8月30日
先週まで夏真っ盛りだった東京も、今週は秋の気配を醸し出している。テレビでは国葬と宗教がワイドショーを賑わせていた。かの政治家の暗殺は、民主主義への挑戦だと騒がれていたが、今や彼の葬儀が民主主義への挑戦と言われている。
今日は外来予定日であり、秋生、優希、咲夜の三人は久しぶりに病院を訪れていた。久しぶり、と言っても10日だが。今は、例によって居心地の悪い婦人科の待ち合いで、三人は壁掛けTVのワイドショーを眺めている。
「国葬もオリンピックも政治問題にしたくなければ、一切税金使うの止めれば良いんだ」
ワイドショーのコメンテーターの当たり障り無いコメントに、秋生は持論を展開していた。
「そうかしら?」
「そうさ。新日本プロレスがどれだけ八百長やっても誰も文句言わないのは、税金を使ってないからだ」
「説得力はあるけど、その発言は新日本プロレスに謝まる必要がありそうね」
優希は時計を見上げて呟いた。
「予約の時間は1時半よねー」
「今が3時なのは、きっと優希の気の所為だよ」
「早く来すぎた。お腹減った」
「咲夜、終わったらステーキ食おうぜ。いきなりでワイルドな」
「いいねー」
退院してからこっち、秋生は完全に親馬鹿を拗らせていた。咲夜が冷静なので、辛うじて事なきを得ている。
待つこと2時間が経過した頃に、勢いよく診察室のドアが開き、前の患者と思われる、割とご高齢とお見受けする女性が出てきた所で、漸く看護師から声が掛けられた。
「お待たせしました。佐藤さーん、お入り下さい」
「まいったわ、子宮頸がんってびっくりしたわ。まいったわ・・・」
看護師に付き添われながらすれ違う女性の独り言が耳に入り、秋生と優希は青ざめた。前の診察スケジュールが推していたのは、恐らく彼女が原因であろう。
「今日も、隣の産婦人科とのギャップに耐えられない」
秋生は恐怖で戦慄している。
『産』を冠する隣の待合室では、新生児の聞いただけで「サイズが小さい」事が判る可愛らしい泣き声が絶え間なく詠唱されており、お腹の大きなFランク冒険者と、ベビーカーを優しい目で見つめるEランク冒険者によって、まるで幸せ真っ盛りな花畑結界空間を常時展開していた。少なくとも、見た所あちら側にベテラン勢は居ない。
その花畑のど真ん中を、ゆっくりとした足取りで横切って行く、推定「告知直後」と思われるベテラン冒険者の後ろ姿を、秋生は身につまされる思いで見送った。
「多分、8月2日の俺らもあんな感じじゃったろね」
「どうやって移動したか覚えてない」
「私は熱あったし」
秋生、優希、咲夜と、異なる感想を言っているが、全員がよく覚えてない事だけは一致していた。
***
診察室のドアを潜り、久しぶりに執刀医の顔を見る。少し疲れた様子だが、咲夜の姿を見て笑顔を向けてきた。
「調子はどうですか?」
「まだ痛みは少しあるけど、食べ物が美味しいです」
「早速検査の結果ですけど、時間が掛かってしまって済みませんでした。正確性を期すために、外部にも委託して調べてもらいました。それで時間が掛かってしまって。あ、写真、見ますか?お母さん大丈夫ですか?」
衝撃映像待ったなしに、相変わらず優希を心配しているが、正直なところ心配する方向性が間違っている。秋生が覚悟を決めていると、咲夜が斜め上の要求を放り投げた。
「先生、その写真下さい」
「え? 欲しいの? これ? まじ?」
「そう、欲しいです。私のがん細胞」
「データはあげられないしなぁ。印刷は、うーん、白黒しか出ないし。このパソコンのモニターの写真を取るのじゃ駄目?」
「じゃぁ、それで。」
咲夜は写真を映し出したモニタにスマホを向けた。今年進学祝いで買ったばかりのアップル製スマホは栄える写りのカメラ性能がセールスポイントであるが、まさか摘出した腫瘍の写真撮影に使われるとは開発者も想定はしていないだろう。
「そ、それで。えーと、手術の結果はcomplete surgery、完全摘出です。腫瘍の重さは3200グラム、種類は2種類でいずれも胚細胞腫瘍。切り出した部位を、ホルマリンに漬けて固定して・・・、そうそう、この写真ね。これを着色して、スライスして、顕微鏡でがん細胞の数を数えるのが病理検査なんですね」
「はー」
「で、拡大したのがこっちの写真ね。少しピンク色と、殆ど茶色が見えるでしょ。顕微鏡で拡大したのがこれで、このサイズがバラバラな細胞、これが、がん細胞。健康な細胞はサイズが揃ってるの。この白い所は水が溜まってた部分」
「ほー」
まんまと今年一番の衝撃映像をゲットした咲夜は何故かホクホク顔だが、どこかに語彙を置き忘れてきたらしい。
「進行度、ステージは1C−2A。ガイドラインに沿って科学治療はベップ療法を行います」
「体に良い温泉?」
「ビー、イー、ピー、BEP療法ね。ガイドラインに出てる3種類の薬を入れる標準治療方法です」
「どの位の期間ですか?」
医者が本棚からガイドラインを引き抜いてペラペラとめくる。
「胚細胞腫瘍は薬がよく効くんですが、全体から見ると症例が少ないから、期間が確り確定していなくてね。えーと、これこれ。3クールじゃ足りないけど、やりすぎると発がんリスクが高まるから、先ずは4クール。そこから血液検査を見ながら、先ずは12週間で様子を見ようと思います」
「うげー。温泉はお預けー」
語彙を取り戻した咲夜が、うんざりとした声をあげた。
「で、いつから始めるかと言うとですね。これ、平日しか出来ないんですが、全クールで最初の1週間は5日打つので入院。それと毎週火曜日にも打ちます。だから日曜入院の月曜からスタートなんですが、頭の1周目は毎日打つから、スタッフが少ない祭日がある週は外すとして、えーと」
医者はカレンダーを見ながら祭日を確認する。
「先生。9月に入ると前期試験の追試がありまして、受けたいです」
「いつから?」
「5日から13日で6教科を被弾しました。でも、必修科目を2個落としても進級条件は満たせるので、12日と13日を捨てて4科目に絞るのは、まぁ無し寄りの有りです」
「捨てて欲しく無いなあ。でも、すると11日の日曜日から入院して、12日から開始かな?」
無事に、落とし所が見つかったらしい。一同が胸をなでおろす。主に咲夜。
「他に気になる事はありますか?」
「入院してない期間は学校とか食事とか、どうすれば?あと、髪抜けるて聞いたり、他にも色々」
「学校は行く元気があれば行って下さい。体の免疫機能が弱るけど、特に行動は制限しないし歩けるなら歩いて下さい。食事は、人によって吐き気が酷くなるので、食べやすい物を食べて下さい。カップラーメンとか味が濃いものでも、食べられたら何でもOKですよ。あと、人によって髪は抜けますが度合いが違います。緩和医療と言って、闘病中の過ごし方を少しでも楽にするケアを、この病院でも受けられるよ。予約しときますか?」
「お願いします」
「明後日でも大丈夫?」
「はい」
「では、傷口を診て終わりましょう」
つい昨日まで来月の話も見えなかったのに一気に年末までの予定が樹立され、新学期の目標や緩和医療なる新しいワードも飛び出した。
足を引き摺る様に停滞していた咲夜の日常が、前に進み始めた事だけは間違い無さそうだ。
悪夢の非日常が日常に帰って行く、そんな浮かぶとも沈むとも言えない不思議な浮遊感を秋生は感じていた。
それは再び見てしまった衝撃写真によって足が震えているのが原因では無いはずだった。




