05 乙女の憤り
「だ、暗黒物質? 」
「はい、それが先代バシレイオスの力。エイジが背中に背負った刻印の力にございます」
安宿の食事に満足した後は、宿の井戸から水を組み上げ昼間の汗を洗い流す。
元々この地に温泉などは無く、お湯を沸かす施設も無い事から湯浴みなどの風習は無い。だからザブザブと井戸水をかぶって汗を洗い流すだけ。
本来なら夕涼みの時間帯に水浴びするのだが、食事を優先した結果、二人は透き通った星空の下で震えながら汗を流す事となってしまった。
全裸ではなく着衣を一枚だけ残しての水浴び。
昼の間に太陽の熱を蓄えた地下水は思いのほか暖かく、バシャバシャと頭からかけている間は極楽この上ないのだが夜の風はあっという間に体温を奪って行く。
身体を急に襲う冷気にしびれたのか、エイジもイサベルも必要以上に声を張り上げて会話した結果、前述の「ダークマター」に行き着いたのである。
「ダークマターとは世界中に散らばる負の力を喰らい、それを自分の力として発揮する先代バシレイオスのオリジナルスキルです」
「その力が俺にはあるって事? 」
ーーいや待てよ。魔法とかじゃなくてその人にしか無い固有のスキルであると言う事は
「イサベル、もしかしたら先代バシレイオスも魔人だったのかい? 」
「おっしゃる通りです。ティティエに降臨した際の彼は、そりゃあもうヨダレが止まらないほどの、みずみずしい美少年でしたよ」
……えっきしゅん! えっきしゅん!
……くちん! は、は、は、くちん!
くしゃみで会話を途切らせた二人はもう我慢の限界だと、脱兎のごとく水汲み場から走り出して自室に戻った。
小さなテーブルに椅子二脚、隣には二段ベッドがそびえるだけの手狭な部屋に戻った二人は、テーブルの上にあるランプの灯を落として身体をぬぐい、後は寝るだけ……
早々に寝床に入って目を瞑り、明日への活力を蓄える事で一致した。
ーー正直、エイジは話疲れていた。以前いた世界と比較してもたった一日でこれだけ人に話して、これだけ人の話を聞いた事は無い。他人とのコミュニケーションを重ねると言う一点において、疲労感を覚えていたのである。
だがしかし、その疲労感は嫌な疲れではなく、楽しくて心地よい疲れ。久々に感じた他者との楽しい時間の過ごし方であり、毎日がこうならばと願えるような一日であったのは間違いない。
児童福祉施設で職員たちから冷たい目で見下されていた日々、クラスの同級生から親無しの安いヤツと蔑まれイジメられる毎日。その施設と学校の往復だけの毎日に楽しげな会話など無く、自分に興味を持って笑顔で近付いて来る者などいなかったからだ。
ーーそう、あのアオイ姉ちゃん以外には! ーー
だから話疲れたエイジは、布団に潜り込むとあっという間に夢見心地。自分に隠された能力は何なのかと色々聞き足りない部分がありながらも、睡魔の誘惑に勝てず徐々に徐々に眠りの世界へと落ちて行く。
「……エイジ、エイジ。眠れますか、寒くないですか? ……」
上のベッドからイサベルの声。眠りに入るのを邪魔するようにワザと掛けて来た声ではなく、安宿らしく薄い布団に臭うベッドでも問題無く眠れるかと、心配するような優しい声がエイジの鼓膜を撫でる。
「うん、大丈夫。ちょっと寒いけど眠れるよ」
気を遣ってくれてありがとうーーそう声に出せたか思っただけで口に出来なかったか、それすら分からないほどにエイジの睡魔は間近に迫って来ていた。
(そうですか、ちょっと寒いですか)
イサベルの声が遠くに聞こえたような気がする。
遠くに聞こえたような気がするなあと認識した時、ふわぁと身体が途端に暖かくなり、エイジは誰かに抱きしめられたのだ。
どうやらイサベルがエイジのベッドに忍び込み、寒いと言った彼のために暖めてくれているらしい。
「暖かい、暖かいよイサベル」
「朝までこうしてます、安心してゆっくりお休みください」
「イサベルは優しいね……まるで……お母さんみたいだ……」
(お、お母さん? 違いますよエイジ、私乙女ですから、私乙女ですから! ああっ、もう寝てるうう!)
相良映司の歴史は終わり、エイジ・バシレイオスの新たな人生……その一日目が終了した。
まだ右も左も分からず自分が何を為すべきか見えてもいないエイジ、今は記憶の底に微かに眠る母を思い出し、幼な子のように眠るだけである。
ーー乙女の憤りも届かぬままに
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