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惚れ薬を飲んでしまった王子(解毒済み)は、魔女令嬢のことが気になって仕方がない

作者: 一ノ谷鈴

 コレットは、ぐつぐつ煮える小鍋の前にいた。部屋の中には、何とも言えない不思議な匂いが漂っている。


 そばの机の上には、たくさんの薬草や道具が散らばっている。彼女は毎日のように、ここで様々なポーションを作っているのだった。


 伯爵家の若き令嬢である彼女を、人々はこう呼んでいた。魔女令嬢、と。




 コレットが作るポーションは、とても良く効いた。彼女のポーションをほんの一口飲むだけで、ちょっとした体調不良はすぐに治っていった。


 彼女は両親と相談して、それらのポーションをたくさん複製させ、領民に格安で売ることにした。たちまち領地には、民の喜ぶ声があふれた。


 ポーションを必要としていたのは平民たちだけではなかった。彼女は貴族たちに頼まれて、個別にポーションを作ることもあった。


 美肌に毛生えに痩身といった、取るに足らない、しかし当人たちにとっては大変深刻な悩みを、コレットは次々と解決していた。


 そんなこともあって、彼女は民に慕われ、貴族たちにも一目置かれていた。


 けれど彼女は少しも思い上がることなく、毎日こうやって調合に精を出していた。彼女はただ、ポーションを作ることがたまらなく好きなだけだったから。


「よし、できた」


 コレットは上機嫌で、小鍋の中身を瓶に注ぐ。しかし彼女は、すぐに小首をかしげた。


「あれ……色がおかしい。もしかして、失敗かな」


 彼女が手にした瓶の中には、とろりとした濃いピンク色の液体が入っていた。彼女は今、新しいポーションの開発をしていたのだ。


 しかし、どうやら彼女が思っていたものとはまるで違うものができてしまったらしい。うっとりするほど甘い香りが、その瓶からはただよっていた。


 愛らしい顔をしかめて、コレットは考え込む。その小さな唇から、かすかなため息がもれた。


「……ひとまず、これは保留ね。今度じっくり、調べてみましょう」


 そうつぶやいて、彼女は壁際のキャビネットに瓶をしまう。しっかりと鍵をかけてから、また彼女は作業机に戻っていった。


「さてと、次はどの組み合わせを試してみようかな。あの薬草と、そうね……」


 ピンク色の瓶のことは、すでに彼女の意識からは消え去っていた。




 ある日、やはりせっせとポーションを作っているコレットのもとに、両親がそろってやってきた。二人とも、満々の笑みを浮かべていた。


「コレット、ちょっといいかね」


「今日は、いい知らせがあるのよ」


 そうして二人が語ったのは、驚くべき話だった。コレットの評判を聞きつけた第二王子フレデリックが、彼女の仕事っぷりをぜひ見てみたいと言い出したのだ。


「フレデリック様……どんな方だったかしら」


 作業の手を少しも止めることなく、コレットがつぶやく。両親は興奮した様子で、フレデリックについて語り始めた。眉目秀麗、文武両道、非の打ちどころのない素晴らしい人物なのだと。


 しかしコレットは、明らかに気乗りのしない様子だった。


「……お父様、お母様。その話なんだけど……今からでも断れないの?」


「何を言っているんだ。こんな光栄な話を断るなどと、とんでもない!」


「そうよ、コレット。これをきっかけに、フレデリック様とお近づきになれるかもしれないのだから」


 熱心な両親とは対照的に、コレットの目は凍りつくように冷たかった。もともとあまり愛想のいいほうではない彼女だったが、今の彼女は不機嫌を隠そうともしていなかった。


 過去にも貴族たちが、彼女の作業を見学しに来たことがあった。彼女はその時のことを思い出さずにはいられなかった。その貴族たちは、それはもう彼女の作業をさんざんに邪魔してくれたのだった。それも、悪気なく。


「……作業の邪魔をしないように、それだけは念押ししておいて」


 低い声で、コレットは答えた。やはり作業を続けながら、とても淡々と。両親は戸惑ったような顔を見合わせて、静かに退室していった。





 それは、フレデリックがコレットの屋敷を訪ねる三日前のことだった。


 いつもコレットが作業している部屋に、こそこそと近づく一つの人影があった。金色の巻き毛の、ほっそりとした若い女性だ。


 彼女の名はイザベル。一応、コレットの友人ということになっている。彼女もまた、伯爵家の令嬢だった。


「コレットばっかり注目されて……面白くありませんわ。いい加減、身の程を思い知らせてやらないと」


 しかしその実、イザベルはコレットを下に見ていた。


 舞踏会にもお茶会にもろくに顔を出さず、毎日毎日屋敷にこもってひたすらポーションを作っている、貴族らしからぬ娘。彼女はコレットのことをそう考え、ひっそりと馬鹿にしていたのだ。


 けれどイザベルは演技がうまく、そしてコレットは純真で素直だった。そんなこともあって、コレットはイザベルのことを仲のいい友人だと信じ込んでいた。そのことが、イザベルをさらにいらだたせていた。


 それだけならまだしも、そんなコレットのところに、王子であるフレデリックが訪ねてくるという。イザベルはまったくもって面白くなかった。なにせ彼女は、フレデリックにずっと憧れていたのだから。


 イザベルはきょろきょろと辺りを見渡しながら、作業部屋に入る。そのまま忍び足で、壁際のキャビネットに近づいていった。


「確かこの中に、失敗作をしまっているといっていましたわね……効果が分からなくて危険だから絶対に触らないでと、あの子は言っていましたけれど」


 今、コレットは用事で席を外している。その隙を狙って、イザベルはここに忍び込んだのだ。この屋敷にはしょっちゅう遊びにきているから、これくらいは造作もないことだった。


 キャビネットには鍵がかかっている。しかしイザベルは、ヘアピンを一本手にして、それであっというまに鍵を開けてしまった。明らかに、慣れた手つきだった。


「ラベルもなにもありませんのね……どれにしましょうか」


 イザベルはポーションには詳しくない。彼女は少し迷ってから、小さな瓶を一つ手にして立ち去っていった。


 彼女の手の中には、とろりとした濃いピンク色が、鮮やかな色を見せていた。





 そしてついに、フレデリックがコレットの屋敷を訪ねてきた。コレットの両親が言っていた通り、フレデリックはたいそう見目麗しい、立派な好青年だった。


 王子というだけあってちょっぴり偉そうではあるが、嫌味ったらしいところはない。少々強引なところはあるが、鼻につくほどではない。


 彼はポーションについては全くの無知だったが、それでもコレットの作業を邪魔することなく、目を輝かせてじっと作業を見守っていた。


 自分の作業に興味を持ってもらえたこと自体は嬉しいし、見学している間の態度自体も悪くない。彼は、良い見学者だと思う。


 フレデリックのことを、コレットはそう評価していた。そんなこともあって、彼女の態度は、最初に比べてほんの少しだけやわらいでいた。


 そうして彼女が作業を続けていたところ、不意に入り口の扉が叩かれた。


「ごきげんよう、フレデリック様。あと、コレットも」


 訪ねてきたのはイザベルだった。しかし彼女はフレデリックと二言三言話すと、すぐに帰っていってしまった。


 去り際のイザベルの目がやけに険しかったことにコレットは気づいていたが、その表情が何を意味するのかまでは分からなかった。


 というより、あまり気にしていなかった。あくまでもコレットは、ポーションのことしか考えていなかったから。




 そうこうしているうちに、晩餐の時間になった。コレットと両親、そしてフレデリックが席につく。食事を続けているうちに、ふとフレデリックがコレットに声をかけた。


「コレット、君の前にあるそのグラスは何だろうか」


 彼の視線の先には、深い青紫色の液体をたたえた小さなグラスがあった。不思議なことに、そのグラスはコレットの前だけに置かれている。


「これは試作品のポーションです。新しく開発したものは、まず自分で試すことにしているんです。食後すぐに飲むのが、一番危険がないので」


「なるほど、自らが実験台に、か。使用人などに飲ませようとは思わなかったのか」


「自分で飲むのが、一番効果が分かりやすいんです」


「本当に、ポーションのことしか考えていないんだな、君は」


 心底感心したようにつぶやいてから、ふとフレデリックは何かを思いついたような顔をする。


「そうだ、それを俺に譲ってくれないか。せっかくの機会だ、それを飲んでみたい」


「いえ、これは試作品ですから……」


「君が飲むのも、俺が飲むのも変わらないだろう」


「いえ、フレデリック様は王子ですから……」


「俺は二番目だ。次の王となるのは兄上で、俺ではない。俺の立場は、他の貴族と大して変わらないぞ。気を遣うな」


 どうやら、フレデリックは試作品が気になって仕方がないらしい。また目を輝かせながら、身を乗り出している。


「それとも、その試作品には何か突拍子もない効果があるのか? 俺にはとても飲ませられないような」


「いえ、そんなことは……これは安眠の薬です。より深い、良い眠りを得ることができる……はずです」


「ならば余計に、譲ってもらいたいな。最近忙しくて、疲れているのだ。ゆっくり眠れば、疲れも吹き飛ぶだろう」


 熱心に、というよりも強引に迫るフレデリックを断り切れずに、コレットはグラスを彼に渡す。


 彼女がずっとグラスに心配そうな目を向けているというのに、フレデリックはまったく気にした様子もなかった。そうして彼は、ためらうことなく一気に中身を干す。


 コレットと両親がはらはらしながら見守る中、フレデリックはほうと息を吐いた。


「初めて口にする味だが、気に入った。しっかりとした甘さと優しい酸味がよく合っていて、中々の美味だ」


 その言葉に、コレットが眉をひそめる。想定していたものと、味が違っていたのだ。本来なら甘さはほとんどなく、ほのかな酸味だけを感じるはずなのに。


 そういえば、色も少し違っていたような気がする。あの試作品は、あんなに赤みがかっていただろうか。時間を置いたことで変色したのだろうと思っていたが、何かがおかしい気がする。


 やはり、フレデリックにグラスを渡さなければ良かったかもしれない。コレットは彼に気づかれないように、こっそりとため息をついていた。




 コレットの心配をよそに、フレデリックは上機嫌で帰っていった。今のところ、異常はないようだった。


 しかし異変は、次の朝に襲い掛かってきた。


「おはよう、コレット。素晴らしい朝だな」


 そんな言葉と共に、なぜかフレデリックが彼女の屋敷にやってきた。しかも、ひとかかえもある花束を手に。とどめに、彼はとびっきり甘い笑みを浮かべていた。


 どうして彼がここに来たのか。なぜ花を持っているのか。そしてその奇妙な笑顔は何なのか。コレットは疑問で頭をいっぱいにしながらも、どうにかあいさつを返す。


「お……おはよう、ございます。ところで、こんな朝からどうされたのですか?」


「君に会いたくて、予定を変更して来た。邪魔はしないと誓うから、どうかそばにいさせてくれ。これは手土産だ。気に入ってもらえると嬉しいのだが」


 目を白黒させているコレットに、フレデリックはためらいがちに花束を差し出した。小さくて可愛らしい花をつけた草がたくさん集められている。独特の匂いが、コレットの鼻をくすぐった。


「これ……薬草の花束ですか」


「ああ。魔女令嬢と呼ばれる君には、この花束のほうがふさわしいと思った。王宮の薬草園でかき集めてきた、よりすぐりの花だぞ」


「……ありがとうございます。その、嬉しい……です」


 コレットも年頃の令嬢なので、花束をもらったことはある。だが目の前の質素な花束は、彼女の好みにとても良く合っていた。


 だから彼女は素直に礼を言ったのだが、それに対するフレデリックの反応は少々おかしかった。


 彼はみるみるうちに真っ赤になって、恥じらいながら横を向いたのだ。俺こそ、気に入ってもらえて嬉しいと、小声でつぶやきながら。


 やはり彼の態度は、昨日とはまるで違う。二日も続けて客を招くのは面倒だとコレットは思っていたが、それ以上に、彼の態度の変化が気になってしまっていた。いったい何をどうしたら、一晩でこんなに態度が変わってしまうのか。


「その……立ち話もなんですから、とりあえず作業部屋に行きましょうか」


 だから彼女は、ひとまずフレデリックを作業部屋に招くことにした。昨日と同じようにポーションを作りながら、それとなく彼に色々と尋ねてみようと考えたのだ。


 しかしそうして作業部屋で二人きりになったその時、さらなる異変がコレットを襲うことになった。


「ああ、やっと二人きりになれたな」


 そんなことを言いながら、フレデリックがコレットに迫ってきたのだ。


 うっとりとした目つき、甘い笑みが浮かべた口元。そうして彼は、流れるような動きでコレットの両手をしっかりと握りしめた。コレットが驚いて飛び上がるが、それでもフレデリックは彼女の手を離さなかった。


「な、な、ななな何事ですか!」


「可愛いコレット……もっとよく、顔を見せてくれ。その愛らしい顔を」


 コレットはポーション作りが大好きだ。空いた時間のほとんどをポーション作りに捧げている彼女は、男性と仲良くしたことがなかった。こんな風に甘くささやかれたことも、手をにぎられたこともなかった。


 そんな彼女にも、フレデリックの様子が尋常ではないことはすぐに分かった。これはいわゆる、恋する者の目なのだと。


 しかしどうして、と彼女は目を白黒させる。いくら考えても、フレデリックがこんな目をしている理由が分からなかったのだ。


 彼女は日頃、ポーションのことしか考えていなかった。だから彼女はいつも作業の邪魔にならない質素ななりをしている。飾り気のかけらもないし、令嬢らしい華やかさもない。


 おまけに彼女は、いつも作業部屋にこもっている。だから彼女に迫ってくる男性など、今まで一人もいなかったのだ。もっとも、陰ながら彼女を気にしている男性は、何人もいたのだが。


「本当に君は可愛らしい……このまま連れ帰ってしまいたいな」


 コレットが考え込んでいる間にも、フレデリックはどんどん近づいてくる。感極まったような彼のため息が、彼女の髪をかすかに揺らしていた。


「あの、連れ帰るのはかんべんしてください。私には、まだまだ作るべきポーションがありますから」


 どんどん甘くなっていく空気を意識しないようにしながら、コレットは冷静に答える。しかしフレデリックは、さらに食い下がってきた。


「君の薬作りを邪魔するつもりはない。だから頼む、少しだけ君の時間を……君自身を、俺にくれないか」


「私は気軽に人にあげられるものでもありませんし、もらって嬉しいものでもないと思いますよ」


 コレットはあとずさりしながら、必死に話題をそらしにかかった。とにかく、この甘ったるい空気をなんとかしなくては。


「ところでフレデリック様、昨夜はよく眠れましたか。昨日の試作品がどうだったのか、教えてください」


「実は、まったくと言っていいほど眠れなかった」


「ああ、失敗していましたか。では、詳細を聞かせていただけますか。帰宅してからのこととか、寝床に入ってからのこととか」


 どうにか話をそらせたかなとコレットがほっとした時、フレデリックはさらに顔を近づけてきた。


「目を閉じると、君の澄んだ声が、その可憐な姿がよみがえってくるのだ。胸がひとりでに高鳴って、眠るどころではなかった」


「へ?」


 うっとりと語りだしたフレデリックに、コレットは今度こそぽかんとしてしまった。どうやらこの甘い空気は、何が何でもここに居座るつもりらしい。


 こうなったら、どんな手を使ってでもフレデリックから離れるしかない。コレットは深呼吸して、語気を強めた。


「あの、済みませんがちょっと手を放してもらえませんか。昨日の試作品について記録しておきたいので」


「ああ、君の願いをかなえてやりたい。が、この手を放すのも嫌だ。俺はどうすればいいのだろう」


 フレデリックは一層甘やかに目を細め、うっとりと言葉を返す。コレットのささやかな抵抗は、どうやら無駄に終わったようだった。


 しかしその時、作業部屋に誰かが入ってきた。


「コレット、加減はどうかしら……って、えっ、嘘、きゃああああ!」


 そこにいたのはイザベルだった。彼女はノックもせずに入ってきて、手を取り合ったままの二人を見て硬直した。それからいきなり、金切り声で叫び出す。イザベルは、明らかに取り乱していた。


 けれどコレットは、内心ほっとしていた。彼女なら、この甘ったるい空気もどうにかしてくれるだろうと、そう期待しながら口を開く。


「イザベル、どうしてここに?」


「い、いえいえあなたの体調が悪いらしいと聞きまして、一応お見舞いに来てみたのですけれど……それよりも、どうしてフレデリック様が!?」


 もちろん、イザベルの言葉は嘘だった。彼女は以前この部屋のキャビネットからくすねた失敗作を、昨日コレットのグラスに混ぜ込んだのだった。晩餐の後に試作品を飲むという、コレットの習慣を知った上で。


 試作品ではなく失敗作を口にしたのだから、きっとそろそろコレットは体調を崩しているに違いない。そんなコレットを見て内心大いに笑ってやろうと、イザベルはそう考えてここに来たのだった。


 ところがコレットは体調を崩していなかった。そして、どういう訳かフレデリックがまた来ている。しかも彼は、コレットをうっとりと見つめているのだ。


 ずっとフレデリックに憧れていたイザベルにとっては、絶対に許すことなどできない光景だった。


 そんな彼女の内心を知るはずもないフレデリックは、イザベルにさわやかに笑いかけ、堂々と言った。


「俺はコレットと一日たりとも離れていたくなくて、こうしてやってきたのだ。でもそうして会ってみたら、彼女に触れたくてたまらなくなってしまってな」


 イザベルは一瞬ぽかんとして、それからコレットをにらむ。相変わらず手をつかまれたままのコレットは、困り果てたように眉を下げた。


「わ、私にも分からないの。どうしてこうなったのか」


「俺がどうしてこうなったか、だと? それはもちろん、君がとても愛らしいからだ」


「……今朝からずっと、フレデリック様はこんな調子なの。もうどうしたらいいのか」


 ため息をつくコレットと、彼女を見つめるフレデリック。イザベルは険しい目で二人を見ると、大きく息を吐いた。それから彼女はごめんあそばせと言い放ち、コレットの手をひっつかんだ。


「申し訳ありませんフレデリック様、女同士の秘密のお話がしたいので、少しだけそちらでお待ちくださいませ!」


 そうしてイザベルはコレットをフレデリックから引きはがし、そのまま作業部屋の奥の部屋に駆け込んでしまった。




「それで、あなたはこの状況をどう考えているんですの!?」


 イザベルは仁王立ちになり、コレットに詰め寄る。ようやくフレデリックから解放されたコレットは、あからさまにほっとした顔をしていた。


「……たぶんだけれど、昨夜の試作品のせいだと思うの。フレデリック様が私に一目惚れするとか、ありえないし」


「一目惚れがありえないという点については大いに同意しますわ。それはそうとして」


 さらりと失礼な言葉を吐いて、イザベルは眉を上品にひそめる。


「試作品って、あなたがいつも晩餐の後に口にするあれですわよね? それがどうして、フレデリック様と関係があると……」


 首をかしげたイザベルに、コレットは昨夜のことをかいつまんで説明した。イザベルの顔がすっと青ざめる。


 昨日、コレットが口にするはずだったグラスには元々青い試作品が入っていた。イザベルがそこにピンク色の失敗作をこっそり混ぜた。そうしてできた青紫の謎の液体を、よりにもよってフレデリックが飲んでしまったのだ。


「……一刻も早く、解毒薬を作りなさい! ええ、フレデリック様があんなことになってしまわれたのは、間違いなくあなたの試作品のせいですわ! うっかり惚れ薬を作ってしまうだなんて、はれんちですわっ!!」


 本当は青い試作品のせいではなくピンク色の失敗作のせいで、しかもその失敗作をグラスに入れたのはほかならぬイザベルなのだが、彼女はそのことを一言も言わなかった。隠し通すことにしたらしい。


 ぶつぶつとつぶやきながら解毒剤の調合を考え始めたコレットをちらりとにらんでから、イザベルは足音も荒く奥の部屋を出ていった。




 一時間後、解毒剤は無事に完成した。コレットは、高熱による錯乱に効く薬草と気つけの薬を合わせ、とどめに鎮静の効果がある薬草をたんまりとぶちこんだ、恋する青年に飲ませるには少々失礼と言えなくもないポーションを完成させたのだ。


 事情を説明されたフレデリックはそれを素直に飲み、大いにごねつつもどうにかこうにか帰っていった。猫なで声のイザベルが彼の後を追いかけていくのを、コレットは疲れ切った顔で見送っていた。


 その夜、コレットはベッドの上に座り込んで、あわただしかった一日を振り返っていた。


「……どれだけ考えても、安眠効果を狙ったあのレシピで惚れ薬ができる訳がない。しいて言うなら……こないだのピンク色の失敗作が、一番惚れ薬に近いかな。あれ、気分を高揚させる薬になるはずだったし」


 まさにその失敗作こそが今回の騒動の原因なのだが、彼女はもちろん知るよしもない。


「明日にでも、あの失敗作を調べてみようかな。フレデリック様が飲んだ試作品と、何か共通点が見つかるかもしれないし」


 そう言って彼女は、仰向けにぽすんと寝転がる。いつもポーションのことしか考えていない彼女の頭の中に、いつもと違うものが居座っていた。


「……それにしてもフレデリック様、とんでもないことになってたなあ……あれは、忘れてあげたほうがいいよね、やっぱり。惚れ薬のせいでろくに知らない相手に迫ったなんて、どう考えても恥ずかしいし」


 そんなことをつぶやきつつも、彼女は困ったようにため息をついていた。昼間のフレデリックの甘い笑みが、どうにも忘れられなかったのだ。


「あれは薬のせい。あれは本人の意思じゃない。さっさと忘れなさい、コレット」


 自分で自分にそう言い聞かせて、コレットはクッションを抱えて丸くなる。


「……でも、ちょっとだけ、寂しいかな」


 消え入るような声でそうつぶやいて、彼女は目を閉じた。やがて、静かな寝息が聞こえてきた。






 そうして次の朝。コレットはいつも通りに身支度を済ませ、作業部屋に入っていった。さて今日の作業にかかろうかと気合を入れたまさにその時、思いもかけない人物がやってきた。


「……おはよう」


 ぎこちない動きで、フレデリックが彼女に花束を差し出してきた。やはり薬草の花ばかりを集めた、でも昨日のものとは違う花束だった。その中にとびきり珍しい薬草が混ざっていたのを、コレットは見逃さなかった。


「この薬草、この辺りでは育てるのが難しいのに……」


「王宮の薬草園には、専属の庭師が何人もいるからな。さらに環境を整えるために、宮廷魔導士も協力している。環境の合わない薬草を育てることも、容易なのだ。見事だろう」


 コレットのひとりごとを聞いたフレデリックが、得意げに胸を張る。しかし彼はすぐに、大いにあせり始めた。


「お、俺はこの珍しい薬草を君に見せたかっただけで、別に君を喜ばせたかったとか、そういうことではないからな」


 困ったように唇をとがらせ、フレデリックはそっぽを向く。しかし彼の頬は明らかに赤みを帯びていたし、その目は時々ちらちらとコレットのほうを見ていた。明らかに、彼女の反応が気になって仕方がないという様子だった。


 昨日とはまるで違う、でもこれはこれで恋する少年のようなふるまいに、コレットは花束を抱えて首をかしげる。


「ええっと、花束、ありがとうございます。……ところで、もしかして惚れ薬がまだ残ってますか? もう一度、解毒薬を作ったほうが良さそうですね」


 コレットはくるりと身をひるがえして、薬草がしまわれている棚に向かう。その背中に、フレデリックがあわてて声をかける。


「ち、違う! あの惚れ薬は、もうきれいさっぱり消えている! ほら、俺はもう……その、歯が浮くような言葉は言っていないだろう、昨日と違って」


「ですが、やはり様子がおかしいような……それに、どうしてまたここに来られたんですか?」


 可愛らしい眉間にしわを寄せて、コレットがさらに首を傾けた。フレデリックはさらに頬を赤くしながら、もごもごとつぶやいた。


「……君に、提案があるのだ」


「提案、ですか」


「ああ。……その薬草が育てられている薬草園の隣に、使われていない離れがある。定期的に手入れしているし、広さもある。そこを、君の新たな作業部屋にしてはどうだろうか。あそこなら、住み込みで一日中作業ができる」


 思いもかけない提案に、コレットが目を丸くする。フレデリックは目をそらして、少し早口で続けた。


「王宮の倉庫や薬草園にある材料は全て自由に使ってくれていいし、王宮の薬師たちを助手としてもいい。君はこれまで以上に、様々な研究に着手できる」


「その、いいことずくめの話のように聞こえますが……いったいどうして、そんな提案を?」


 頭の中を疑問でいっぱいにして、コレットが問いかける。フレデリックは真っ赤になって、消え入るような声でつぶやいた。


「……おととい、俺はとても楽しかったのだ。上品にふるまう令嬢なら見慣れているが……王子相手に、一日中薬草とポーションの話ばかりしている女性なんて、会ったことがなかった。とても新鮮で、興味深かった」


 それは単に、コレットが他の話題を持ち合わせていなかっただけなのだが、まさかそれが気に入られるとは。彼女はきょとんとした顔で、薬草の花束を抱きしめていた。


「もうここには来ないつもりだった。だが気がつくと、こうして君に会いに来てしまった」


「やっぱり、惚れ薬が残っていませんか? やはり解毒剤を……」


「いいや、いらない。……俺は、確かめたいのだ」


 またその場を離れようとしたコレットを、フレデリックが止める。


「昨日の、薄気味悪い甘ったるい気持ちはもう消えた。でも俺の胸の奥には、得体のしれない感情が巣くってしまっている。それが何なのか、この後どうなっていくのか、俺には分からない。だが、君がいれば、答えが出るような気がするんだ」


「……それで、私を王宮に呼ぼうとしているのですか」


 普段はたいそう理論的に、合理的にポーションを作っているコレットには、フレデリックの主張はあまりにもふわふわとしていて、非論理的なものにしか思えなかった。彼女のため息が、薬草の花をかすかに揺らす。


「どうか俺に、機会をくれ。こんなもやもやとした気持ちを抱えたままでいるのは、苦しいんだ」


 熱っぽくそう言って、フレデリックはじっとコレットの目を見る。コレットはどういう訳か彼から目を離せず、ほんの少し頬を赤らめながら彼を見返していた。


「……そうですね。でも私は、王宮に移ってもポーション作り以外、何もしませんよ?」


「ああ、それでいい。君さえいてくれれば、俺は……」


 うっとりとした声でそう言ってから、フレデリックはぶるりと身震いした。ちょうど、水をかぶった犬のように。


「っと、俺はあくまでも、俺のこの気持ちを解き明かすために、君を誘っているのだからな! その、昨日のような甘ったるいふるまいは、一切期待するな!」


「ええ、そのほうが助かります。あんな風に迫ってこられるのでしたら、この提案はお断りしなくてはなりませんから」


 くすくすと笑うコレットに、フレデリックは釈然としない顔をしていた。そこまで言い切られると、さすがに少し傷つく。そんな彼の繊細な男心は、コレットにはまったく理解できていなかった。


「ともかく俺は、君に王宮に来て欲しい。可能な限りのもてなしをすると、約束しよう」


「……分かりました。たまには環境を変えてみるのも、いいかもしれません」


 コレットが苦笑しながらそう答えると、フレデリックはぱっと顔を輝かせた。そのまま、コレットの手をぎゅっと両手でにぎりしめる。まさに、その時。


「コレット、またフレデリック様がいらしているって本当ですの、って、きゃあああ!」


 ノックもせずに、イザベルが作業部屋へとやってきた。そしてコレットとフレデリックを見るなり、調子はずれの悲鳴を上げる。


 フレデリックの甘い言葉は全て惚れ薬のせいであり、決してコレット自身に魅力があってのことではないのだと、そうコレットに念押しするために、イザベルはまたここに来たのだった。


 そうしてイザベルは、昨日と同じような光景を目にすることになった。風変わりな、けれど素敵な花束を抱きしめたコレットと、彼女の手をしっかりとにぎっているフレデリック。


 あわあわと唇を震わせているイザベルに、フレデリックが考え込みながら声をかけた。


「ああ、イザベルか。君にも言っておいたほうがいいだろう。コレットは、今後王宮で暮らすことになった」


「え……それは、いったいどういうことですの」


 イザベルがさらに青ざめながら、どうにかそう尋ねた。


「ええっと、それがね」


「俺はコレットの近くにいたい。そして彼女は、俺の提案にうなずいてくれた。そういうことだ」


 あまりにも端的に要点だけを述べたフレデリックの説明に、イザベルは訳が分からず立ち尽くす。それからイザベルが顔を上げて、叫んだ。


「……どうしてそうなるんですの……納得が、いきませんわあっ!!」


 異様に甲高いその叫び声に、コレットとフレデリックはそろって耳をふさいでいた。






 そうしてコレットは屋敷を離れ、王宮で暮らすことになった。彼女は新たな作業部屋となった小さな離れで寝起きして、今まで以上にポーション作りに没頭していた。


 そんな彼女のもとに、毎日のようにフレデリックが通っている。彼は日常の執務をこなしながら、ほんの少しでも時間が空くと、いそいそと離れに向かうのだ。自分の胸の内にある思いを解明するためなのだからなと、そう言いながら。


 二人の間に、甘い語らいはない。話しているのはもっぱらポーションのことや、離れの隣にある植物園の草花のことだ。けれどフレデリックはとても幸せそうだったし、コレットの笑顔も増えていた。


 そんなある日、フレデリックが唐突に切り出した。


「その、だな。今日は一つ、受け取って欲しいものがあるのだが……」


 珍しくもためらいがちなフレデリックの言葉に、コレットが手を止め彼を見る。フレデリックは一つ深呼吸をして、何かを差し出した。


 彼の手にのっているのは、幅広の青いリボンだった。絹地のその表面には、手描きのものらしい複雑な模様がうっすらと浮かんでいる。


 今までにも、フレデリックがちょっとしたものを贈ってきたことはあった。新しい大鍋、より切れ味のいい包丁、できたポーションを保存するのにちょうどいい大きさの小瓶ひとそろいなど。それらはどれも、ポーション作りに関係のあるものばかりだった。


 さて、リボンはどう関係するのだろう。コレットがいぶかしげな目をリボンに向けていることに気づいたらしく、フレデリックは大いにあわてながら説明し始めた。


「勘違いするな、それはただの飾り物ではない。強固な防御の魔法がこめられているのだ。君は様々な実験をしているし、こういったものがあったほうがいいだろうかと、ふとそう思いついたのだ。万が一爆発でもしたら、大変だからな」


 ポーション作りで、爆発? とコレットがつぶやいているが、フレデリックはそれをあえて無視して声を張り上げた。


「決して、君に似合いそうだとか、前々から準備していたとか、そういうことではないからな!」


 フレデリックは口調こそ荒いものの、それが照れ隠しであることは明らかだった。コレットが微笑んで、ぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございます。お気持ちが、とても嬉しいです。……それにこれ、とっても可愛いですし」


 それからもう一度リボンに目をやって、彼女はふと何かに気づいたように目を見張った。


「……この模様、宮廷魔導士が描いたにしては妙にぎこちないような……?」


 それを聞いたフレデリックが、顔を赤くしたままぴたりと動きを止めた。


 コレットは気づいていなかったが、このリボンに魔法の模様を描いたのは、ほかならぬフレデリックだったのだ。


 彼はこのために宮廷魔導士にみっちりと教えを受け、一筆一筆ゆっくりと描き進めていったのだ。照れくさくて、どうしても言えなかったが。


 頼むから気づかないでくれ、と無言で祈るフレデリックに、コレットは無邪気に笑ってリボンを髪に結んだ。


「でも、誰かが一生懸命描いてくれたみたいで、ちょっと嬉しいです。とても、気に入りました」


 優しい青のリボンはコレットにとてもよく似合っていて、妖精のような彼女の愛らしさを引き立てていた。フレデリックが目を真ん丸にして、彼女に見入っている。


「……フレデリック様?」


「あ、ああ。俺の見立てに間違いはなかったなと、そう思っていたところだ。……だが、その…………可愛いと、思う」


 聞こえるか聞こえないかぎりぎりの褒め言葉は、しっかりとコレットの耳に届いていた。彼女はほんの少し頬を上気させながら、ひときわ晴れやかに笑う。


 フレデリックは今までの照れ隠しをかなぐり捨てて、コレットに見とれていた。彼の唇から、ほんのり甘いため息がもれる。そんな彼に、コレットもはにかむように笑いかけた。


 本人たちは自覚していなかったが、そんな二人のさまは、どこからどう見ても初々しい恋人たちの姿そのものだった。


 誰も見ていない、誰も二人を止めない。それをいいことに、二人は堂々と、静かに甘く見つめ合っていた。




 離れの窓の外、薬草園の一角。そこに、イザベルが立っていた。ちょうど離れの中からは死角になって見えないそこで、彼女はハンカチをかみしめていた。彼女は運悪く、離れの中での一部始終を目撃してしまったのだ。


「認めませんわ、認めませんわあ……ぜえったいに、邪魔してやりますわあ……」


 地獄の底から響いてくるような彼女の低い声とは裏腹に、空はからりと晴れて、とても気持ち良く澄み渡っていた。

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