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真夏の吸血鬼  作者: 銀月
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5.セクハラ野郎と吸血鬼

「セクハラですか」

「そう。なんつーかねえ、ちょっと顔がいいから許されるって、勘違いしてるタイプ」

「勘違い、ですか」

「ネットとかでよく言うでしょう、“ただしイケメンに限る”って。それが現実世界(リアル)でも通用するって思ってるんじゃないのかな」

 私はそれほど怒りが持続するほうではないけれど、さすがに今日は無理だった。

「やたらと接触多いなあとは思ってたんだ。んでも今日のは無理。肩組むとか、職場で何やってんだって思ったよ。外だったら裏拳で殴ってたね間違いなく」

「……大丈夫なんですか?」

 ミカちゃんが少し心配そうに首を傾げる。

「女性の先輩方に相談はしたんだ。正直キモいんですよねーって。注意はしててもらえることになったけど、めんどくさいのがさあ……」

 私はちょっとだけ溜息を吐く。

「同僚の女の子が、そのセクハラ野郎が大好きで、私に構われて羨ましいとか寝ぼけたこと言ってるの。いくらでも代わってやるってのよ」

「それは厄介ですね」

 苦笑するミカちゃんに「でしょう?」とひとしきり愚痴って、ようやくムカムカが落ち着いた。問題の先輩は、たぶん“全世界の女子にモテモテな俺”とでも勘違いしてるんだろう。ぶっちゃけ、今の現場って若くて見目のいい男性が少ない分余計なんだろう。

 もういい加減にしてほしい……というか、あと3回、なんかあったら上司へ話を持って行こうと決めた。

「もし何か身の危険を感じるのでしたら、会社までいつでも迎えにあがりますからね?」

「ありがとう、でもミカちゃんに会社の前までなんて迎えに来られたら、それこそ大騒ぎだし、気持ちだけでいいよ」

「そうですか?」


 だがそうは言ったものの、やはりセクハラ野郎の勘違いは留まるところを知らず、私はそいつの行動力を甘く見ていたらしい。


「お疲れ様でしたー!」と、会社の親睦会が終わった帰宅の途。

 自宅最寄駅を降りて少し歩いたところで、いきなりポンと肩を叩かれた。

「卯原さんの最寄駅ってここだったんだ?」

「は? ……田中さん!?」

 振り返ると問題のセクハラ野郎田中がなぜか後ろに立っていた。

「なんでここに」

「卯原さんともっと親睦を深めたいなって」

 にやにやといやらしい笑いを浮かべて、私の肩を抱いてくるこの男を殴ってもいいだろうか、いや殴らないでおくべきか。

「私は、深めたくなんかありませんが」

 だがしかし、グーに握りしめた右手はがっちり掴まれてしまった。力負けして動かせない悔しさにギリギリと歯噛みしつつ、どうすれば、という言葉だけがぐるぐる回って本当にどうしたらいいのか。

「気の強い子っていいよねえ」

 いいよねえじゃねえよ、と思いつつ、しかしちょうどここは駅と交番の中間点だし駆け込む場所もない。どうしよう。

「さ、卯原さんの家に行こう? どっち?」

 は、そうだ、家まで行けばミカちゃんがいる! ペトラちゃんだっている!

「こ、こっちです」

 田中さんはにたあと目を細め、口元にさらにいやらしい笑いを浮かべた。


「あれえ、ミカんとこの律子ちゃんじゃん。どしたの。それ、何?」

 そこにかかった声の主は……。

「カレヴィさん!」

「君、誰。俺は卯原さんの彼氏だけど」

「いっ、いつ」

 いつ誰がお前を彼氏にしたよ、と言おうとしたら、顎を掴まれて止められてしまう。くっそ、こいつ絶対タダじゃおかない。

 ……と、思いつつ、カレヴィさんに目だけで助けろコールをする。彼はきっと天の助け……。

「ふうん?」

 ちょ、わかって、この気持ちわかってカレヴィさん!

 だがカレヴィさんはにやにやするだけで、私のこの窮地に気づいているのかなんなのか、っていうか気づいてるだろお前! 気づいててスルーかよ!

「別に律子ちゃんの彼氏が誰とかどうでもいいんだけどさ、ミカは知ってるの?」

「ミカ?」

 訝しげに眉を顰める田中さんに、カレヴィさんがにやーっと笑う。

「そ。あいつおっかないからねえ。もしあんたが律子ちゃんに無体を働いてるんなら、人生終了かな」

「終了? ミカって、卯原さんの同居の女の子だろ?」

「女の子!」

 ぶっ、とカレヴィさんが吹き出す。

 あ、まあ、確かに、ミカちゃんと呼ぶだけでどんなひとかは説明してなかったけどさ……でも同居人いると知っててうちに押し掛けようとしてたのかこの人。最悪だ。

「あれが女の子!」

 さらにもう一度言って、我慢しきれないという風に、カレヴィさんが腹を抱えて笑い出した。

「いやあ、おもしれえ。律子ちゃん、ミカのこと全然説明してなかったんだろ。たしかに、日本じゃミカって女の名前らしいしなあ」

 いやほんとその通りだけど、笑いすぎじゃあ?

「ま、そろそろ来る頃だから、自分で確かめるといい」

 へ? 来る? とカレヴィさんに目をやると、彼は私にウィンクを投げてよこした……と、同時に「律子さん?」とミカちゃんの声がした。

「ミっ、ミカちゃん助けて!」

 ぶん、と顎に掛かった手を振りほどいて、声を上げると、振り向いた先にはオドロ線を背負ったミカちゃんが佇んでいた。なんだか怖い。

「……その方が、先日おっしゃっていた“セクハラ野郎”ですか」

「え、ミカって女じゃ……」

 ぽかんと振り向く田中さんに、ミカちゃんは鼻でふっと笑う。

「私が? 女ですか?」

「私、ミカちゃんが女だなんてひと言も言ってないし!」

「私の性別の誤解などどうでもよいのですが……なぜあなたはここで律子さんを捕まえているのですか?」

 目を眇めてミカちゃんがじりっと近づくと、田中さんは私を抱えたままじりっと下がる。

「その手を離しなさい。律子さんは私の大切な栄養源なのですから、あなたごときが触れていいものではありません」

 あー、そこですか、と、ミカちゃんの言葉になんだか脱力する。見た目王子と言ってもいいイケメンなんだから、そこはもっと“らしい”セリフが欲しかった。

 そう考えている間にも、じりっと近づきじりっと下がり……が繰り返されている。どうでもいいけど、いい加減、離してもらえないだろうか。

 ……というところで、ミカちゃんが、すっと間を詰めた。ホラー映画で、よく、なんか怖いのがすっといきなり近づくみたいに。

「ひっ」

 ミカちゃん、それ怖い、怖いよ。私もビビったよ、今。

 ちらりとカレヴィさんを見ると、彼が小さく「あっ、やべっ」と呟くのが聞こえた。

「私がおとなしく命じているのに、それも聞き分けられないほどの知能しかないのですか」

 にいっと笑うミカちゃんの目が、赤く底光りしたように見えた。本気で怖い。っていうか、ミカちゃんの目は青くなかったっけ?

 ミカちゃんの手が田中さんの腕をがしっと掴み、力任せに私から引き剥がす。そこまでマッチョに見えないのに、すごい力だ。

「あなたのような(けだもの)が律子さんの近くにいるというのは、我慢がなりません。どこか遠くにでも行ってもらいましょうか」

「え、ミカちゃん、ちょっと」

 ミカちゃんの言葉に私のほうが慌ててしまう。いったい何をする気なのか。ミカちゃんは吸血鬼だって忘れてたよ!

「大丈夫ですよ。今後、二度とこの獣が律子さんを煩わすことがないようにしますからね」

「いや、その、ミカちゃん?」

 にっこりと微笑むミカちゃんの、その微笑みがなんだかとても怖い。

「ミカちゃん、お、穏便にお願いします」

「法に触れるような事態(こと)にはいたしませんから、ご心配なさらず」

「は、はあ」

 じゃあ、法に触れないようにどうするつもりなのか。そこは確認しなければいけないところなんじゃないだろうか。

「う、うわあああ!」

 田中さんは、そんなミカちゃんのプレッシャーに耐えられなくなったのか、脱兎のごとく逃げ出してしまった。

「──逃げてしまいましたか。仕方ありませんね」

 必死の速度で走り去る田中さんの背中を見つめながら、ミカちゃんがぽそりと呟く。仕方ないからどうするのかは、怖くてなんだか訊けない。


「で、そこの駄犬は、何をしていたんですか」

「え、俺?」

 今度はくるりとカレヴィさんを振り向いて、ミカちゃんが詰問を始める。

「最近ずっとこのあたりをうろうろしていたのは知っていましたよ。番犬くらいの役には立つかと思っていたのですが、役立たずな駄犬なら不要です。邪魔です。目障りなので消えてください」

「ひ、ひでえ」

 やっぱりカレヴィさんを()めつけるミカちゃんに、慌てて私は取り縋った。

「ちょ、待ってミカちゃん。カレヴィさんがいたから時間稼げたし、カレヴィさんが犬って意味わかんないし」

 捲し立てる私を見下ろして、ミカちゃんはやれやれと溜息を吐く。

「もしかしてと思いましたが、律子さんは気づいてませんでしたか。この駄犬は人狼という種族ですよ」

「人狼? っていうと、満月になると狼になって遠吠えする?」

 ぽかんとカレヴィさんを見ると、てへぺろとでも言うかのように肩を竦めて頭を掻いている。マジか。マジで人狼。吸血鬼に借金に来て飯をたかる人狼。それってありなの?

「そのようなものです。借金も返さずにうろうろされるのは非常に鬱陶しかったのですが、番犬くらいにはなるだろうと見逃していたんですよ。

 ですが、今回、役立たずなことが立証されましたから、もう追い払ったほうがいいかと思いまして」

「お、追い払うって」

「保健所にでも連れて行きましょうか」

「保健所?!」

 人狼って保健所で引き取ってくれるものなの?!

「やっぱ俺の扱い酷くねえ? いや、だってさ、お前来るのわかったから、出番取ったら悪いかなって思ったんだよ。そこ考慮してくれよ。あとたまにでいいから飯も食わせてくれよ」

 慌てるカレヴィさんをちらりと見て、「……ビタワンなら用意してやってもよいですよ」と、ミカちゃんは尊大に言ってのけた。「それドッグフードじゃねえか」というカレヴィさんのツッコミはきれいにスルーだ。

「では帰りましょうか」

 ミカちゃんは私の手を取り、歩き出す。やっぱりカレヴィさんのことはきれいにスルーで。

 ミカちゃんの笑顔が怖いよペトラちゃん助けて!


 翌日、田中さんは会社に来なかった。帰宅後その話をすると、ミカちゃんは「それはよかったですね」とにっこり微笑んだ。だから、私はミカちゃんが彼に何をしたのかを尋ねることができなかった。ミカちゃんの微笑みが怖いよ。

 あと、カレヴィさんも見かけなくなった……気がする。まさか本当に保健所に連れて行ってしまったのだろうか。


 ミカちゃんのことは本気で怒らせないようにしようと、私はペトラちゃんとふたりで固く誓ったのだった。


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