7月25日
宵山で30万人集めた祇園祭も、既にクライマックスは終了しており街中はすっかり落ち着いている様だ。ホームに降りた途端に湿度で曇るメガネと、吹き出す汗にげんなりしながら、秋生は午後9時を回った時計を確認した。
「只今の気温は35度。京都の皆さーん、温度計が故障中ですよー」
誰得情報を独り言ちながら、秋生は夕方発の新幹線で京都に居た。今週の予定も出張である。
彼にとって見れば今月は殆ど毎週が出張なので、あまり休んだ気がしない。今週は京都、大阪、神戸と奈良を含まない何都な物語を予定している。次に東京に帰るのは木曜だろうか。
「この時間だとラーメン屋くらいしかやってないですよね、知ってますよ」
京都に対する侮辱が甚だしい。
京都の人間に言わせれば言う迄も無く、この時間でもラーメン以外の美味しい夕食が沢山存在する筈だが、生憎と冒険家ではない彼が向かったのは八条通りに徒歩5分の天下一品である。
明日は朝から会議が続く予定なので、満腹状態で早々に気絶する作戦を選択した様だ。
「ごゆっくりどうぞ」
素敵な笑顔の店員から頂いた心の籠もる御忠告を無視するかの様に、そして、まるで見えない誰かとラップタイムを競う競技でも始めたかの様に、秋生はねぎWのトッピングのラーメンこってり並とチャーハンを、ビールで流し込んだ。
会計を済ませ店を出ると、ドンピシャのタイミングでタクシーアプリで呼付けた迎車に乗り込みホテルに向かった。
「佐藤秋生です、チェックインをお願いします。あと喫煙ルームは何処に在ります?」
「佐藤様、お待ちしておりました。喫煙ルームは突き当り左手になります」
聞き方が「在ること前提」の不躾な質問に対し、夏真っ盛りの眩しい笑顔で答えてくれるオモテナシに確かなる日本品質を感じる。「このホテルは当たりだ」と根拠不明の確信をしつつ、チェックインして喫煙室に向かった。
「ビールの自販機が併設されとる喫煙ルーム、さすが京都はんどす」
最近は全館でタバコが吸えないホテルも多くなって来たが、このホテルでは喫煙ルームが在り、しかも温度計故障中の京都にあって確りとエアコンが効いた喫煙室(しかもビールの自販機併設)は有り難い限りである。
秋生は到着2分も経たずにエセ京都弁で昂ぶりながら、最大限の感謝をホテルに捧げつつWifiを接続し、缶のプルタブを引き上げてタバコに火を点けた。ひと心地ついて何時もの生存報告を立ち上げる。
「ホテルに着いたどすえ」
「お疲れー、どこ弁ですか。咲ちゃんは今日も39度で、明日は血液検査って」
「げ、全然下がらんねぇ。長くね?」
「そーなんよ。病院で貰った薬より、バファリンの方が効く感じ」
「さすが50%の優しさは民主的だ。さっさと大きい病院を紹介してもらえれば良いのに」
「今週で期末試験も終わるじゃん?キリ良く夏休みに入って紹介してもらうつもりみたい」
「不明熱じゃ、仕方ないんか」
最近、咲夜の体調の事しか話してないかもしれない。こんなに原因が分からないものなのかと不思議に思いつつも、これが町医者の限界かと諦めている秋生である。
勿論、彼も3週間近く熱が下がらないなど経験はなく、どうする事も出来ない癖に謎の上から目線である。
「早く良くなりますように、ってお願いは誰にするんだ?健康祈願の担当部署は何処ですかー?」
「京都の神社的な?金閣寺とか?」
「優希、そこは寺だ。しかも暑いので却下だ」
「咲ちゃんが京ばうむを所望しておりますが、却下でしょうか?」
「そちらについては承ります」
普段から宗教に全く興味がなく「神は居ない。信じるべきはデバッグログだ」と言い切る彼も、誰に祈って良いのか分からず謐くしかなかった。