３．乙女でシャイなハンター
今回はクモ注意です。
ついに！
たまった代休が消化できるぞ！
……１日だけで残りは消えるけどね！
というわけで週末三連休となったのだが、初日は安定の睡眠補給だ。昼まではゆっくり寝かせてもらおうと、ミカちゃんに起こさないよう頼んだら、私もそうしますと返ってきた。ミカちゃんも一緒に昼まで寝るらしい。
「ふおあ！？」
それなのに、ふとトイレに行きたくなって、明け方ふらふらとベッドから降りた時にそれに気づいてしまったのだ。
「でっ！ なにこいつ！？」
……壁に手のひらくらいのどでかいクモが張り付いていたのだ。田舎出身で昆虫類には強いほうだと思うけど、さすがになんの前触れもなく出現されるとビビるし怖い。
「どうしましたか？」
すぐに背後でむくりと起き上がったミカちゃんから声がかかる。
「ミっ、ミカちゃん、でっ、でっかいクモがいる！ どうしよう！」
だが慌てる私に、ミカちゃんは「ああ」とにっこり笑った。
「彼女は最近、ハンターとしてこちらに雇い入れたアシダカグモのお嬢さんです。どうかお見知り置きを」
「ハンターのお嬢さん」
ミカちゃんの思わぬ返答に、私は呆然と壁のクモをガン見する。
「はい。このアパートは少々害虫が多いと感じましたので、彼女に来ていただきました」
「来ていただいた」
クモって来ていただくものなのか。
そういや婆ちゃんもクモは見つけても殺したらいかんと言ってたような。
でも、わざわざ雇ってまで来ていただくものなのか。
「はい。薬剤を使うよりも、彼女にお願いしたほうがエコですし確実ですよ。とても優秀なハンターですからね。おかげさまで、最近、あの黒い虫を見ないでしょう？」
「黒い虫」
うん、このアパート実は多い。おかげで私も耐性がついて、ひとりでも泡ハイターのスプレー片手に戦えるようになったくらいにはよく見かけた。
「はい。彼女はちょっとシャイですし、姿に似合わず臆病なところがありますから、優しくしてあげてください。噛み付いたりもしませんから、大丈夫ですよ」
「シャイ」
その言葉に反応してか、クモが「きゃっ」とでも言うように片足をあげて、恥じらう妙齢のお嬢さんらしく、頭の、たぶん頬のあたりに押し当てた。乙女か。乙女のクモなのか。
「はい。ペトラ嬢とお呼びしてさしあげてください」
ミカちゃんはなぜかにこにことアシダカグモのペトラ嬢を私に紹介した。やっぱり呆然としたままの私の前で、そのペトラ嬢は軽く会釈をするかのように頭を上下に振ると、がさがさと部屋の隅の棚の裏へと隠れてしまう。
そんなクモのお嬢さんを見送りながら、私はこれだけはミカちゃんに言っておかねばなるまいと口を開いた。
「ミカちゃん」
「はい？」
「次から、クモその他を雇い入れる時は、あらかじめ、ひとこと欲しいです」
「はい、わかりました」
さすがに、知らずにいてこういう風に遭遇してしまったら、スリッパでパーン！ みたいな事故というか悲劇を起こさない自信がない。
双方の望まぬ意識のすれ違いを回避するためにも、“ほうれんそう”は徹底したほうがよいだろう。
「あと、ペトラ嬢って名前は、もともとなの？」
「いえ、お呼びするのに不便でしたので、私がこれでどうですかと提示しました。どうやら気に入っていただけたようで、よかったです」
「はあ」
でっかいアシダカクモのお嬢さんを雇い入れ、可愛い名前をつけるイケメンの図。
それはいったいどういうプレイなんだろうか。
……いや、それより吸血鬼の眷属って、コウモリじゃなかったけか。
「ミカちゃんて、クモと話せるの？」
「なんとなくですが、簡単な意思疎通程度でしたらどうにかわかります」
「意思疎通」
「はい。彼女に発声器官がないので会話はさすがに無理ですが、なんとなく、感情のようなものといいますか、言わんとしていることは伝わってきますので」
やっぱりにこにこと解説されて、そういうものなのか、と納得することにした。たぶんここは考えちゃいけないところだ。
クモに可愛い名前をつけてにこにこと話をするイケメンの図。そしてそれに恥じらいつつ対応するクモのお嬢さん。
このカップリングにはどんなニッチな需要があるのだろうか。しかも別に擬人化された美少女グモというわけでもない。まんまでっかいクモが相手なのだ。
いや、それよりクモに感情みたいなものがあるって初めて知った。生き物って奥が深い。
「あ、そういえば、雇い入れたなら報酬が発生するんだよね。何が報酬なの？」
クモへの給料とかまったく想像がつかない。なんなんだろう。
「ペトラ嬢はそろそろ繁殖を控えておられるとのことでしたので、豊富な餌場と安全で快適な環境を提供するということで同意をいただきました」
「繁殖」
「はい、安心して卵を孵せる安全な場所をお探しとのことでしたので、この条件であれば双方いわゆるＷＩＮ＝ＷＩＮの関係を作れるかとも考えまして」
「なるほど」
ＷＩＮ＝ＷＩＮ……そうか、ミカちゃんは意識高い系だったのか。意識高い系吸血鬼ってなんなんだ。やっぱり何か語らせるとカタカナ言葉を乱発しながら空中でロクロ回りしたりするのだろうか。そういえば血液の美味しさを語るミカちゃんの迫力はなかなかだったな。
ああそうだ、あとで、ウィキペディアあたりでアシダカグモのことも調べておこう。同居する生き物の生態は知っておくべきだろう。
「あー……、ミカちゃん、なるべく、この先子グモが生まれたら、いきなりわらわらと集団で出てこないようにしてほしいと、あとでペトラちゃんに伝えておいてください」
「はい、承知しました。ですが、彼女もそのあたりはわきまえておられると思いますので、ご安心ください」
「さいですか……」
繁殖を控えたわきまえてるクモの乙女。
世界って広いんだな。
「うん、じゃちょっと二度寝するね」
「はい」
ミカちゃんがぺろんと掛け布団をめくって潜りやすくしてくれたところに、するんと身体を横たえる。
ミカちゃんの冷んやりボディは相変わらずで、この季節にはとても気持ちいい。
うん、まあ、今日から乙女なクモのペトラちゃんと同居、ということだけ覚えておけばいいか。
ペトラちゃんが優秀なハンターだというのは本当らしく、その日以降、あの黒いアレを見かけることはめったになくなった。
ペトラちゃん自身も「シャイ」の言葉通り、さっぱり見かけなくなってしまったのだが。
しかし、それでもごく稀に見かけるペトラちゃんは相変わらず乙女であり、目が合うと「きゃっ」とばかりにやたらと可愛らしい仕草で恥じらう様子を見せては、すぐに隠れてしまう。
最近、そんなペトラちゃんはかなり可愛いんじゃないかとも思うようになった。私の脳内でペトラちゃんは妙齢のシャイな美少女クモさんなのだ。
擬人化しなくても、イケメン吸血鬼と、乙女でシャイなクモのカップリング……ありかもしれない。
うん。
個人的に、塩素系漂白剤を吹きかけるのが一番確実に短時間で奴を仕留められると思いました。
化学兵器パネエ。
消毒にもなるし、骸は拝みつつトイペに包んでトイレで流せばバッチリです。
ええ。
