07 生きたい
『難病だった私は幼い頃からずっと病院のベッドで過ごして来たのだが、中学一年生の頃にいよいよ身体が動かなくなり、真っ白な天井を見詰めるだけの毎日が始まった』
ーー両親に愛された恵まれた家庭に産まれた私は、小学生へ入学してすぐに体調不良を訴えるようになり、親に連れられ何ヶ所もの病院を回った結果、私は両親や祖父母や親族が絶望するような病魔に襲わていた事が分かった。
身体の筋肉が徐々に徐々に衰えてやがて死に至る小児性の難病。
歩行困難やベッドで寝返りをうつ事すら難しくなった肉体は、喋る事や物を飲み込む事も出来なくなりやがて最後は自律肺呼吸も止まって死に至る病……。
当たり前のように小学生になって、そのまま当たり前のように中学に進学してセーラー服を身にまとい、当たり前のように高校生になっておしゃれなブレザーに袖を通すものだと思っていたのに、そんな誰もが当たり前のように進む人生からドロップアウトした私は、洒落っ気の一切無い簡素な服を着て病室と処置室を行ったり来たりするだけの日々を送る事になる。
悲しみを噛み殺した両親は常に笑顔で私に希望を語り、身の回りの面倒を見てくれながら奇跡を願っていたのだが、私より二つ歳下の妹をあまり連れて来たくなかったのか、車椅子を利用しないと移動出来なくなっていた小学生高学年の頃の記憶を最後に私の短い人生から姿を消した。
ーー臨終の間際にふらりと現れて衝撃の事実を伝えてくれたのは妹なのだが、その時は聴覚だけが生きていたので成長した妹がどんな表情でそれを語っていたのかは不明だが。
いずれにしても、復調の兆しが現れない私は日に日に弱り続け、既定路線であった車椅子生活から寝たきりへと変化し、やがて切開された喉にチューブの管を繋いで栄養剤を注がれながら、ひたすら白い天井を見詰めるだけのラストスパートが始まったのである。
毎日毎日母が介添えで部屋を訪れ、生命維持装置の付いた私に他愛の無い日常を語りかけたり、音だけでも楽しんでくれるだろうとテレビを点けては、ワイドショーやドラマなどの解説を耳元で囁いてくれた。
父は仕事が忙しい中短時間駆け付けてくれたり土日の休みを利用して駆け付けてくれ、「雛子が大きくなったら」と夢を語り続けてくれた。
だが十七歳の誕生日を自覚した後ほどなくした頃、珍しい客が病室を訪れた。
目の前が真っ暗で鼓膜の振動しか取り柄が無く、生命維持装置を外した途端に心臓が止まってしまうまでに弱りきっていた私の耳元で誰が囁いたのである。
「雛子姉さん、私よ、絵里香よ」
もう何年も会っておらず、脳裏には幼い頃の顔しか浮かんで来ないのだが、妹の絵里香が見舞いに現れたのだ。
久々に聞く妹の声、、、自分を姉と呼んでくれる世界でたった一人の存在を再確認した私は、改めて彼女が訪問して来てくれた事を心から喜んでいたのだが、彼女はどうやらそうではなかったらしい。
ーー心電図の波長だけが生きている事を証明するそんな私に対して、死ぬ前にどうしても言いたい事があったらしいのだーー
「雛子姉さん。あんたさあ、気付いてた? 父さんと母さんが一緒に病室に来ない理由」
妹の囁き声はひどく荒々しくて攻撃的。まるで積年の恨みを晴らそうとしているかのような、刺々しく毒々しい言葉を並べ始めたのだ。
「もう何年も前になるんだけどさ、父さんと母さん離婚してるんだよ。何故か分かる? ぜんぶ姉さん……あんたのせいだよ」
右も左も上下も真っ暗な空間に咲いた私の小さな自意識が真っ青に色を変えてガタガタと震える。
「仕事が忙しい父さんと、あんたの治療を全てに優先させる母さんで話が噛み合わなくてさ、私をほったらかしに空気は最悪。結局離婚した後も父さんが治療費出してるんだけど、どうやらそれも終わりらしいよ」
クスクスと、悪意のこもった嘲笑が耳元で聞こえる。
「父さんの会社ヤバいんだってさ。このままあんたの治療費を払い続ける事が難しいらしいよ」
多分妹は寂しかったのであろう
良くも悪くも父と母の興味は私に集中し、健康な妹は常に後回しにされてしまう。
長年に渡るその寂寥感が積もりに積もり、私に対する恨みに昇華したのは想像に難しくはない。
「もうさ、そろそろ良くね? 何頑張ってるか知らないけど、見苦しくてしょうがないんだけど」
ーーその言葉が、雛子としての最後の記憶だった
絵里香ゴメンね、私のためにたくさん悲しい思いをして来たんだねと……心の中で謝っている時に私の意識はぷつりと切れ、真っ暗な世界にある私の意識と外の現実世界との接点は失われた。
“生きたい! 生きているのを実感したい! 自分の足で歩いてみたい、思った事を口に出して喋ってみたい、世界の姿を自分の目で見てみたい、友人に囲まれて時間を共有してみたい! ”
永遠に続くかと思われた暗闇の中で喉が張り裂けるほどに叫び続けていた私は、やがて光に飲み込まれた。
その光は天国のお迎えでも神様の後光でも無く、ティティエの太陽の陽射しだったのだ。
ーー女神フィナ・アルトーの告白