8月5日(2)
結局、病院からの連絡が有ったのは午後4時半だった。
事前に「2時間ほど」と聞いていたのに、午後4時の時点で2時間経過。未だか未だかと気も漫ろになった秋生と優希は、病院に戻りエアコンの効きが悪い待ち合いで無言を貫いていた。
「はい、佐藤です」
『手術が終わりました。これから術後説明が有るので、昨日の麻酔科の診察室まで来て下さい』
「今1階です。すぐ行きます」
電話が鳴った瞬間に歩き出した秋生を追い掛けて、優希は通話を切ってエレベーターに向かう。
優希が追いついた頃には、秋生が4つ有る全てのボタンを押していた。
「くそ、このエレベーター、全部上の方に居るよ。優希、歩くぞ」
「いや、待とうよ。すぐ来るって」
「こうしてる間にも、咲夜に何かあるかもよ」
「焦らんでも結果は変わんないってば。ほれ、後ろ」
優希に嗜められた秋生は、少し我に返って、後ろで同じくエレベーターを待っている車椅子のおばあちゃんに気が付いた。言う迄も無い事だが、ここは病院であり、エレベーターは患者優先なのは言う迄も無い。
そうこうしている内に到着したエレベーターに乗り込み(優希がおばあちゃんの行き先を聞き、ちゃんとボタンも押してあげた)、手術室のある3階に着いた二人は、診察室に向かった。
説明をしてくれたのは、2日の診察であった医者ともう一人初めて見る顔の2名だった。
「結論から言うと、無事摘出が出来ました。大きいので出せるかどうか、微妙だったのですが。あ、写真見ますか?」
「はい」
「結構グロいんですが、お母さん大丈夫ですか?」
「はい」
女性は男性より血に慣れていると言う。実のところ、血を見てフラフラするのは秋生であり、優希はホラー映画が平気だが、秋生は苦手だった。
医者がパソコンを操作して、画面を呼び出す。
「これが開いた直後です。ここが胸でこの辺りがお股ですね。」
そこには、咲夜の開かれた腹が写っていた。秋生は目眩がした。
「次の写真が摘出した腫瘍ですね」
「う。これ、サイズはどの位なんですか?」
次の写真はもっと衝撃的だった。まるで調理用のタッパーのような容器と、そこに収められた赤黒い肉の塊。 秋生は先程頂いたサイゼの日替わりを戻しそうになる。もう完全に腰は抜けており、椅子に座っているのに足が震えていた。
「腫瘍は左側の卵巣でした。この容器が、横30cmです。取り出した重さは3200グラムですね」
「咲夜が生まれたときより重いんだ・・・」
「これは、右の卵巣の中身です」
医者がマウスをクリックして次の写真を表示する。
「右?」
「右にも良性ですが出来ていました。良性なので、開いて中を取り出して、そのまま閉じたので妊孕性は残せました」
「中身って、これ?」
「そう、髪の毛とか脂肪ですね。歯や爪が育つ事もあるんですよ。これらは切って終わりで、進展はしません」
「ということは、娘は妊娠出来るんですか?」
「左と同じ条件ですから、右が発症しないという保証はありません。でも、発症しない限り、妊娠出来ますよ。卵巣は一つあれば、排卵能力は十分なんです」
「良かった。ホントに良かった」
画面には、白いグニュグニュした何か(恐らく脂肪)と髪の毛を丸めた様な物が写っていた。
秋生は今この時点で完全に使い物にならず、平静を取り繕うだけで精一杯だった。優希が説明を聞いていく。
「骨盤内に程んど進展は見られませんでした。一箇所だけ、お尻に近い所が破れかけていて、そこを治そうとした事が発熱の原因だと思われます」
「進展してたってことは、体中に転移するんですか?」
「ちょっとくっついてただけという感じですね。ステージとしては1Cから2Aです。サイズの割に、早期発見と言えます」
「もっと早くに見つけていれば、例えば熱が出た先月頭に来ていれば何か違いましたか?」
「いえ、年単位でも無ければ変わらないでしょうね」
「そうですか。」
「詳しい病理検査が終わってからになりますが、今後は科学治療を強くお勧めします」
「お勧め」という単語が秋生は気になった。ここに来て医者に強制力は無いのかもしれない。
「抗がん剤ってやつですか?」
「そうです。3週間を1クールとして、4クールですかね。12週間」
「すぐ始まるんですか?」
「病理検査をしないと、がんの種類が特定できないので薬が決められない。まだ、始められないですね」
「そうですか・・・」
医者がカレンダーを見ながら少し何かを考えている。
「このままお腹の傷が落ち着くまで、そうですね、18日くらいまで入院なんですが、多分その頃には検査結果が出るんです。これはご提案ですが、退院せずそのまま科学治療を始めるのはどうですか?」
「退院しないんですか?」
「それをお勧めします。正直、科学治療って物凄く辛いんですよ。一度家に帰ると、もう病院には来たく無くなる方が居て・・・」
「それは困る」
「それに娘さんも今が夏休みなので、出来るだけ休み中に治療を進めてあげると良いと思います」
石化の呪文でポンコツ化していた秋生が、意を決して唯一聞きたかった事を聞く。
「そのですね。あの・・・、余命とか生存率ってどのくらいなんですか?」
「いえ、死なせませんよ。死んだりしません。」
「へ?」
「娘さんのケースでは、数字の上では5年で90%くらいと言われています。ですが、我々が目指しているのは根治なんです。PET-CTの結果からも、他に見つかってい無いんですよね。ですから、ここから科学治療すれば根治すると思います」
「PETーCTで見つからなければ、大丈夫なんですか?」
「実際の所はPETーCTのスライス間隔が1cmなんです。もしも1cmより小さい腫瘍が有っても擦り抜ける可能性はあります。だから可能性の話なんですが、骨盤内に進展は殆どありませんので、恐らく遠隔に転移は無いでしょう」
「取りきったんですか?」
「取りきりましたよ。肉眼に見える部分は全て、取りました。でも、目に見えない細胞が残っているかもしれません。だから科学治療で残らず叩くんです」
がんは完全に治ることを『完治』ではなく『根治』と言うらしい。
ここまで淡々と喋っていたのに、意外にも力強い医者の言葉に二人は肩の力が抜けるのを感じた。この2日ちょっと、二人共殆ど食事が取れず眠れていない。
ガイドラインは何度も何度も音読したが、基本的には良いニュースが無かった状態だ。だから、少しだけ展望が見えてきたのを秋生は感じていた。
(大丈夫。良いニュースだ。きっと良くなる)
ここ何日で何度目か数えていないが俯いた秋生の涙腺は決壊していた。優希はまだモニターに映った腫瘍を無言で睨んでいる。医者がどこかに電話を始めたので、涙腺の蛇口を無理やり閉めた秋生は優希に視線を送った。優希もこちらを向いており無言のまま頷いている。
「これから、娘さんが病室に移動するそうです。今行けば顔を見れますよ」
今すぐ会いたい。優希は、一も二もなく礼を言って立ち上がる。秋生も続くべく、立ち上がろうとしたが、それは叶わず。先ずはバシンと太腿を張り震えた足に活を入れたのだった。




