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8月5日(1)

病院に咲夜を預けた後、家に帰ってからは「私が代わってあげたい」と泣き続けていた優希だが、少しは落ち着きを取り戻した様だ。晩飯は食べていないが、食欲が無いので特に問題は無かった。

優希に何もしてやれない秋生だが、彼も代わってやれるものなら代わってやりたいと本気で思っている。それを優希に伝えると「秋生さんは、そもそも持って無いよ」と笑ってくれた。


「でっかいがん細胞が在ったから、咲夜は飯が食えんかったんかね」

「かもねぇ。ずっと熱も出てたし」

「俺、今回思ったんだけどね。飯食えない人を勇気づけるとか励ますって、途轍もなく難しい事よね」

「何、どゆこと?」

「いや、よくさ、『音楽で勇気が湧く』とか『スポーツで勇気を与える』なんてTVで言うでしょ?去年のオリンピックとか24時間的なテレビで」

「散々言っててるねぇ」

「でもよ、がんの告知を受けた手術前の人間に、何処の誰の曲を聞かせろっつー話。スポーツも映画も何もかんも。音楽で立ち直れるくらい心に余力が無いと、土台が無理な話なんよ」

「それは、そうだね」

「まして、今の咲夜は切るまで何も分からんでしょ?状況によっては余命宣告すら有り得る訳じゃん」

「っ、考えたく無い・・・」

「泣くなって。分からんのだから」

「うー」

「で、こんな時に『終わったら何々しよう』的な、守れるかどうかも分からん未来の約束?とか。これって、命の危険を感じてない人限定で、未来が判らない人間には、怖くて言えないんよ」

「確かに、9月からの学校の話も出来んかった・・・」

「で、最初の話に戻ると、飯の話ね。結局『食べる』が一番罪が無いって言うか無敵って言うか。それが出来ないと絶望しか無いんよね」

「何か食いしん坊みたいな事言ってるけど。まぁ、確かにね・・・」


外はすっかり明るくなっている。本日の最高気温は27度。久しぶりの曇り空が日差しを遮ったのか猛暑も一服、少しは過ごしやすそうだ。

朝のTVでは無意味に奇麗なおねーさんがクネクネと天気予報をお送りしている。


秋生はベランダに出て蚊取り線香を焚き、淹れたてのコーヒーを飲みながら、狼煙を上げた。

ここはマンションの高層階とは言え、気温が下がると蚊が出てくるので、この時期の彼のタバコタイムには蚊取り線香は標準オプションである。

手すりに寄り掛かり西武池袋線を見下ろしていると、優希がベランダに顔を出してきた。


「何時に出る?」

「お昼はどうしようか」

「どうしようか・・・。あんま食欲ない」

「手術の待ち時間に駅まで行って何か食べるか。病院の待合室は暑いし、病人ばっかだし」

「何ちゅう事言うの!でも、そうよね。病院は全面禁煙だからタバコ吸える喫茶店とかあると良いね」

「ふん。あそこの駅中のタリーズ様が喫煙室完備で有ることをgoogle先生が教えてくれたのだよ」

「先生、物知りです。で、結局何時?」

「12時半とか、ちょっと早めに出よう。咲夜と会える時間が伸びるかもしれん」

「分かった。支度する」


出かける準備を始めた二人は、昨日から風呂に入っていない事を思い出し、慌てて風呂の準備を始めた。


***


デカデカと面会禁止が貼られた入院病棟には、例え家族と言えど勝手に侵入する事が出来ない。折角早めに来た二人だが、手術が始まるまで待合室でたっぷりと待たされることになった。


「佐藤さん、これから手術室に向かいますよ」


そう声を掛けてくれた看護師と共に、点滴スタンドを引き連れた咲夜が現れた。優希は咲夜に駆け寄り、何か声を掛けながらハグしている。


「あ、PET−CTの結果が出てます。離れた所への転移は認められなかったそうですよ」


まるで昨夜の献立でも思い出したかのように、看護師がとても軽い口調でとても重大な衝撃ニュースを発表する。


「っ!そうですか。・・・良かった!」


ここ数日では、初めてに近い「良い知らせ」を聞いた秋生は静かに拳を握り絞めた。今にも涙腺が決壊しそうである。


「咲夜、とーさんにもハグしてええんやで」

「しないよ。行ってくるね」


秋生の涙声に冷たい応答を返して、咲夜は苦笑しながら手を振っている。時間にしてほんの30秒も無い短い面会を終え、点滴スタンドがエレベーターに消えて行くのを見届けた。

スマホのホーム画面には午後1時半と表示されている。ここから約2時間、咲夜の戦いが始まる。二人は病院を抜け出し、とぼとぼと駅に向かった。


「優希、サイゼの企業努力は凄まじいと思うんだよ」


ファミレスを訪れた秋生と優希は、手早く日替わりの注文を終えていた。なお、ドリンクバーは付けていない。秋生は端末を弄くりながら、ため息を漏らし呟いた。


「秋生さん、こないだから、えらいサイゼ推しじゃん」

「いや、このワイン見てみ。1.5リットルのマグナムボトル、ワインが赤でも白でも1080円て」

「何?飲みたいの?」

「いやいや、車じゃし。庶民の味方は、我々の直ぐ側に居てくれたんだなって感動しとんのよ」


時間を潰すにはこれ以上ない最適環境だが、残念な都政で禁煙化が進んだファミレスで時間を潰す手立てを見いだせない秋生は、少し残念に思いながらメニューを捲っていた。


***


ファミレスで昼食を終え、隣のタリーズでホットコーヒーを頼んで、ノートPCを広げる。秋生の暇潰しとは基本コーディングに関連している。秋生の実装は、クラウドに繋いだ先でコンパイルから実行まで行うスタイルである。

軽くて電池持ちが良く、キータッチにストレスが無くてターミナルが動けば機種は何でも良い。近年は持ち歩くPCのスペックやOSには全く拘りが無くなっていた。今の秋生の愛機は、数年前に販売終了したアップル製の12インチノートである。メモリサイズなど一番小さな物を選んでいるので、下手をしなくても同メーカーのハイエンドスマホより安かった。


「荷物見といて」


ノートPCを閉じて、喫煙室に向かう。店内より換気の効いた喫煙室でもソーシャルディスタンスを求める日本人の気難しさに、少し眉を潜めながらタバコに火を点ける。

時計を見ると午後3時半を回っていた。熱い抱擁を脳内に止めて咲夜とお別れをしたのが1時半なので、あれから2時間が過ぎた所である。

3分程で寿命を終えたタバコを灰皿に投げ席に戻る。ノートPCを開いてエディタを見るが、今日の実装は1行も進んでいない。咲夜の手術が気になるあまり、秋生はソースに集中出来ていなかったのだ。ネットはお店のWIFIなので通信費は掛かっていないが、無意味にバッテリーを消耗させているだけである。


「あー、ちょっと百均に行ってくる」

「電話、マナー切ってある?病院から連絡あるのは優希の携帯だから、あったらすぐ戻ってきてね」

「はいよー」


スマホのゲームをしていた優希も同様だった。何かを買う必要も無いのに、じっと待っているのが出来ないのだろう。

冷めたコーヒーで唇を濡らし、自動ドアを潜る優希を見送りながら、秋生は今日何度目か判らないくらい開閉したエディタを立ち上げた。


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