3st:時の子神
ひーは今までと打って変わり、表情を引き締めて俺に問うた。
・・・い、今からいくのか。やっぱり行くのか。
いざ本当に過去へ行くとなると、自然と身持ちが固くなってしまう。
ひーが大きく息を吸う。それに呼応し、俺は反射的に身構える。
ひーが口元に両手で円筒を作る。肩を震わせ、腹に力を入れ、
「やぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッ!クロノスやーぁぁっぁぁぁぁぁぁい!聞こえてるなら出ておいでぇぇぇぇぇぇ!!」
・・・・・・・・・・・・・え?
ひーの腹の底から滲み溢れる声が聞こえる。
「クロノスやーい!!聞こえてるんだろー!出てきておくれよー!」
「・・・・・何するかと思ったら何?やまびこ?てか、『クロノス』って、もしかして時の神とやらの・・・・?」
「クロノスやーい!!返事しておくれよー」
おい。無視すんな。
「き、聞こえないのです、聞こえないから返事しないのです、ヤ、ヤアイはいませんよーっ!」
声が聞こえてきた。虚空に響く。辺りを見回すけど、誰もいない。
「・・・声?どこから・・・?」
更に聴覚器官を澄ましてたら、ひーの腹声がよく聞こえた。
「クロノス・ヤアイィィィィィィィ!!」
あれ、もしかしてちょっとイントネーション違う?
「え、もしかして名前?名前なの?『クロノスやーい!』って、やまびこってただけじゃなかったの?」
「クロノス!あれ位のこと全然ほんと真面目にこれっぽっちも怒ってねーから、お願いだから、出てきてくれよ」
「・・・・・・。・・・・・・怒ってない?・・・・・・ほんとです?」
また声が。幼い少女の声。どこから聞こえている?
「ほんとほんと。だから、出てこいよ」
「・・・・・・・・?」
・・・・なんなんだよ。一体こいつの周りは。意味がわからない。
不思議に思っていると、急に視界の画面が歪んだ。風景の一部が、人の形を沿いぐにゃりと曲がる。と思うと、幕が引かれたように人の姿が現れた。
「・・・・え、うそ」
信じられなかった。信じられない。・・・えええ、今の何?人が、いきなり、現れたよ?ぐにゃりって。何ぐにゃりって。
現われた者は、少女だった。俺と同じか、もしくは下。古代の石碑の装飾みたいな服の上に、厚い、これまた更に古代の装飾が施されているマント、いや絨毯?みたいなものを頭から羽織っていた。よく見ると、その絨毯の周りが少し歪んでいるように見えた。さっきのおかしな事象は、この絨毯が何か関わっていたのだろうか。
その子はおずおずと、目を合わせないようにひーに近づいていった。
「クロノス・・・・・・」
その子は、ひーが髪に手を掛けれる位近づくと、俯いたまま歩みを止めた。
「・・・・・・・・ヤアイは、ヤアイです。『クロノス』じゃありません・・・・・・。クロノスの一族は、私しかいないけど、いなく、なったけど、・・・ひっく、・・ヤアイは、『クロノス』の名を継ぐ資格が、ないから・・・。母さまみたいな神様には、なれないです、から・・・・・・。・・・・・・昔みたいに、ヤアイって、呼んで下さい・・・・・・」
ヤアイは、声を掠れさせながら言った。
ヤアイの瞳は、憔悴しきっていた。何も映してなくて、瞳の奥は闇に溶けていた。
その目は、時折ひーが見せる空洞に似ていた。きっと、光っていればとても綺麗な漆黒になるんだろうに、と思った。
「・・・・・・・・・・・・ヤアイ」
切なげに、苦しげに、ひーが呼ぶ。ひーの手が、ヤアイの黒髪をすべる。
「ごめんなさい・・・・・・。ごめんなさいっ、ごめんなさい!」
その瞬間、堰を切ったようにヤアイがひーに抱きつく。しがみつく。叫びだす。
彼女の目から、涙がこぼれる。嗚咽を零しながら、彼女は謝り続けた。
その突然の、壮絶な光景に、俺は軽く驚いてしまう。
ひーはそんなヤアイの背にそっと手を掛け、強く抱きしめた。
勿論俺は、彼女が何を謝っているのか分からなかった。何が起こっているのかすらもわからなかった。ただ、黙って見つめていた。遮ることはできなかった。気が起きなかった。
「もういーよ。・・・・・・もういいから。・・・お前のせいじゃねーし、それにお前は被害者だろーが。・・・なのに、お前はがんばった。がんばったよ。お前は悪くない。・・・__よく、生きてくれた」
「・・・・・・・・・・・・ごめん、なさい・・・・・・」
ヤアイはいくらか、落ち着いた表情になった。軽く瞳に、光が宿ったような気がした。もともと芯が強い子なんだろうと俺は思った。
「・・・・何があったの?」
・・あーー。思わず聞いてしまった。聞かないほうがよかったかな・・・。
「・・・・・・・・・・・・」
ひーはこちらに向き、薄く、俺に申し訳なさそうな顔で、笑った。
「・・・?」
・・・何?笑った?なんで、俺に?
「・・・・・・ミカ――。・・っふぐ、むが、うごごごこ」
「『ひー』だから」
「むは?」
「察しろ」
ひーは何かを言いかけたヤアイの口を塞ぎ、一方的な事を言ってのけてさらにヤアイの頭を軽くはたいた。ヤアイは「くひぃっ」と変な悲鳴を漏らした。
「ちょっと、『ひー』。まずさ、その子何?『クロノス』とか言ってたけど、もしかしてさっきひーが話してた、歴史云々の決めごとをした三人の神のうちの一人のクロノス?」
とりあえず、最初からわけ分かんなかったけど、再び同じことを聞くのははばかられたので、別の事を聞くことにした。俺は以外と野次馬性があるのかもしれないと頭の片隅で一瞬思ったけど、無視した。
「お、勘がいいな」
「『ひー』?もしかして・・・・・・」
ひーと、クロノス・ヤアイは、それぞれに俺の言葉に反応した。
ひーは自分の思惑を察し視線を向けてきたヤアイに、軽く目配せをし、視線を向日葵に戻した。
「一人は神様じゃねーけどな。コイツは、歴史云々の決めごとをした初代の『クロノス』の孫。つまり3代目。いろいろあって、仕方なく幼いコイツが後を継いでいる」
「ふーん」
なんか複雑そうだな。まあいいや。それで満足してやるか。それ以上はめんどくさそうだし、いいや。
《・・・・・・・・・ミ・・・、じゃなくて、ひー様。このロボット・・・、もしかして・・・・・・》
《ああ・・・・・・》
ヤアイとひーがこそりと話していた事に、そのとき俺は気づかなかった。
「んで、そいつの名前は向日葵。アタシが付けたんだ」
「良い名前です」
話を吹っ切るようにひーは言い、ヤアイはその俺の名前を褒めた。
・・・。・・・そういうのやめてほしい。嬉しくもないし。ひーは「いやぁ」とくねくねしてた。「きもい」と言ったら「向日葵・・・、お前はそんな子に・・・お母さん悲しい・・・・」と返してきた。うざい。お母さんってなんだ。冗談もいい加減にして欲しい。
「それで、何か私に用があったのでしょう?ミ・・・・ひー様」
ヤアイはひーの本当の名前(おそらくだけどほぼ確実)を言おうとした所をひーに軽く睨まれ、ヤアイは慌ててそれを訂正した。
べつにそこまでこだわんなくていいのにと思った。でも何故か少し、少しだけ、胸が鳴った。そんな様子顔には絶対出さないけど。でも、少し考えて、思い直した。
ひーはただ単に、自分の本当の名が嫌いなだけかもしれない。ヤアイが『クロノス』の名を嫌がっていたように、またひーもその名が嫌いなのだろう。そういえば俺が最初名を聞いた時も、そんな素振りを見せていた。それを思い出して、なんだかがっくりした。・・・がっくり?いやいやしてないよ。してないってば。
「あ?あ、ああ、そうそう、ヤアイ。お前に頼みてぇ事があんだよ」
「ひー様のためならなんでもいたします!『あの時』のせめてもの償いをさせて下さい!!」
「マジ?償いとかは別にいいけど」
「はい!償いとかそういうので」
「・・・まぁいいや〜。そぅかぁ。まあ、なんでも言うこと聞いてくれるのかぁ〜。にゅはは〜ん、ヤアイちゃああ〜ん?」
急にひーの態度が変わる。きも。
「ううう?にゅ、・・・・はい?」
そんなひーの様子にヤアイは「言い過ぎたか」という表情をしたが、一度言ってしまった事は確かなんで多少渋りながら仕方なく肯定した。
「ヤアイちゃん?コイツを過去に連れてってやってくれなーあい?」
「はへ?」
「過〜去」
「・・・過去?」
「過〜去」
・・・成る程。ひーの思惑が段々見えてきたような気がした。
おそらく、てか絶対、ひーはヤアイに俺を過去へ飛ばさせる気だ。クロノスは時の神だと言うし、それが彼女だと言うのなら、俺を過去に飛ばすのも可能なのかもしれない。
・・・・・・ということは、逆に考えてみると、ひーにはその力が無いという事になる。不思議な力で俺の身体を一瞬で直す事ができても、やはり出来ない事はあるのかね。
それにそもそも、天使と神は上下関係があるものとデータには記されている。聖書の無事なデータをかろうじて引用してみただけで、本物はどうかしらないけど、確か天使は天の使い、つまり神の使いというものじゃなかったかな。
でもこの二人の関係をみると、天使が上で神が下だ。上下と表すよりも、姉と妹と表したほうがしっくりくるけど。
それとも、清浄とされている天界には上も下もないのだろうか。
だとしたら、少し、いや結構、・・・羨ましいな。
いや、この世界の残酷さを思えば、羨ましいどころじゃない。・・・ずるい。
今まで俺は、人間達が神を崇め敬愛し、神父がありもしないはずの世界を、確信も持たずに語っているのに、熱心に人々が聴いているのを見て、悲しいな、と思っていた。
人間でさえ何かに縋らなければ、生きて行けないそんなこの世界。
その下であるとされるロボットは、どうやって生きていけばいいんだろう。
・・・・そう考えていたのは、俺だけだったけど。