ミラーカ
アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ。
盗掘前夜。
「ブレーブスはどうなってる?」
サムは小脇にハンバーガーショップの袋を抱えてパトカーに乗り込んだジョージに聞いた。
「はン、投げて、打って、走ってたよ」
ダイエットコークを手渡すジョージの皮肉たっぷりな言い回しに試合状況が飲み込めた。憂鬱な気分での巡回になりそうだ。
「今夜は蒸し暑いなァ~」
サムはダイエットコークに口をつけ、窓の外に目をやる。早く夜が明けないものかと、雲の切れ目に顔を覗かせた月を恨めしく眺めた。
「ヘルプ!!」
何処からか男の叫び声が闇を切り裂いて響いた。
ジョージと顔を見合わせると、反射的に車外に飛び出した。
「ヘルプ!!」
叫び声とともに足音が近づいてきた。サムはホルスターに手を伸ばし、声のする方へ駆け出す。ダイエットコークで咽喉を潤したばかりだというのに口が渇いていた。
先を行くジョージが照らすライトの先の十字路の横道から男が飛び出してきた。しきりと後方を気にしている。
男が十字路を横切ると、遅れて女がやってきた。麻薬中毒者か? 銃や刃物は手にしていないようだった。
ただの痴話喧嘩か――。それにしては男の怯え方が激しい。
ジョージが先に十字路を折れ、サムも懸命に追った。
「フリーズ!」
角を曲がると、ジョージの声が響いた。射撃体勢に入っている。サムも反射的に照準を合わせた。何が起きている?
サムの視線の先では、街灯の下、黒髪の女が馬乗りになっていた。ジョージの声に反応する様子もなく、男の胸倉をつかみ、上半身を引き起こしていた。
「動くんじゃないゾ!」
ジョージと目配せして、銃を向けたまま女との距離を詰めていく。馬乗りになるのはベッドの上だけで十分だろ――。
「ミラーカ……」
男が弱々しい声をあげた途端、ミラーカと呼ばれた女は、男に激しいキスをした――ように見えた。
「ノォ~~ッ!!」
男の絶叫が辺りに響いた。
慌てて二人に駆け寄ると、信じられない光景がサムの目に飛び込んできた。
男の右頬のあたりが血で真っ赤にに染まっていた。そして、ミラーカは男の肉片と思われる血の滴る物体を口に咥えていた。
「やめろッ!!」
サムの制止も聞かず、ミラーカは再び男の顔面に喰らいついた。右頬に次いで左頬の肉も抉り取られた。男は激痛に耐えかね子供のように泣き叫び、手足は地面を激しく叩いている。
「やめろッて言ってるだろッ!!」
血相を変えたサムはミラーカの腕を取り、引き剥がそうとしたが、ミラーカの肘から先を使った裏拳が顔面に食い込んだ。
「ファック!!」
鼻を掌で覆うと、指の間から血が流れた。この野郎! と銃を構えると、ジョージがミラーカを羽交い絞めにし、男から引き剥がしに掛かっていた。
しかし、立たされたミラーカはカラダを激しくくねらせ、羽交い絞めを容易に振りほどいた。そして、信じられない、と目を丸くするジョージに歯を剥き出して猛然と襲いかかった。
それを見たサムは、瞬時にミラーカに照準を合わせ、トリガーに指を掛けた。だが、ジョージの広い背中が、ターゲットを見え隠れさせた。
「撃て、早く撃てッ!」
ジョージの声に、サムは素早く回り込む。しかし、それより早くミラーカの口がジョージの手首を捕らえていた。
ミラーカの咬筋力は凄まじく、瞬時にジョージの手首を噛みちぎった。夥しいほどの鮮血が吹き出し、絶叫するジョージの制服を一瞬にして赤く染めた。
「この野郎ッ! 地獄へ行きやがれッ!!」
凄惨な光景に怯むことなくサムは銃を連射した。銃弾は的確にミラーカの胸を捉えた。
硝煙がサムの鼻を掠めた。サムは崩れ落ちたミラーカを横目にジョージに駆け寄った。
「大丈夫か?」
手首を押さえ、苦痛に顔を歪めるジョージの目がわずかに動いたのをサムは見逃さなかった。瞬時にその視線の先に銃口を向けた。
そこには、急所を打ち抜いたはずのミラーカが起き上がろうとする姿があった。
「この化け物がッ!」
サムは再びトリガーに指を掛けた。
しかし、ミラーカは立ち上がることなく、音を立てて地面に伏した。
「なんて夜だ……」
サムは銃を下ろすと、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら唾を飲み込んだ。