序.たぶんオカン
「は……く、ふぅ……」
「今回もたいへん良いお味でした」
吐息を漏らして惚ける私の首筋を、最後にもう一度だけぺろりと舐めて正座で合掌し、彼は丁寧なお辞儀をした。
彼……ミカちゃんは、本日は月に一度の吸血の日とあって満ち足りた笑顔を満面に浮かべている。きらきらと輝くような笑顔だ。
ちなみに金髪碧眼のミカちゃんは黒マントの着こなしもバッチリの、王道を地で行くイケメン吸血鬼なので、相当に眼福である。
そんなミカちゃんがなぜ、私こと卯原律子宅に、というのは……なんのことはない、日本が今年初めての真夏日をマークしたくっそ暑い日に、サマータイムのことを忘れてアラームの時刻合わせを間違えたという、今時普通ありえない間抜けな理由で行き倒れていた彼を、なぜか私が拾い……というよりも、食欲的な意味でその場で美味しくいただかれた結果、血の味が気に入ったからと取り憑かれてしまったためである。
それ以来、なし崩しにミカちゃんは私のアパートに居座り、月に一度の吸血のためといって、私の「健康と血液の管理」を全うすべく、家事労働に励むという形で日夜働いているというわけだ。
たぶん。
「立ち眩み等の問題はありませんね?」
「大丈夫」
「血圧も問題ありませんでしたし……はい、では今日のお弁当です」
頷く私にお弁当の入った小さな手提げを渡し、「では、行ってらっしゃい」と玄関先で手を振るミカちゃんは、なんというか。
「ありがと。それじゃ行ってきます」
なんというか、エプロン姿の彼からは吸血時の色気も何も感じられず、気分としては、母に見送られているとでも言ったほうがいいかもしれない。
うん、オカンだ。ミカちゃんはなんというか、オカンだわ。
ああ、確かにミカちゃんっていろいろオカンだよなあと考えながら、私は今日も会社に向かう。