第9話:町の電気屋さんは化け狸
異類生活支援案内所にもホームページというものが存在している。しかし検索サイトには決してヒットしない仕様になっているし、アクセスにも少々コツがある。
つまりは完全に内輪向けのポータルサイトなのだ。
そこには『ご意見フォーム』が設置されていて、異類の生活において、欲しいサービスなどの要望を送ることができる。もちろん、それが採用されるかどうかは内容次第。
今日も智恵はフォームに来た意見を、所長――つまりは珠緒に上げるためにまとめていた。
明らかに冷やかしだったり誹謗中傷だったりするものは、智恵の采配で否決&廃棄だが、それ以外は珠緒に決裁をしてもらうため、その選別をしているのだ。
「えー……『異類向け風俗店を増やしてほしい』……って、本気……?」
異類専門の風俗店、というものは実際に存在しているが、人間向けに比べたら決して数は多くないそうだ。
変化さえしなければ、人間向けの店舗で事足りるからだ。
しかし目的が目的だけに、興奮すると妖怪型に変化してしまう者も少なくないそうなので、そういうタイプの異類は専門の店に行くという。
智恵はその要望を見て「ははは……」と、乾いた笑いを漏らした。
「これは私じゃ分からないから所長に回す。……次! っと『異類コン(特に内類向け)を増やしてほしい』……あぁ、婚活ね……私も参加したいよ……」
自然な出逢いを求める異類も多いが、同じ種族同士の見合いを希望する者も多い。また、人間と結婚をしたい異類もいたりと、異類の結婚事情も多様化しているのだ。
そういう者たちのために、案内所が主催の『婚活パーティ』を年に何回か開催している。
智恵が入所してからはまだ開かれていないが、お盆明けには準備を始めるのだと、先日珠緒が言っていた。
「これも所長に回そう」
案内所内のクラウドに珠緒との共有フォルダがあるので、そこに選別したメールをPDF化して放り込んでいくところまでが、智恵の仕事だ。
婚活のメールをフォルダに入れたところで、内線が鳴った。珠緒からだ。
『智恵ちゃん、ちょっとおつかい頼まれてくれないかしら』
「はい、なんですか?」
『ここから十分くらい歩いたところに『カヤマ電機』っていう家電屋さんがあるのよ。そこで乾電池を買ってきてくれないかしら。単三と単四を三十個ずつね。暑いのにごめんね、私、ちょっと手が離せなくて』
「分かりました」
スマホの地図アプリで調べると、確かに徒歩十分ほどかかりそうな場所に、指定の店がある。それを頼りに、智恵は歩く。
「――今日も天気がいいなぁ……しかし暑い」
先週、ニュースで関東地方の梅雨明け宣言が出た。同時に、うだるような熱さの、本格的な夏が到来。
午前中とはいえ、日差しはかなり強く、照り返しもきつい。智恵は通勤時も日傘が手放せない。今も目的地まで傘を差して歩いている。
智恵が案内所に入ったのは、ちょうど梅雨入り宣言が出た日だったので、ここ一ヶ月と少し、毎日のように雨傘をお供に歩いていたが、これから秋口まで、まだまだ傘持参の通勤になりそうだ。
「――あ、ここだ」
とある路地裏に入ったところに、小さな家電屋があった。確かに『カヤマ電機』と書いてある。
「普通……というより、ちょっと古い電気屋さん、って感じだよねぇ……」
なんの変哲もない佇まいの店だ。昔ながらの町の電気屋、という雰囲気。
ここまで来ておいてなんだが、智恵はどうも腑に落ちないでいた。電池を買うだけなら、駅方向に向かえば、家電量販店が何店舗もあるのだ。個人商店よりも安く買えるだろうに、何故、わざわざこの店なのだろう――智恵の中で、この疑問がぐるぐると巡っていた。
(とにかく、入ってみよう)
智恵は、よし、と気合いを入れ、ガラスのドアを引いた。中はそれほど広くはなく、家電もほとんど置かれていない。液晶テレビが二台と、接客用のテーブルと椅子があるだけだ。
シンプルイズベスト、な店構え。
「すみませーん」
声をかけると、中から「はーい」という声が返ってきた。そのすぐ後、パタパタと足音がして女性が姿を見せた。
智恵とほとんど変わらない背丈の、中年女性だ。家電店なのに着物姿でいるのがなんともちぐはぐで。智恵はしばし呆然とするが、ハッと気づき、慌てて用件を告げる。
「あ、あの! 乾電池をいただきたいのですが」
「いらっしゃい。珠緒ちゃんのおつかいやな? 電話で聞いとるけん、座って待っとって」
大らかな人柄をうかがわせる、肝っ玉母さんのような丸っこい雰囲気に、智恵は何故かホッとする。
勧められた椅子に座り数分後、彼女が戻ってきた。手にしていたお盆には、お茶と茶菓子と、それから乾電池が載っていた。
「外、暑かったやろ? 麦茶でも飲んでいきぃだ」
彼女がグラスの麦茶をテーブルに置くと、カラン……と、氷の涼しげな音がした。
それだけで、体感温度が一、二度下がった気がするから不思議だ。
「ありがとうございます」
「これはね、鳴門金時のスイートポテト。お土産ものやけんど、美味しいけん、食べ」
「いただきます。……あの、あなたは、前苑所長のお知り合いなのですか?」
麦茶を口にしつつ、おずおずと尋ねる。
「あぁ、聞いとらんの? 私と珠緒ちゃんはまぁ……友達? のようなものやんな。おまはんはあれやろ? 人間やけんど『案内所』で働いとる女の子」
「はい、成宮智恵です。よろしくお願いします」
「私は鹿山駒子。元々は徳島出身やけど、ここで異類向けの電気屋をやっとる妖狸やで」
「よう、り……?」
耳慣れない言葉に、智恵は首を傾げる。
「あぁ、智恵ちゃんには『化け狸』、と言うた方が分かるやんな」
「化け狸……あぁ、そっか! だから徳島……」
妖狸と言えば、四国に数多くの伝承が残されていると、研修で習ったのを覚えている。だから駒子が話しているのは、四国の方言なのだろう。
彼女が『狸』と聞いて、ものすごく納得してしまう。少しふくよかだがころんとした雰囲気が可愛らしいのだ。そしてやはり駒子も美人である。
『狐』である珠緒とはまったくタイプが違う、ある意味正反対の雰囲気を持っている。そんな二人が友達、というのもなんだか面白い。
「あと、ご注文の電池、用意しといたけん、忘れんと持って帰ってな」
駒子が電池が入った紙袋をテーブルに置いた。
「あの……異類の方は皆さん、こちらで家電を買うんですか?」
「そうよ。なんでか分かる?」
「……分かりません」
駒子の問いに、智恵はかぶりを振る。
「異類には異類専用の家電、精密機器が必要なんよ」
「専用……?」
「ささ、お菓子食べ」と智恵に勧めてから、駒子は説明してくれた。
人間界の電化製品、コンピューターなどの精密機器は、異類が無意識に放つ妖気が干渉してしまい、誤作動を起こすことがあるという。
公共の施設において、通り過ぎるだけ、多少触るだけ、くらいなら問題ない。
しかし所有物となると、常に妖気を浴びせ続けるので、それに干渉されない、特別に作られたものが必要となる。
ましてや『案内所』のように、異類が集まる場所ならなおさらだ。
だから案内所にある家電、精密機器はすべて駒子が手配した異類専用品なのだという。
専用品は特殊な製造法で作られているので、妖気の干渉を受けない。その分高いものの、それでも需要はかなりある。
乾電池もそうだ。普通のものだと消耗が激しく、あっという間に空になってしまう。乾電池やリチウムイオン電池も、異類御用達のものが開発されたのだった。
「――その開発の大半を担っとるんが、蘇芳グループなんよ」
「蘇芳さんって……あの吸血鬼の?」
「そう。元々吸血鬼の一族は賢い人が多いけん、いろいろな事業を興してるんだわ。特に蘇芳グループは、人間向けの製品も含めて、世界的にも有名やろ? ……まぁ、優秀な分、いけ好かないのも多いんやけど。自分らは他の異類とはちゃうんじゃ、って思うとるんやろね」
どうやら駒子は、吸血鬼があまり好きではないらしい。可愛らしい顔に、皮肉交じりの笑みを浮かべている。
電化製品の売買で嫌な思いでもしたのだろうか。
「でも、蘇芳雅彦さんは優しくないですか?」
智恵のカウンセリングを受けている蘇芳は、こちらを見下してはこない。少なくとも、智恵は悪い印象は持っていない。
「あぁ、お坊ちゃんやな。あの子は代議士さんやけん、愛想がええわな」
「あははは、確かにテレビで見ると、すごく愛想がいいですね」
以前、蘇芳が動画配信サイトでの討論会に招かれているのを見たことがある。鋭い意見をポンポンと放ちながらも、愛想がいいためか当たりが柔らかく見えるので、得しているなぁと思ったのだ。
それからも駒子のお喋りは、ゆるゆると続き。
吸血鬼一族は結束がかなり強い分、背反行為には容赦ないのだとか、大阪にある案内所の所長はぬらりひょんなのだとか、駒子の夫は四国の大地主であるとか(もちろん妖狸)――
「ま、私の最近の推しは蘇芳のお坊ちゃんよりも湊くんやな。あの子は本当にええ子やで」
いきなり湊の名前が出てきて、智恵は少し驚いた。
「確かに、湊さんはいい人です」
「智恵ちゃんをスカウトしてきたのも、湊くんなんやろ? 面倒見ええし、異類の女子の中でも、人気あるんよ。唾つけるなら今やで、智恵ちゃん」
駒子が口元に手を当て「ふふふ」と笑う。
「わ、たしは……そんなんじゃないです。ただの、同僚ですし」
落ち着いた口調で返したつもりだったが、心にはさざ波が立っている。駒子はそれを見透かすように、智恵の顔を覗き込んでくる。
「あらあら、顔赤うしちゃって。ひょっとして、まんざらでもないん?」
駒子はますます笑みを深くした。
「もう、からかわないでくださいよ、駒子さん」
「ふふふ、青春やな」
(私もうアラサーなのに青春って!)
湊のことはきれいでイケメンだなぁと思ってはいた。しかし恋愛対象としては見ていなかったのだ。
それなのに、いざ駒子にそんなことを言われてしまうと、嫌でも意識してしまうではないか。
智恵はいたたまれなくなって、麦茶を一気に飲み干したのだった。