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世界中の上り坂と下り坂の数を同じにする会

作者: 村崎羯諦

『認定NPO法人 世界中の上り坂と下り坂の数を同じにする会 日本支部 中国・四国担当課 渡辺悠馬』


 私は手渡された名刺を読み上げ、それから目の前の男の方へと視線を向ける。渡辺と名乗った訪問客は愛想良く微笑んだ後で、どうしても市長と直接お話をしたくてアポを取ったのだと説明してくれた。私はそうですかと愛想よく微笑んだ後で、右後ろにいる秘書に対して非難の眼差しを向ける。こんな怪しい団体と歓談するほど私は暇じゃないぞという意味を込めてやったが、秘書はちらりと私の方を見つめ返し、バツの悪そうな表情を浮かべるだけだった。それでも来客を無碍に扱うわけにもいかないため、私は渋々渡辺の方へと向き直り、会話を続ける。


「不勉強で大変申し訳ないのですが、これは一体どのような団体なのでしょうか? 」

「名前の通り、世界中にある上り坂と下り坂の数を同じにするために活動している国際NPO法人です。念のため説明しておくと、上り坂と下り坂というのは市長がイメージされている通りのものです。つまり、上り坂は進行方向の傾斜がプラス方向になっている道のことで、下り坂というのはその逆です」

「いえ、それについては理解しているんですが……。上り坂と下り坂の数ってそもそもが同じじゃないですか? だって、同じ坂道でも、下から見たら上り坂でも上から見たら下り坂じゃないですか?」

「ええ、多くの方はそのように勘違いなさっているんです」


 私の問いに渡辺が笑う。


「人類の歴史からすれば、上り坂と下り坂が同じ数ではない時代の方が長かったんです。私たち団体が誕生する前は、上ることしかできない坂道や、下ることしかできない坂道が世界中にたくさんあったんです。ですが、産業革命が起こったことで、そんな坂道は交通や移動に不便だということになったんですね。それを背景に、各国で国際的な取り決めが行われ、私たち『世界中の上り坂と下り坂の数を同じにする会』が19世紀前半ごろに設立されたんです。設立以降、私たちは世界中の上り坂と下り坂の数を同じにするために活動を続けています」


 私も人並み程度には一般常識を知っているつもりだったが、そのような歴史があるなんて全く知らなかった。正直まだ胡散臭さは拭えないものの、国際的な団体ということもあるので、念のため彼の名刺は恭しく受け取ることにした。それから私は、今日はどういったご用件で訪問されたのでしょうかと尋ねる。渡辺は秘書が出したお茶を一口だけ啜った後で、私の目をじっと見つめてくる。全国に派遣しているうちの調査職員から、この町の上り坂と下り坂の数が同じになってないという報告を受けたんです。深刻そうな表情を浮かべながら、渡辺がゆっくりと口を開いた。


「これはこの町の治安を脅かす重大な事件だと我々は考えています。調査員から詳細な場所を聞いているので、お時間があるようであれば市長も私と一緒に現地へ行ってみませんか?」

「これからですか?」


 上り坂と下り坂の数が違っていることがどれだけ重大な出来事なのか私にはわからない。しかし、わざわざ市長が現場まで出向くべき事態なのだろうか。私が答えあぐねていると、右後ろにいた秘書が私の肩をそっと叩き、市長として同行すべきですよと生意気にも私に提案してくる。私は少しだけ迷った後で、わかりましたと頷き、現場へ同行しましょうと渡辺に伝えた。そのまま私たち三人は応接室を出て、秘書が運転する車へと乗り込んだ。


「上り坂と下り坂が同じでなくなるという現象はよくあることなんですか?」

「いえ、数世紀前まではよく見られた現象なのですが、現代では全ての道を私たち団体が管理しているので、本当は起こらないはずなんです。なので、これは誰かが悪意を持って変えたのだと私は睨んでいます」


 目的地までの道中、車の中で渡辺が説明をしてくれる。


「ここ最近になってですね、別に上り坂と下り坂が同じ数じゃなくてもいいではないかと主張する過激派団体が勢力を強めているんです。上り坂の多い土地は地価が悪い傾向だからなくしたいと主張する団体、膝にダメージを与える下り坂をなくすべきだと主張する団体、いろんな団体が現れては、私たちの活動を妨害しているんです。彼らは私たち団体に対して脅威となりつつあります。ひょっとしたら今回もそういった過激団体の仕業かもしれません」

「何はともあれ、実際に確認しないといけないですね」


 車は国道から狭い横道へと入っていき、そのまま住宅街の中へと進んでいく。坂道を上ったり下ったりを繰り返し、渡辺が指示した場所で停車する。私は周囲の住宅街を見渡し、そういえばここに来たことがあるなとふと思い当たる。


「そういえばここは山中君の実家の近所じゃなかったか?」

「……はい。すぐそこに私の実家がありますね」

「こんな身近な場所に問題の坂道があるなんて驚きだな」


 私と秘書の会話に渡辺が相槌をうち、そのまま車を降りる。渡辺は周囲をぐるりと見回した後で、なだらかな傾斜の坂道をそっと指差した。これが上ることしかできない坂道です。渡辺がそのように告げ、私は彼が指さした坂道をじっと観察した。それは住宅街の裏にある丘をぐるりと囲むように作られた長い坂道で、どこにでもあるような、何の変哲もない坂道だった。一体何が問題なのだろうか。私が不思議に思いながら尋ねると、渡辺がちらりとこちらと見てから説明を続ける。


「不思議に思っても仕方ないです。私たちのように特殊な訓練を受けている人ではないとなかなか見分けることができませんから」

「はあ、そうですか……。とりあえず上ってみますか?」


 私の提案に渡辺はギョッとした表情を浮かべて首を横に振った。


「とんでもない! これは上り坂しかないんですから、この道を上ってしまったら、同じ道を辿って下ることができませんよ。もし、近くに下り坂がなければ、そのまま閉じ込められてしまいます。とりあえずここは封鎖して、間違って誰かが入ってしまわないようにしないとダメですね。……そしてそれと同時に、一体誰がこんなことをしたのかを突き止めなければなりません」


 渡辺の言うことを信じればだが、確かに何も知らない誰かがここを通ってしまったら大変だ。念のため私は秘書に対し、この道を封鎖するための手続きを準備するように命令した。その間渡辺は探偵のように道の近辺の観察を行っていて、この道から下り坂を消してしまった犯人の痕跡を探し出そうとしていた。


「犯人はやっぱり例の過激団体なんですか?」


 私が後ろから問いかけると、渡辺がこちらを振り返り、にこりと微笑んんだ。


「それはまだわかりませんね。しかし、これは国と世界の秩序に対する冒涜でもありますから、一刻も早く犯人を捕まえる必要があります」

「そう言っていただけるのは大変心強いのですが、一体誰がこんなことを……。おや、山中くん、さっき頼んでおいた件はもう済んだのかね?」


 ふと横を見たタイミングで、こちらへ歩いてきた秘書の姿を見つけ、私が問いかける。しかし、秘書は私の問いに曖昧な返事を返すだけで、代わりにこの坂道はどうされる予定なんですか? と渡辺に尋ねた。渡辺は今すぐにでも私の応援を呼んで、この坂道を修復するつもりですと返事をする。


「それは……とても困ります」


 どういうことだと私が口を開きかけたタイミングで、私は秘書が右手に持ったものに気がつく。秘書が右手に握りしめていたのは、鋭く光る刃物だった。私と渡辺の動きがぴたりと止まる。なぜ彼が刃物を持っていて、そしてそれを私たちに突きつけているのか。あまりにも突然の出来事に理解が追いつかない。しかし、ひょっとしてあなたが……? という渡辺の言葉に、私はハッとする。そして、渡辺の問いかけに対して、秘書がゆっくりと頷いた。


「はい。この坂道の下り坂を消したのは私、いや、私たちです。その成果をみすみす壊されるわけにはいかないんです」

「そんな……一体どうしてこんなことを」

「私の母も高齢になって、下り坂が大変辛くなっているんです。母親、そして母親と同じ立場にある人々の負担を少しでも減らすために、あらゆる下り坂をなくさなくてはならないんです」


 脅したところで何の意味もないぞと私は警告したが、秘書は時間稼ぎにはなるでしょうと聞く耳を持たない。それから彼は刃物をちらつかせながら、私たちに迫ってくる。私たちがいるのは一方通行で、後ろには下ることのできない坂道があるだけ。私は渡辺と顔を見合わせた。そしてそれから私たちは、刃物を持った秘書と距離を取るために、後ろの坂道を急いで上っていった。


 坂道は上から見れば下り坂だし、下から見れば上り坂。渡辺が所属する会の存在を知ってもなお、私は心のどこかでそう信じていた。ナイフを持った秘書から逃げるように坂道を上った私は、ふと足を止め、後ろを振り返った。しかし、私が先ほどまで上っていた坂道はそこにはなかった。遠くに街の景色は見えるし、下を見ればコンクリートで固められた地面が見える。それでも私が数秒前まで踏みしめていた地面は消えて無くなり、まるで透明な壁に阻まれているかのように元来た道を戻ることはできなくなっていた。


「それほどパニックになる必要はありませんよ。ただこの坂道を下れなくなっただけです。ここを上り切った後で、他の下り坂から元の道へ戻りましょう」


 現在の状況にパニックに陥っていた私に渡辺が落ち着いた声で語りかけてくる。


「そんなこと言われても……。そんな冷静にはなれませんよ!」

「まあまあ落ち着いて。気分を紛らわすために、少しお話でもしましょうか?」


 妙に冷静な渡辺の言葉に私は渋々頷き、坂道を再び上り始める。坂道は長く、傾斜も強い。幸いにも秘書が追いかけてくることはなかったが、それでも私の心は焦燥感やら疲労感やらで荒んでいた。


「市長室でもお話ししたように、私たちの活動によってこのような坂道はほとんどなくなっているんです。道路が作られる際は必ず、私たち『世界中の上り坂と下り坂の数を同じにする会』へと連絡がいくようになっていて、全ての道路が私たちの管理下に置かれることになります。そして、一度管理下に置かれた坂道に関しては、全国に存在する私たち会員によって24時間監視が行われ、坂道に異常が発生した場合には迅速な対応が取られることになっているんです」

「じゃあ、なんでこの坂道がこんなことになっているんですか? 先ほどお話しされていた過激派の仕業でしょうか?」

「実はここで市長に謝らなければならないことがあるんです。私は市長との会話の中で少しだけ嘘をついてしまいました。というのも、下り坂と上り坂の数を変えてしまおうという過激派集団というものは確かに存在しているのですが、彼らは私たちのような巨大な国際団体と比べるとあまりにも勢力が小さく、正直脅威と言えるほどの存在ではないのです」


 私たちは会話を続けながら、坂道を歩き続けた。陽気な渡辺の口調は少しづつ深刻さを帯び始め、そしてそれに引きずられるように、私の足取りも少しずつ重くなっていく。


「過激派連中が私たちの管理下にある坂道に何かを仕掛けたら、私たちはそれをすぐに検知し、現場へ飛んでいきます。ですが、それはあくまで私たちの管理下にある坂道の話。もし……そんな坂道はあったらの話ですが……私たちの管理下にないような坂道に対して彼らが何かを仕掛けた場合は、ひょっとしたらその異常に気がつくのが遅くなるかもしれません」


 渡辺の言葉に私は歩みを止める。渡辺はこちらを振り返った後で、この坂道は上ることしかできませんよと不敵な笑みを浮かべて言ってくる。私は返事をする代わりに、渡辺をじっと見つめ続けた。今改めて確認してみると、丸く小太りな彼は、どこかタヌキに似ているような気がした。


「基本的に坂道は公共事業で作られ、正規な手続きにしたがって、私たちが呼ばれることになっています。正規な手続きとはつまり、議会で予算がつけられ、公正に入札が行われ、正規の行政手続きに従って道路が作られるということです。ところで、市長。私たちが上っているこの坂道ですが、最近作られたものらしいですね? ですが、開示請求を行なった公文書にはありもしない入札が書かれていたんです」


 私は渡辺の言葉を聞きながら、彼と共に坂道を登り続ける。


「調査を行い、ここの工事を実施した会社をなんとか突き止めました。いや、会社と言っていいのかもわからないくらいにグレーな組織なので、それは他の建設会社に失礼ですね。まあ、その会社はもちろん正規な手続きでこの坂道を作っているはずもなく、もちろん私たちの会への報告も行っていない。市民の税金を使っているにもかかわらず、あまりにも杜撰です。そして、そんな悪どい会社のトップは誰なんだろうとふと気になったんです。するとですね、その会社のトップはなんと、市長の親戚にあたる人物だったんです」


 坂道の終わりが見えてくる。坂道を上り切った先には数人がすでに待機していて、彼らがなぜそこで待っているのかも私にはなんとなく予想ができた。彼らの横には秘書の車が停まっていて、この坂道の下で私たちにナイフを突きつけていた秘書もいた。そしてその秘書とその他数人が、市長室に隠しておいたはずの秘密文書が入ったファイルの受け渡しを行なっていた。その光景を見た瞬間、渡辺がどのようにこの坂道の工事のことを調べ上げたのか、そして、なぜ今日、私をこの坂道へわざわざ連れてきたのかという理由を悟った。しかし、下ることのできないこの坂道にいる以上、私には逃げ道はない。


「最後に言い残しておくことはありますか?」


 坂道を上り切り、私を数人の検事が取り囲んだタイミングで渡辺が問いかけてくる。


「こんなことを言っても許されるわけではないとは思うんですが……」


 私は渡辺、秘書、そして検事たちへと順番に視線を送った後で、答えた。


「実は私、『市民の税金で私腹を肥やす会』の会員なんです」

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