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黒髪の姫

「アンジェリーナ、今日は何をして過ごそうか? 編み物? 読書? ショッピングなんかもいいよね!」

「そういう気分じゃない」

「あ、お茶する? 庭園のお花は全部焼いちゃったけど、でも温室の方は昨日整備が完了して」

「お茶もいらない」

「折角塔の外に出れたんだから楽しまなくっちゃ」


 ベッドの上で膝を抱えるアンジェリーナの前で、ガリオンは困ったような笑みを浮かべる。ここに移り住んでから、彼は毎日のように部屋の外に出ようよと誘ってくる。アンジェリーナのためにいろんなものを揃えたのだと、一緒に見に行こうと手を伸ばす。けれどアンジェリーナはむくれたまま。視線すらあげずに素っ気なく答える。


「私は外になんて出たくなんかなかった」

「それは、僕も同じだけど……」

 こんなこと言ってもガリオンを困らせるだけだって分かっている。だがアンジェリーナの居場所は塔の中の狭い部屋であり、こんな広いだけのお城なんかではない。今後何日経っても慣れることはない。



 ガリオンが王を殺害し、国を制圧したのは三ヶ月前のこと。国王といっても長きに渡り国を治めていた王家の血筋を継ぐ者ではなく、三年前のクーデターを引き起こした反乱軍のリーダーだった男だ。

 かつてこの王によって国を滅ぼされた他国の民達が、王政に不満を持つ国民と手を組み、そして王の首を取った。王だけではなく、ワガママ放題の王妃や王子も皆殺し。残ったのは呪われし黒髪を持った末の姫のみ。生まれてすぐに適当な使用人に金を握らせ、王都から遠く離れた山奥に捨てられたその娘の消息を知る者はいない……はずだった。けれど新たな王となった男はなぜか姫の生存を確信し、山奥にひっそりと建てられた小屋までたどり着いた。


 ーーそして殺された。

 床板が真紅に染まった時、初めてアンジェリーナは自分が姫だと知った。

 今まで一度も塔の外に出たことも、ガリオン以外の他者と触れ合うこともなかった。きっと男が居住スペースに押し入ってさえこなければ知らぬまま生涯を終えていたことだろう。なぜ塔の外に出てはいけないのか分からなかったけど、でも不便はなかった。いつだってガリオンがいて世話を焼いてくれた。外に出られない代わりに彼はアンジェリーナになんでも与えてくれた。枯れることのないお花も綺麗な髪飾りも、異国物語だって。その中には悪魔とお姫様の話もあった。


『黒髪の女は悪魔に魅入られる』ーーその一文を見たとき、失礼しちゃうわと頬を膨らませたものだ。アンジェリーナもまた、物語の姫と同じ黒髪。悪魔に生活を壊されるはずがないと、今までの生活が変わることを疑いもしなかった。けれどあの日、何もかもが変わってしまった。


 アンジェリーナは自分が姫だとわかると同時に、ガリオンが悪魔であると知ってしまったのだ。実の親によって捨てられたことも、それを拾って育ててくれたのがガリオンだということも。


 彼は城に来てから人の姿をすることを辞めた。隠す必要がないからだ。十数年見てきた丸まった背筋はピンと伸び、立派な羽根まで生えている。鳥のようにふわふわとした可愛らしいものではなく、バラの棘をもっと鋭くしたようなもの。そこから一枚の羽根をプチリと抜き取って、人の首をバッサリと切り落とす。塔にやってきた侵入者を殺した時と同じ。なんの躊躇もなかった。魚を捌くのと何も変わらない。悪魔にとって人間など、その程度なのだ。なのに彼は必死でアンジェリーナのご機嫌を取ろうとする。本や花をポンポンと空中に出しながら「機嫌をなおして?」と顔を覗き込む。見た目が変わったときは驚いたけど、でもそれ以外何も変わらない。


「誰かに意地悪されたの? なら僕が守ってあげる」

「国中の人が私とあなたを恐れているのに、意地悪なんてされるはずがないじゃない」


 小さな塔から城に移り住んで、アンジェリーナにはたくさんの使用人が付けられた。ガリオンは『アンジェリーナはお姫様なんだからこれが普通なんだよ』と言うが、ビクビク怯えながら働く姿は普通じゃない。失敗すれば首を刎ねられ、床に血だまりを作る。血がシミになる前にその場を片付けなければ周りにいたもの達も殺される。迷いもなく殺し続けても使用人が居なくならないのは、一度死ねば人間ではなく死霊として働かせられるから。一般人にはまるで違いが分からない上、死霊でも殺されたら痛みを伴うらしくガリオンへの恐怖は変わらない。


「そうだ、人間が欲しいんでしょ。取ってきてあげる」

「いらない。私にはガリオンだけでいい」

「そうだよね、君には僕だけでいいよね! ずっとあの塔の中で過ごせたら良かったのに……アドーラも殺そうか。あいつが人間如きに手を貸さなければこんなことにはならなかったんだし! でもあいつがいないと死霊の管理が面倒なんだよな……」

「このままでいいから……」


 アドーラとは、クーデターを引き起こした男が召喚した悪魔だ。ガリオンの同族で、友人でもあるらしい。彼は正規の手段で呼び出され、そして召喚者から代償をもらう代わりに願いを叶えた。その中に王族の全滅、つまりアンジェリーナの殺害補助が入っていたに過ぎない。アドーラによって二人の居場所はバレ、男によって亡き者とされていた姫の生存もバラされてしまった。


 今後、アンジェリーナの存在は各方面から狙われることだろう。もう隠れて暮らすことは出来なかった。ガリオンもそう判断したから城に連れてきて、アンジェリーナを新たな王女としてトップに据えたのだ。男の首を刎ねた際、ガリオンはアドーラも半殺しにしている。そして彼はせめてもの償いにとガリオンの手助けをすることを申し出た。死霊の管理もその一環である。本来悪魔は代償をもらわなければ働かないらしいが「ガリオンのお気に入りだし、君は黒髪だからさ」と真っ黒いフードを震わせながらケタケタと笑った。


 悪魔にとって黒髪は特別な存在なのだ。

 悪魔の姿を見ることができるのは召喚者の他には黒髪だけ。ガリオンは山の中に捨てられていたアンジェリーナに笑いかけられた瞬間に恋に落ちたのだと話してくれた。赤子だから覚えていないけれど。その話を聞いた時からアンジェリーナはずっと不安でたまらない。

 なにせガリオンが好きになってくれたのは見た目でしかないのだ。別の黒髪が現れたら彼はそちらを好きになるかもしれない。塔の中にはアンジェリーナとガリオンしかいなかったが、今の彼は統治のために国内外問わず飛び回っている。黒髪がどのくらい珍しいものなのかは分からないけれど、一人くらいいるかもしれない。アンジェリーナはあくまで『お気に入り』でしかない。それ以上が現れたらきっと捨てられる。


 外になんて出たくなかった。

 あのままで、二人しかいない空間でずっと過ごしたかった。

 目の前に人の頭が転がる度、その人の髪が黒ならいいと思ってしまう。そしてそのまま彼の心を奪う者が自分以外全て消えてしまえばいいと願ってしまう。


 その感情が普通じゃないことくらい、アンジェリーナだって理解している。


 ワガママな王女は殺されるーーそんなシーンを本で何度も読んできた。きっとガリオンに飽きられたらスパーンと首を刎ねられてしまうのだろう。そして何の興味もなかったかのように処理されてしまうのだ。



 ◇◇◇

「なぁアドーラ、アンジェリーナはどうしたら僕に惚れてくれると思う?」

「もう十分惚れてると思うけど……強いて言えば人間を殺すの止めたらいいんじゃないか?」

「だけどそれじゃあアンジェリーナを取られちゃうかもしれないだろ」

「昨日は同族を用意すれば喜んでくれるかもって言ってなかった?」

「言ったけど、でもアンジェリーナはいらないって」

「どうせ殺されるだけだと思ってるからじゃないか? 用意したところで気に入らなかったら殺すだろ。そもそも城どころか国中探したところで人間なんてほとんど残ってない」


 まるで責めるような言葉を吐くアドーラだが、ガリオンが塔を出る前からこの国は多くの死霊で溢れていた。アドーラの駒は城内はもちろん、城下町や小さな村に至るまで各地に置かれていたのだ。ガリオンが殺した人間を死霊として利用しようと言い出したのも彼だ。すでに死霊を各国に送り込んでおり、ガリオンがアンジェリーナのために城を整備している間もアドーラは着々と情報を集めてくれている。それが彼なりの、親友に牙を剥いた贖罪なのだろう。どんな対価よりも、アンジェリーナの役に立つことこそが効果的であると彼はよく理解している。悪魔にとって枷ともなる名前をアンジェリーナに呼ばせるのも、彼なりの誠意なのだろう。これだから彼は簡単に切り捨てられない。


「悪魔に囚われた姫を奪還しようなんて計画を耳に挟んだらとりあえず殺すしかないだろ。死霊にすれば管理下に置ける」

「そういえば連合国が俺らの侵攻を恐れて悪魔召喚しようとしているらしいぞ。悪魔を恐れているくせに悪魔に頼ろうなんてやっぱり人間は変わってる」


『漆黒の女王』『復讐の姫』『死霊の国の長』

 アンジェリーナを指す言葉は様々だが、どこの国も同じく彼女を恐れる。復讐のためにその黒髪で悪魔を誘惑したなんて話もあるらしい。全く馬鹿な話だ。悪魔だって黒髪なら誰でもいいわけではない。ただ今まで悪魔の子を孕んだのは全て黒髪の女だったから、そんな噂が立っただけに過ぎない。そう、ガリオンが惚れたのはアンジェリーナが黒髪だったからではない。

 もちろん彼女が悪魔を見ることができたのは黒髪であったから。だが多くの黒髪は自分達と異なる存在を恐れるものだ。そして悪魔は強き者に媚びへつらう。生まれた時から他よりも魔力の強かったガリオンの元には多くの悪魔達がすり寄ってきた。人間も悪魔も、その他の種族も含め、下心も悪意もなくただただ純粋な笑みを浮かべてくれたのはアンジェリーナだけだったのだ。


 愛おしいものを手に入れたガリオンは初めて恐怖を覚えた。拒絶されたくないと、自ら彼女の支配下に下り、わざわざ人間のふりまでした。塔での暮らしはままごとのようだったが、それでもクルクルと表情を変える彼女との生活は楽しくてたまらなかった。

 意図しない事態によって悪魔の姿を見せてしまったが、それでもあの子は変わらなかった。今だって慣れた環境が変わってしまったことに戸惑いつつも、変わらずにガリオンを求め続けてくれている。そんなところも愛おしくてたまらない。


「応じた瞬間殺せばいい。アドーラの時のように許しはしない」

「怖い怖い。ああ、それと黒髪狩りだけどあそこに転がってるので最後だ」

「仕事が早くて助かる」

 ガリオンは悪魔の力を使ってアンジェリーナの心を覗くことができる。けれど自分の心を見せることはできない。だからこうして彼女の不安である他の黒髪を全て殺した。アドーラに死体の回収まで頼んだのは死霊にするためではない。王座に飾るためだ。炎の代わりに首が飾られた燭台を見ればアンジェリーナ以外の黒髪に興味がないと分かってくれるだろうか。それでも信じてもらえなければ他のものを用意しなければ……と思考を巡らせる。そんなガリオンにアドーラは呆れた視線を送る。


「しかしここまでするか? 悪魔の俺でもやり過ぎじゃないかって思うがね。種族の数が大幅に減少すれば理が歪む……そろそろ神族が出てくるんじゃないか?」

「神族だろうと障害となるなら殺すだけだ。あいつらだって弱点がないわけじゃないからな……。そうだ、プロポーズの品として創造神の首をアンジェリーナに捧げるのはどうだろうか!」

「人間なら指輪がいいんじゃないか? 前に俺を召喚した人間は大きな宝石を欲しがったぞ」

「他と同じじゃダメなんだ。俺がアンジェリーナのことを心から愛していることを伝えないと」


 他種族に恐れられている神族の中でもトップに立つ神こそ創造神である。この世界で彼のみが替えの効かない存在とされている。彼の生命活動が停止すればこの世界がどうなってしまうのか想像もつかない。だがそのくらいのモノを捧げればきっと彼女は信じてくれる。


「ああ、アンジェリーナ愛してる……」

 ガリオンの頭はアンジェリーナのことで満ちている。彼女のためならどんな罪だろうと重ねられる。愛おしい女性に最高の品を捧げられる日を想像し、狂った悪魔は空を見上げる。その表情は甘い果実のように蕩けきっていた。


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