
「お兄ちゃん……? どうしたの……?」
さっきまで空元気で笑っていた智真は、「っし!」と、何かを決意したように、跳ね上がって正座をあぐらに変えた。
「……智恵、大事な話をする。成宮家の人間として、今さらだがお前も知っておく必要があると俺は判断した。だから、心して聞いてくれ」
「わ、分かった……」
いつもの智真が戻ってきた。いや、正確にはいつもよりも緊張感をその身にまとっているのが分かる。
その佇まいに圧倒されて、智恵は居住まいを正して正座をした。
「これまで智恵には智嗣の封印について、詳しくは話してこなかった。でも、智嗣が足濱童子を封印したのは、五百年前だというのは知ってるな?」
「う、うん、それはかろうじて知ってる」
五百年、と聞いていたが、具体的に何年かは知らない。ただ漠然と、五百年前であると聞かされてきただけだ。
「……今年がちょうど、五百年の年なんだ」
「え……」
「そして、封印がもつのも五百年と伝えられてきた」
「そ、それって……」
智恵が震える声で、智真の次の句を促す。兄はこくん、と頷いた。
「……すでに、足濱童子の封印は、去年から綻び始めている」
「……う、そ」
「嘘なら、俺も安心するんだがな」
「どうするの? 足濱童子が復活しちゃったら!」
焦って詰め寄ると、智真は達観したようにため息をつく。
「復活すると同時に、再封印するしかないな」
五百年間、童子が溜め込んできたであろう鬼の力を封じ込めるには、今の封印はもう古すぎる。改めて再封印の呪術を使うしかないと、智真は言う。
「再封印、って……どう、やって……?」
「それが、智恵に話しておかなきゃならないことなんだ。……足濱童子の封印について」
五百年前――当時、山伏として修行の旅を続けていた成宮智嗣は、今の足濱山で悪行を働く鬼に悩まされている民の悩みを聞いた。
農作物や家畜だけでなく、人間をも喰らう悪鬼を、どうにかして食い止めることはできないものかと、智嗣も思案する。
当時、鬼は足濱地区だけでなく、国の各地で出没し悪さをしていた。そこで智嗣は、鬼討伐について記された文献を、可能なかぎりあたり始める。修行の旅を続けながら文献を探していた智嗣は、京都のとある神社で手がかりを見つけた。
智嗣の時代よりもさらに昔、有名な陰陽師の傍系に、独自の鬼封印術を構築した山伏がいた。
それによると、厳しい修行をこなし善行を積み法力を身につけた修験者が、鬼を滅したいという強い念を持った時『封鬼士』となる。しかし封鬼士は、単独では鬼を封印できない。
そこで登場するのが『相士』だ。相士はなんらかの形で封鬼士を補助する役割を担う。
相士は封鬼士の法力と相性が合うものが選ばれるが、彼らの相性を選別し呼び寄せるのが『案内人』と呼ばれる者。
封鬼士、相士、案内人の三人が集まることで、鬼に対抗する力が生まれるというわけだ。
しかしそこには、大きな問題がある。
鬼封印の機が熟すと案内人が現れるのだが、本人にはその自覚がまったくないということだ。案内人はその『存在』=『本人が纏う喚び寄せる力』自体が重要なのであって、本人自身がなんらかの行動を起こすものではないから。
だから封鬼士には誰が案内人なのか、本当に直前まで分からない。案内人の存在を感じた時にはすでに、相士も近くに来ている可能性がある。
三人が上手く出逢うのも、案内人の持つ『喚び寄せる力』の強さ次第。
五百年前の足濱童子封印の時の封鬼士は智嗣、案内人は今で言う川崎市の農民、そして相士は僧侶だったが、出自は記録に残されていないので不明だった。
「――で、前回は智嗣と僧侶が法力を使って、童子の封印を成功させた。具体的な方法は……実はよく分からん。智嗣は割とざっくりした性格だったみたいでな。『封鬼士と相士と案内人が集まればおのずと分かる! とにかく諸々の準備だけは怠るべからず!』としか書かれてない。封印した後で力尽きてしまい、事細かく記しておくことを放棄したようだな」
「あ、そ、そうなのね……。じゃあ、足濱童子を再封印するのはお父さんなの? それともお兄ちゃん?」
「……俺だ」
「お兄ちゃんが……」
(そっか、そういえば……)
父がいつも言っていた「智真は智嗣と同等の力を持っている」というのは、封鬼士としての力のことなのだと、今分かった。
「俺は昔から、足濱童子を再封印するのは俺の役目だと、うっすら分かっていたんだ。でも相士と案内人が誰なのかはずっと分からなくて……でも、あと少しで時は満ちるはずだ。俺の中の智嗣の血がそう言ってる」
「そうなの?」
「俺の中で折り合いがついたら、お前にも報告する。だから、護符はきっちり身に着けておくんだぞ。それから、俺が封印できるよう祈っててくれよ」
「うん。古いやつは持って帰ってきたから、新しいのと交換して」
兄は定期的に護符を送ってくれて、都度、古いものは送り返せと言われている。父と兄が、きちんとお焚き上げをしてくれているのだ。
「俺は必ず、足濱童子を封印するから。俺たちが生まれ育ったここを踏みにじられるようなことはしない」
「お兄ちゃんならできるよ。……私、ちゃんと祈ってるから」
それから智恵は久しぶりに実家を堪能し、翌日には智真に駅まで送ってもらい、帰宅したのだった。