第10話:恋愛偏差値Fランク
案内所に戻り、珠緒に電池を届けると、駒子のことを聞かれた。
「駒子さん……お母さんみたいで癒やされますが、人のことをからかうのだけはやめてほしいです」
「そうなのよね、駒子は昔からああなのよ。狸だけに人をからかうのが好きでね。……で、どんな風にからかわれたの?」
珠緒がニヤリと笑って尋ねてくる。ゴージャス美人の意地悪い笑みは、迫力がありすぎる。
彼女に悪意はないと分かってはいるが、思わず怯んでしまう。
「……守秘義務があるので言えません」
「そんな守秘義務、聞いたことないわよ?」
(言えるわけないじゃない。もう……)
はっきり言って、智恵の恋愛経験値は高くはない。むしろ底辺だ。過去に何人か彼氏がいたこともあるが、実はオトナ方面の経験はない。
機会がなかったわけでも、興味がないわけでもない。
自分の周りにいる『人ならざるもの』が見えてしまうためか、そういう雰囲気になっても、集中できない。できるはずもない。
そのせいで彼氏に振られてしまうし、デートをしてもそこから発展しなかったりで、経験値をじっくり積むこともなく二十五歳になってしまった。
だからからかわれると、中高生か、という反応をしてしまう。慣れていないのだから、仕方がないのだ。
「教えなさいよ」「嫌です」という、珠緒との攻防戦を繰り返していると、所長室のドアがノックされた。珠緒の返事の後、入ってきたのは、なんと湊だった。
「……っ」
噂をすれば――とは言っても、智恵の中だけでだが。からかわれた元凶(?)がやって来てしまった。
途端、顔が赤くなる。なんというタイミングなのか。
「所長の好きだっていうケーキ屋で、スフレチーズケーキ、買ってきましたよ」
湊が大きなケーキボックスを掲げた。
「やーん、待ってたわよぉ。パティスリー・ササイのスフレチーズケーキちゃん!」
珠緒は光の速さで湊からそれを奪い取り、箱に頬ずりをした。
智恵は湊とともに、その光景を生温かい気持ちで見守る。
「……所長の大好物なんだよ、あれ」
「そうなんですか?」
珠緒の一番の好物であるスフレチーズケーキは、横須賀にある洋菓子店でしか手に入らない代物だ。
今日の午前中、湊が実家の仕事の関係でたまたま横須賀に行くことになったため、珠緒の命を受けてケーキを入手してきたというわけだ。
珍しくだらしない顔をしている珠緒の後ろに、嬉しそうにフリフリと振られている九本の尻尾が見えたのは、気のせいだろう……多分。
「んふふふ~、それで智恵ちゃん? 駒子からなんてからかわれたのかなぁ~?」
「っ! ちょ……っ、所長、まだその話擦るつもりですか!」
浮かれながらもさっきの話を蒸し返す珠緒を、智恵は慌てて両手を突き出して止める。
「どうせ駒子のことだから、恋愛絡みでからかわれたんでしょ~? ね、湊くん? 湊くんだって駒子の性格、よぉく知ってるわよね?」
「あー……そうですね。俺も会うたびに『お見合いせんけ?』って聞かれますし」
湊曰く、まるで『お見合いおばさん』がごとく、グイグイ来られるらしい。
(駒子さん、世話好きなのね……)
「そ、それじゃあ、私は失礼します!」
「あ、ちょ……智恵ちゃん! 逃げるな!」
珠緒がケーキに気を取られている隙に、智恵は所長室を飛び出した。
「ふぅ……疲れた」
エレベーターホールに歩きながら、安堵のため息をつく。
「……駒子さんにからかわれて疲れたのか?」
「ひぇっ」
突然の声に、バッと振り返ると、そこには湊がいた。どうやら智恵と一緒に所長室を出てきたらしい。
「駒子さん、いい人だけど、人をからかうところは、やっぱり妖狸だよな」
湊がクックッと笑っている。
「そうですね……」
「で? なんてからかわれたんだ?」
「……秘密です」
それを聞きますか、あなたが! ――智恵は思わず叫びそうになったが、ぐっと堪える。
エレベーターが来たので乗り込む。所長室は十階、総合案内課は八階なので、たったツーフロア。階段で降りてもいいのだが、所長室と階段はビルの端から端への移動になるので、エレベーターで降りる方が早いのだ。
「――湊さんも、異類専門の家電で生活してるんですか?」
半妖でも普通の家電との相性が悪いのだろうか――ふと思ったので聞いてみた。
「うん、俺も専門の家電を使ってる。俺はどちらかと言うと、異類の血が濃いんだ。人狼と人間のハーフでも、人間の血が濃く出ると、満月の日でも外見が変わらなかったりするから」
「へぇ……同じハーフでも違いが出るんですね。……満月の時の湊さんは、神秘的できれいでした」
初めて会った日の銀髪と金の瞳は、本当に神々しかった。今でも思い出してはうっとりしてしまうほどだ。
「きれいだったのは、あの日だけ?」
甘く目を細められ、智恵の胸がきゅっと締めつけられた。駒子にあんな風にからかわれた後で、この距離感は心臓に悪い。
「え、あ、も、もちろん! いつもきれいですとも!」
「……ははは、ごめん。今のは冗談」
ぎこちなく返した言葉に、湊はおかしそうに笑った。同時に、エレベーターの扉が開き、二人は揃って降り、案内課へ向かう。
「……からかったんですか?」
「だからごめん、って。……智恵はからかい甲斐があるからつい、な」
「……もう、湊さんも所長も駒子さんも、私のことおもちゃにしないでほしいです」
「それだけ可愛がられてる、ってことだよ」
湊は智恵の頭をポンポンと叩くと、案内課のカウンターに入っていった。
(もう……可愛がられてるのかからかわれてるのか、分からないってば)
智恵はほんのりと熱くなった頬を擦った。