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悪役令嬢の対義語は

作者:木綿
ちょっと流行りに乗ってみたくなりました。
普段、設定をガチガチに練ったくらーいシリアスな話を書いているもので、息抜きに設定ごった煮闇鍋状態のゆるーい世界観で、アホな話を書きたくなったんです。
「マリアン・ド・ソーンダイク! 貴様との婚約を破棄する!」

 王太子クロードは叫んだ。全校生徒の目の前で。

 クロード王太子の婚約者であり、大貴族ソーンダイク公爵家の嫡子であるマリアンは、表情を変えなかった。貴族たるもの、いついかなる時も平静を失ってはならない、というのが年の離れた姉の教えだった。

「お言葉しかと伺いました、王太子殿下。ではごきげんよう。おいで、ミリー」

 本当にいい天気ですわね、とでも言うかのような口調で華やかに微笑み、マリアンは侍女の名を呼んだ。小柄な侍女は主人の呼びかけに応え、頷いて主と共に大講堂を退出しようとする。実のところ公爵家当主から押しつけられた婚約者にマリアンは興味がなかった。たとえ相手が王太子でも興味がなかった。無論貴族の義務やら国民の期待やら何やらかんやらの事情があり、気の進まない婚約でも精一杯その勤めを果たそうと努力はしてきたのだが、その相手がこの態度では努力もさすがに限界であった。

 先方から婚約破棄を言い出してくれたとはもっけの幸い、とほくそ笑み、優雅にその場を立ち去ろうとしたマリアンであるが、王太子はもう一度叫んだ。

「待たれよ、マリアン・ド・ソーンダイク!」
「まだ何か、殿下」
「貴様の、ミシェルに対する数々の所業を明らかにせぬうちは、この場を立ち去ることは許さぬ!」
「ミシェルとは、どなたのことでしょう」

 怒りに声を張り上げる王太子とは対照的に、マリアンはあくまで冷静であった。王国随一の当学院に通う学生は多く、ミシェルなどという男にも女にもありふれた名前だけでは誰のことやらわからない。優雅に首を傾げつつ、王太子の後ろでふるふると震えているピンクブロンドの下級貴族と思しき人物に目をやる。

「下級貴族の名など知らぬと申すか、傲慢な! こちらの、ヴェッツラ男爵家のミシェルである。覚えがあろう!」

 王太子が指し示したのはやはりピンクブロンドの下級貴族だった。なるほど、とマリアンは頷く。

「ミシェル・ド・ヴェッツラ殿のことでございましたか。もちろん、学友でございますからお顔とお名前は存じ上げております。しかしおそれながら殿下、ミシェル殿のお父上は先だって子爵におなりです。ご尊父の爵位をお間違えになるとは王太子とても許されぬ非礼、ミシェル殿に謝罪なされませ」

 下級貴族のことなど歯牙にもかけていないのはむしろ王太子だ、マリアンこそ下々の者にもよく気を配っている——とギャラリーに思わせるのは一瞬だった。ふふん、という気分を表情に出さずマリアンは微笑んでみせる。こちとら、伊達に女傑と名高い実姉ソーンダイク女公の薫陶を受けているわけではないのだ。

「——ええい! 糾弾を恐れ逃亡をはかり、かなわぬと見るや舌先で論点を逸らそうとはどこまでも卑劣な! いやしくもソーンダイク公爵家の嫡子たるならば潔く我が弾劾を受けよ!」

 糾弾。弾劾。穏やかでない言葉に周囲がざわめく。マリアンもさすがに表情を引き締めた。侍女のミリーをさりげなく背後に庇う。

「糾弾、でございますか。わたくし天地に誓って恥ずべき行いは致しておりませんので、糾されるべき罪のあろうはずもございません。しかるに王太子殿下におかれましては何やら重大なお考え違いがおありのご様子。臣下として看過できぬ事態と愚考いたしますゆえ、よろしゅうございます、弾劾とやらをうかがいましょう」
「ぬけぬけと……!」

 怒りに満ちた声で吐き捨て、クロード王太子はヴェッツラ男爵家のミシェルを抱き寄せる。あ、とミシェルから溢れた声は細く高く甘くたおやかで、異性の庇護欲をそそるものではあった。同性のマリアンとしては女々しい、と苦々しく思うばかりだったが。

「マリアン、貴様という婚約者がある身でありながらミシェルに惹かれたのは、この王太子クロードの不徳の致すところであったかもしれない。父王にも叱責を受けたゆえ、その点については謝罪しよう。
 しかしながら、我が責めは我に帰すべきであろう! ミシェルを妬み、またその身分の低いことを蔑み、ミシェルに危害を加えるとは! 到底許されるべき行いではないぞ!」

 色々と突っ込みどころだらけの王太子の言である。クロードは随分と強烈な色眼鏡を掛けているようだ。これが色惚けというものだろうか、いや何とも色恋とは恐ろしい。

 脳内が一瞬レインボー色に染まったが、マリアンはこほん、と咳払いをして脳内のカラフルな映像を追い払った。

「謝罪は頂戴いたします。今後はどうかお気に召されませんよう。
 しかしながら、お言葉の後半は首肯いたしかねます。わたくしが何ゆえミシェル殿を妬むとおっしゃるのか。身分を蔑むなどとんでものうございます」
「何を、今さら取り繕うか!」
「取り繕うも何も、そのような天に唾吐く真似をわたくしが致す道理がございませんでしょう。わたくしの生まれ育ちをお忘れになりましたか」

 はた、と王太子が動きを止める。周囲の学生らからも、「あ、そういえば」「だよなー」とちらほらと声が上がった。

 マリアンは今でこそソーンダイク公爵家の嫡子たる身分を取得しているが、幼いころは下層民として下町に暮らしていた。先代ソーンダイク公爵は気の多い男性で、正室たる公妃のほかにも数多くの愛妾を抱え、さらにそれだけでは飽き足らず領内の女性に手を出しては種をばら撒いていた。撒くだけ撒いて刈り取られなかった種のひとつがマリアンである。いわゆる『公爵家のご落胤』という、物語で好まれる類の生い立ちであった。
 マリアンがまだ幼い頃に、先代ソーンダイク公爵が梅毒というこれ以上なくもっともな理由により死の床につき、唯一の公妃腹の嫡子であったアリエノールが女公となって跡を継いだ。アリエノールはごく真っ当な倫理観を持ち合わせた女性であったので実父の所業を恥じ、父の庶子たる異母弟妹にそれなりの爵位を与え保護した。中でも最年少のマリアンに対しては、これは仕込めばものになる、と見たらしく、認知も行わなかった父公爵とは打って変わって自らの養子としてマリアンを公爵家に迎え入れた。異母姉であり養母となったアリエノールの躾と教育は、下町育ちのマリアンにはそれはもう厳しかった。比喩でなく血が滲んだ。しかしその甲斐あって、公爵家の子女としてどこに出しても恥ずかしくないマリアン・ド・ソーンダイクという人間が作られたのだった。
 マリアンの実母はアリエノールにより男爵夫人の称号を与えられたが、実のところ十代遡っても立派なド平民の血筋であり、マリアンの幼少期の身分はミシェルよりも遥かに低かった。そのミシェルを蔑むなど、一瞬で自分に返ってくるブーメランを放り投げるようなものだ。天下の切れ者、我が国随一の女傑と聞こえるアリエノール・ド・ソーンダイクと父を同じくする兄弟として、また今は恐れ多くも養子に迎えられ公爵家の嫡子たる身分を与えられた身として、そのような愚かな真似は天地が引っくり返ってもできない。王太子の怒りも叱責もマリアンは怖くないが、姉は恐ろしかった。

 ミシェルだけはその事情を知らなかったのか、きょとんとしている。呑気なものだ。マリアンは姉から、『よいか、マリアン。貴族社会において最大の武器は、武力でも金の力でも身分でもなく、情報と人脈じゃ。誰がどのような背景を持つ人物で、どこどどう関わっているのか、何をおいても把握に努めよ』と厳命を受けてこの学院に入学してきたので、一応は生まれついての貴族たるミシェルが自分の興味のない相手について無関心を貫くのが信じられなかった。

「ぐっ……ふ、ふん、そういえば貴様は下町の女の子供であったな! 我が婚約者としてとうてい相応しからぬ生まれを自覚していたか。しかしミシェルに危害を加えるとは焦りすぎたな、所詮は卑しい下層民の浅知恵よ!」

「——我が母を侮辱なされますか。民草を蔑まれますか。王太子ともあろうお方が言語道断。我らの婚約が何ゆえ結ばれたか、いささかもご存じではいらっしゃらないのですね」

 場の空気が途端に悪くなったことにも、王太子は気づいていない。この学院に身分による入学制限はないので、平民も多く通っている。その彼らの前で何たる愚かな発言。
 ギャラリーの大多数を占める貴族の子弟らも顔を青ざめさせる。昨今、王室と貴族制度は国民の間で人気が低く、廃止の声も上がっている。どこの貴族もその現状を十分に理解し、領民の支持を回復するのに躍起になっていた。貴族の子弟は民なくして自らの暮らしが立ちゆかないことを幼いころから教え込まれている。領土のため領民のために人生を捧げよときつく戒められるのが今日日の王侯貴族の躾だった。
 だがどうにも王太子はひと昔もふた昔も前の選民思想を引きずっており、それは宮廷でも問題視されていた。だからこそ、マリアンとの婚約が整ったのである。ソーンダイク公爵領は、先代の時代には我が国の火薬庫と呼ばれるほど革命の火種に満ちていたが、アリエノールの代になって民衆の人気を回復した。彼女は能力とカリスマを兼ね備えた辣腕の政治家であり、反王政の集団もアリエノールの追放は望んでいない。王政廃止論者が描く革命後の未来では、大統領としてアリエノールが国の指導者に選抜されることになっている。あるいは、アリエノールの実母たる先代公妃が王女であったことを理由に、現国王と王太子を追放してアリエノールを女王に、という声もある。
 宮廷にとって、情勢は深刻であった。アリエノールが革命を志せばそれは即座に実現するであろう。しかしその脅威を排除せんと彼女を暗殺でもしようものなら、怒り狂った民が黙ってはいない。苦肉の策が、アリエノールが養子に迎えたマリアンとクロード王太子との婚約だったのである。
 マリアンは、女傑アリエノールの血縁であることに加え、下町育ちのご落胤という境遇もあって国民の人気は非常に高い。マリアンをモデルにした戯曲、小説、吟遊詩人の詩歌等は数え切れず、肖像画は飛ぶように売れ、ファンレターは学院内のみならず国内外から山のように届く。王室の人気回復のため、国民の支持厚く権勢を誇るソーンダイク公爵家を取り込んでしまおうというのが婚約の裏(というわけでもなく割とあからさまな)事情だった。

 それを自らぶち壊して何とする、という視線が、マリアンからだけでなく周囲のほぼすべての人間からクロード王太子に注がれる。しかし愛するミシェルと抱擁を交わしながらマリアンを睨みつけている王太子はそれに気づきもしない。

「貴様の母も民草どもも今は関係ない! ミシェルを害さんとする不届きな行為は、決して許さぬ!」
「先ほどより危害危害とおっしゃいますが、果たしてそれはどのような」
「この期に及んで白を切るか! 半刻ほど前に、ミリーとかいったか、そなたの侍女が階段からミシェルを突き落としたのだ! 目撃者は多数、言い訳はきかぬぞ!」

「……ミリー?」
「じ、事実にございます」

 ふむ、とマリアンは考える。ミリーは認める方向のようである。侍女の内心はマリアンにもはっきりとは分からず、推し量ることしかできない。ただミリーがマリアンを裏切るなどとは、マリアンはいささかも疑っていなかった。長く自分に仕えよくしてくれた侍女を、マリアンは信じている。

 勝ち誇った顔のクロード王太子に、マリアンはやはり表情を変えずに向き直った。

「——しかして、それが何だとおっしゃいますか殿下」
「何!?」
「ミリーがミシェル殿を突き落としたとして、それが何かと申し上げております」
「貴様! 貴様がそのような凶悪な真似を命じたのであろう!」

「い、いいえ、王太子殿下! マリアンさまは関わりございません、そのような命令を受けたことはありません!」

 ミリーが叫ぶが、クロード王太子は床に唾を吐いただけで彼女には何も答えなかった。つくづく、王太子らしからぬ所業であるとマリアンは呆れ返る。

「侍女風情が直答は許さぬ! よく躾けたものだなマリアン、悪事が露見した場合は一人で罪を被れと言い含めていたか。だがそのような蜥蜴の尻尾切りは、この王太子クロードには通じぬ!」
「何と、忠実なる侍女にわたくしがかような仇をもって報いるはずがございませんでしょう! ミリーが蜥蜴の尻尾などと、たとえ王太子殿下とても許し難き暴言!」
「では罪を認めるか。ミシェルを排すべく侍女に命を下したことを。そうでなくても侍女の行動は主人の責任、逃げられはせんがな!」
「まさか! 何を愚にもつかぬことをおっしゃいます。たとえわたくしがミシェル殿を排除せんと考えたとしても、ミリーに命を下すなどありえませぬ!

 そんな回りくどい手を取らずとも、わたくしが自ら手を下したほうがよっぽど手っ取り早く確実ではありませんか!」

 妙な気まずさを含んだ沈黙が大講堂を支配した。

 えーと、まあ、確かに。でもそれ自分で言っちゃうかマリアン様。などとひそひそとささやく声が聞こえる。マリアンはそのうちの1人を指名した。

「そこの。怒りも罰しもいたしませんから、『確かに』と先ほど言った理由を殿下にご説明しなさい」
「えーっ、勘弁してくださいよマリアン様……」

 マリアンが姉直伝の一睨みをきかせると、指名された生徒は「謹んでご説明申し上げます王太子殿下」と背筋をピンと張った。

「マリアン様はこの通りスラリと背が高くいらっしゃいますし、体格もご立派です。特にお胸回りは、一度でいいからそのはち切れんばかりの胸部に抱きしめられてみたいと異性のみならず同性でも少なくない人間が憧れ——怒らないって言ったじゃないですかマリアン様!
 一方でミリーちゃんは小柄で腕も細いですし、高いところに手が届かずぴょんぴょん跳ねてるところなんか見たらもう思わず手伝っちゃうような小動物的な愛らしさ満載で、健気で性格もいい上に実は胸は結構あるから何かこう可愛がってあげたく——すいませんマリアン様脱線しました! あの、つまりミリーちゃんはどう見たってそこのミシェル様よりも華奢で力に劣ります。階段から突き落とすのだって結構労力が要りますから、ミリーちゃんだと失敗する確率のほうが高いと誰だって思います。事実ミシェル様は数段落ちたくらいでうまく踏みとどまって怪我もなかったようですし。そんな失敗のリスクを抱えてミリーちゃんにやらせるより、ミシェル様より背も高く体格にも優れたマリアン様が自分で突き飛ばしたほうがよっぽど確実です。殿下がおっしゃったように、たとえ侍女が勝手にやったことだとしても責任を問われるのが主人ってもんですし。それなら自分でやったほうがいい、ってマリアン様の立場なら誰だって考えるんじゃないでしょうかね」

 マリアンは満足げに頷いてその生徒を下がらせた。「マリアンさま……」と心配そうな目でミリーが見上げてくる。可愛い。思わず頬が緩みそうになるのを人知れずぐっとこらえる。

「——王太子殿下。まったくお気づきではないでしょうが、クロード殿下は今最後のチャンスを与えられているのです。これを逃せば後はございません。
 ミリーがせっかく穏便に済ませようと心を砕いてくれたものを、壊してもよいのですか」
「何をたわけたことを! 人を階段から突き落とすことのどこが穏便だ!」

「わたくし、後半はミシェル殿に申し上げました。よろしいのですか、ミシェル殿」

 ミシェルはびくりと震えた。それでもクロード王太子に抱きついたまま、細く高い声を絞り出す。

「わ、私、王太子様をお慕いしております。その気持ちだけは、婚約者のマリアン様でも、咎めることはできないはずです。まして、い、命を……! 偉大なるソーンダイク家の方が、そんな恐ろしいことをなさるなんて、信じられませんでした……!」

 ——ぬけぬけと、というのはこういうことを言うのですよ、王太子殿下。

「すべてを白日のもとに晒しても構わない、と解釈してよろしいですかミシェル殿」
「殿下……! 王太子殿下さえ信じてくださるのなら、ミシェルは何と言われようと構いません!」

 ——あ、本気で腹立ってきたわ。

 マリアンは内なる自分の口調が崩れてきたのを自覚する。マリアンは冷静さを失うと、下町時代の言葉遣いが蘇る。その度に姉の叱責を受けるのだが、ここはむしろ怒るべき場面のはずだ。たぶん。きっと。そういうことにしといて姉上。

「ミシェル……! さあ、マリアン、戯言はここまでだ! 貴様の侍女がミシェルに危害を加えたことについて、申し開きができるものなら言ってみるがいい!」

 その瞬間、マリアンの理性は完全に切れた。



「——盗人だってなァ、ここまで猛々しくはあるめェよ」



 それは確かにマリアンの声だった。だが、クロード王太子とミシェルはぽかんとしてどこから聞こえてきたのかあたりを見回し、ギャラリーの大多数が同じ反応を示しているのを目にした。ごく一部の生徒だけが「あー、やっちゃうか……」と天を仰ぎ、ミリーが「マリアンさまっ」と慌てたような声を出す。

 マリアンは声を張り上げた。

「あァ、知らざァ言って聞かせやしょう! ミシェルとかいうそこのなよっちいクソガキはな、あろうことかミリーに横恋慕しやがったのよ! そりゃこんだけ可愛い女だ、惚れた腫れたまではあたぼうよ! だが殿下、あんたに粉かけシナ作り手玉に取って遊びながら、ミリーを手籠めにしようたァ、お天道様だって黙っちゃいねェ! 俺さえ手しかまだ握らせてもらってねェってのになァ、いきなり胸ぐら掴んで物陰に引きずりこもうたァふてえ野郎じゃねェか、ええ!? 可哀想に、必死に身を守ろうとしたミリーが不届き野郎を突き飛ばしたところで、何の罪科があるってんでィ! 階段から落ちた程度で済んで幸いじゃねェか、俺がその場に居合わせたならその場で介錯してやったわベラボーめ!」

 わんわんとマリアンの声だけが大講堂に反響する。クロード王太子もミシェルもその他大勢のギャラリーも、目と口を見開いたまま動かない。マリアンは髪をかき上げた。

「んっとによォ、王太子サマ。あんたも、もうちっと男を見る目を養いな。ンななよっちい男のどこがいいんでィ。百歩譲ってそれが好みなら蓼食う虫も好き好きってことにしといてやるが、弱い立場の女を手籠めにしようとするような男のケツ追っかけてちゃ女が廃るぜ。俺ァ、あんたみたいなのがこの国の未来の女王なんてごめんだね。
 婚約なんぞ、こっちから願い下げよ。何が悲しゅうて惚れた女諦めててめえみてェなアーパー女と。王配殿下なんぞなりたくもねえってェの、てやんでえ!」

 未だに固まったままのギャラリーの中で、ごく一部の生徒だけが現実逃避のように「これをあんだけ矯正したんだから、アリエノール女公の躾ってすごいよなぁ……」と呟いていた。

 彫像のように動かないクロード王太子とミシェルに、「あの」と声をかけたのはミリーだった。

「あの、あの、直答を許されぬ身で申し訳ありませんが、通訳させていただきます。ミシェル様がわたしに狼藉を働こうとなさったので、勢い余って突き飛ばしてしまったのです。マリアンさまはミシェル様の振る舞いにとてもお怒りで、王太子殿下とミシェル様の交際に関しても苦言を呈していらっしゃいます。王配の身分に興味はないので、婚約破棄は喜んで承るとのことです」
「おうあんがとよ、ミリー。ついでにおめえが可愛いってことと俺がおめえに惚れてるってとこも訳しといてくれりゃ完璧だったがな」
「無茶言わないでください!」

 マリアンは顔を真っ赤にしたミリーを抱き寄せる。小柄なミリーの顔はちょうどマリアンの胸元に当たった。生まれ持った資質と姉の命令による日頃の鍛錬で鍛え上げられた厚みのある胸板は、異性のみならず同性からも「一度だけでも抱擁を……!」と懇願されることが多い魅惑の胸部である。当のマリアンとしてはあまり嬉しくない。何が悲しくて男を胸に抱かねばならないのだ。相手が女でも、今はミリー以外はごめんだった。

「……マリアン。その話はまことか。ミシェルを陥れんがため虚言の上塗りを重ねるのならば、この王太子クロードの名において決して貴様を許しはせぬ。死罪もあり得ると心得よ」

「マリアンさま、殿下はこうおっしゃってます。『その話に嘘偽りはねェだろうなァ? この上いっぱい食わそうってんなら容赦しねェぜ。こちとら腐っても王太子でィ、腹ァ切る覚悟で物言いやがれ』」
「いやあのなミリーよ、そっちは訳さねぇでいいから」

 マリアンは咳払いして、『ソーンダイク公爵令息マリアン』に戻る。表情は常に微笑みをたたえ、言葉は礼儀正しく穏やかに、しかし常に威厳をもって侮られることのないよう、貴族たるものいついかなる時も平静を失ってはならぬ——というのが異母姉であり義母である女性の教えだった。全部見事に破ったが、忘れたわけではない。

「これは異なこと。殿下、ミリーがミシェル殿を突き落とした現場には目撃者が多数いたと、ご自身でおっしゃったではありませんか。ならばその者達の幾人かは、前後の事情もしかと目にしたはずでございましょう。それでなくても平民の女子学生やミリーのような侍女たちの間で、ミシェル殿の評判はすこぶる悪うございます。理由は言わずにおきますが、このような状況で殿下を初めとする皆々様方をおこわにかけようとは。その度胸だけは感服いたします」

「……マリアンさま、おこわにかける(いっぱい食わす)は俗語です……」
「——ああ、こりゃいけねぇ」

 やはりそう簡単に切り替えられるものではない。マリアンは肩を竦めた。

 茶番は終わりだ。締めが必要だろう。マリアンはミリーを横抱きに抱え上げた。

「マ、マリアンさま!?」
「まァこうなった以上、俺らの話でもしようやミリー。王太子サマの婚約者ってな立場の間は、あのおっかねぇ(あね)さんをどうにか説得しなきゃおめぇを口説くこともできなかったが、めでたくも婚約破棄とあいなっちまった。次の許嫁は自分で選ばせてもらわにゃ」
「俺らの話って何の話ですかー! 次の許嫁ってもしかしなくてもわたしのことですかー!」
「あたぼうよ。

 んじゃすまねぇが皆の衆、俺ァちっと惚れた女と話があるんでな。どちらさんもゴメンヨ」

 まってええええええええええ、だれかたすけてえええええええええ、というミリーの悲鳴を背景音楽に、マリアンは鮮やかに退場した。


 大講堂に残された面々は、二人が出て行ってもしばらく身動きが取れなかった。「どうしてくれんのこのカオス……」という誰かの呟きにも、答えるものは誰もいない。

 やがて日没が近づき夕食の時間帯になると、やっと三々五々に散っていったが、誰もその日の出来事について口にすることはなかった。何をどう言っていいのかわからないし、それ以前に大多数の人間にとって言葉が意味不明だったのである。


 その後正式な婚約破棄やら廃太子やら国王の譲位やらそれに伴う新女王即位とソーンダイク公爵の代替わりやら新公爵の侍女との結婚騒動やら色々と嵐が吹き荒れることになるのだが、とりあえずそれは別の話である。





 とっぴんぱらりのぷぅ。
タイトル通り、悪役令嬢の対義語って何かなと考えまして。
「正義の令息」ってところかなーと思ったんです。

そして最終的に遠山の金さんに行き着きました。

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