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真夏の吸血鬼  作者: 銀月
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4.ひねもすのたり、のたりかな?

 ミカの朝は早い。

 律子が起きる少し前にそっと起き出して、朝食と弁当を用意するためだ。


 ぐっすりと熟睡したままの律子をちらりと確認した後、ミカは音を立てないように身支度を整えて、台所に立つ。下拵えは昨夜のうちに済ませてあるので、さほど時間がかかるわけではない。手慣れた様子で次々と弁当のおかずを作り、詰めていった。

 それが終わったら今度は朝食の用意だ。


 夜が遅いため、朝はあまりしっかりしたものでは胃もたれしてしまうという律子に合わせ、朝食は軽く手早く食べられるものだけにしている。その代わり、弁当は割合しっかりめの内容にしているが。

「ペトラさんおはようございます」

 ちらりと姿を表したペトラ嬢……シャイなアシダカグモに朝の挨拶をすると、彼女は挨拶代わりに前脚をあげて返し、すぐに棚の裏へと引っ込んでしまった。

 ペトラ嬢は意外に気配りのクモでもある。むやみに律子が怯えないようにと、あまり姿を現さないことにしているのだ。


「律子さんおはようございます」

「んー、おはようー」

 もぞもぞと目を半分閉じたまま起き出してきた律子に、ミカが声をかけた。まだ寝ぼけているのか、扉の端や棚の角に身体をぶつけては「いてて」とさすりながらのそのそと洗面台に向かう。

 そのうちざばざばと水を流す音がして、「あー、さっぱりした! 目が覚めた!」と声が上がり、身支度を整えてしゃっきりした姿で律子が戻ってくると、ミカがくすくすと笑っていた。

「今日も賑やかですね」

「テンション上げなきゃ会社行きたくなくなっちゃうからねー」

 そんなミカに、律子は気合を入れるように、拳を握ってみせる。

「そういうものなんですか?」

「そそ。仕事したくないでござる! って気持ちを捩じ伏せて、自分を振るいたたせて仕事に行くのよ」

 けど、宝くじが当たってくれたら、一瞬で会社辞めてふらふらするのにな、ともこぼしつつ、律子は朝食をあっという間に平らげた。

「それじゃ、いってきまーす! ミカちゃんあとよろしくねー」

 いつものように玄関で弁当を受け取り、ぶんぶんと手を振ると、律子は足音高く駅へと向かっていった。

「……どうしていつもあんなに元気なんでしょうね」

 やれやれと律子を見送ってから、ミカは扉を閉めた。


 午前中のうちにやらねばならないことは多い。

 洗濯機を回しながら朝の食器を片付け、布団を干し、掃除機を掛けて洗濯物を干して……これであっという間に午前は終わり、昼となる。

 律子が提供してくれる“栄養”のおかげで、今なら早々に倒れることはないが、それでも用心のために日よけ対策をバッチリ行い、最短時間で布団を中に入れる。このタイミングを逃すとせっかく乾いてふかふかになった布団に湿気が戻ってしまい、干した甲斐がなくなってしまうのだ。家事とは奥が深いものである。


 そこまで終わると、ようやく昼寝タイムへと突入だ。

 もちろん起きていることもできるのだが、やはり昼間はゆっくり休んだほうが、身体も楽だし消耗も少ない。

「……ここ何世紀かで、いちばんのんびりできているかもしれませんね」

 折り畳んだ座布団を枕にごろりと横になるのは、最近気に入っている昼寝スタイルだ。こうして横になると、裸足で家に上がる畳という文化はなかなかいいものなんじゃないかと、ミカは思う。


 うとうととしているところにピンポーンと玄関チャイムが鳴った。

 この時間帯は訪問販売と新聞屋と宅配便、たまに回覧板が入り乱れてやって来るため、出ないわけにはいかない。

 まあ、前ふたつに関しては、自分が出て日本語以外の言語で話し出すとすぐにいなくなるので問題はないのだが。

 ともかく、何か相手がひとこと名乗ってから出るのでも構うまいとゆっくりしていると……今日の訪問者はそのどれとも違っていたのだった。

「ミカ? ここに居るって聞いたんだけどー」

 のんびりと間延びした声が、扉の向こうから聞こえて、ミカはがばっと起き上がった。荒々しい足音を立てて玄関を思い切り開けると……。

「ちょ、危ないなあ。ドアで鼻打つとこだったじゃん」

「なんで、あなたがここにいるんですか」

「臭いがしたから?」

 長身のミカよりもさらに体格のいい、黒っぽい髪に琥珀色の目の、やはりどう見ても日本人ではない男が頭を掻きながら立っていた。

「……相変わらず鼻は利くんですね。それで何の用ですか」

「お金貸して?」

 律子ならここで「テヘペロ」まで擬音をつけるだろうと思われるような笑顔で首を傾げる男など、本気で可愛くないと、ミカは思う。ペトラさんのほうが遥かに可愛いし有益だ。

「またですか。返したことがないのに貸してくれというのは、いかがかと思うのですけど」

 眉間にくっきり三本線を作ったミカに、男はあははと笑う。

「いやあ、返す気はあるんだけど、飯代が結構掛かるんだよねえ。肉って高くてさあ」

「……単に食べ過ぎなだけでしょう。ちょうどいいからダイエットでもしたらいかがですか」

「ええ、この贅肉ひとつない身体見てよ。筋肉維持するのにタンパク質って重要なんだよ。俺でも知ってるよ」

 慌てて腹を見せようとする男を、ミカは嫌そうに目を眇めて()めつける。

「犬コロの腹筋などわざわざ見せなくて結構です。その自慢の身体を活かして、今すぐ日雇い労働にでも行って得た収入で、グラム48円の解凍もの鶏胸肉特売品でも買って食べてなさい」

「同郷のよしみなのに冷たい。それに解凍肉ってなんか臭うんだよ」

「贅沢を言える身分ですか。そういうことは借金を返してから言うことです」

 冷たい視線でじっとり見つめるミカに、男は冷や汗を垂らす。

「……ミカは貴族だろ。ノブレスオブリージュとかあるじゃねえか。下々の民への施しはどうした」

「あなたは私の領民などではないし、そもそも身分制度などとうの昔に終了しています。

 それとも私と血の盟約を結び、誠心誠意死ぬまで私に仕えますか? そこまでするのでしたらしかたありません、あなたの生活の面倒くらいは見てあげましょう」

 にたあと笑うミカに、男は慌てて「いやそれは無しで!」と首を振る。

「では、用はお済みですね?」

 ミカはいい笑顔のまま男へ近づくと、おもむろにぐいっと男の襟首を掴みあげ、そのままぽいっと道路へ投げ捨てた。「ひでえ!」と抗議の声を上げる彼を無視し、ぴしゃりと扉も閉めてしまう。

 流れるようにしっかりと戸締りを済ませると、ミカは再び昼寝の続きに戻ったのだった。




「たっだいまー!」

 がちゃがちゃと鍵を開ける音がして扉が開いた。

「おかえりなさい。今日は早かったんで……その、後ろのものは」

 にこやかに出迎えたミカが、目を眇め、眉を(ひそ)める。

「そこでミカちゃんのお友達ってひとに会ったから、連れて来ちゃった。お腹が空いてるっていうから、何か食べさせてあげられないかなあ。

 カレヴィさんどうぞー」

「お邪魔します」

 律子の後に続き、靴を脱いで上がりこんできたのは、昼間の男だった。にやにやと笑いながら、ミカに向かって、よっ、と片手を上げる。

「……律子さん、このアパートはペット禁止のはずですが」

「え?」

 想定外のミカの言葉に律子はぽかんと顔を上げる。なぜここでペット禁止が出てくるのか。

「野良犬をほいほい拾ってくるのは感心しません。もとの場所に戻していらっしゃい」

「え? 犬?」

 引き攣った顔で眉間に三本線を刻むミカに玄関を指差され、律子は混乱する。どこに犬が?

「はい。動物にむやみやたらと餌を与えてはいけないと、習いませんでしたか?」

「ちょ、なんか俺の扱いひどくねえか?」

「ああ、犬が何か吠えてますね。近所迷惑になってしまいますし、しかたがありません。私が自ら捨ててくることにしましょう」

 ずんずんと男……カレヴィに近づくミカに、慌てて律子が取り縋った。

「ま、待ってミカちゃん。この人犬じゃないし、ほら、なんて言うか、お腹空いてるの放り出してのたれ死んじゃったりしたら後味が悪いっていうか、1食くらいなら、奢ってもいいかなって、ミカちゃん待ってー!」

「律子さん、この体力バカに1日や2日食事を抜いたところで、滅びるような繊細さなどありませんよ。捨てても問題ありません。それとも万全を期して保健所へ連れて行くべきでしょうか」

「とりあえずミカちゃん顔怖いよ落ち着いて!」


 結局、律子の必死の取りなしによって、カレヴィはどうにか食事にありつくことはできた。食べ終わった途端、「野犬に屋根など不要です」と、やはり玄関からぽいっと捨てられたのだが。

 律子はといえば、「私の友人だというものが現れても、ほいほい釣られてはいけません。もっと警戒心を持ってください」と、正座でお説教コースとなったのだった。

 ちなみにペトラ嬢は、その後しばらく律子の愚痴聞き役となっていたようである。


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