二日後
午前九時。
名古屋市西警察署刑事課所属の掘鳥城大巡査長は、同じく刑事課の須地文也巡査が運転するパトカーの助手席にすわり、管轄内を巡回していた。
「避難勧告が出されたとはいえ気味悪いくらいに静かッスね」
庄内川を横に見る県道202号線を走らせながら須地が言った。
「賑やかでは困るけどな」
掘鳥はシグ・ザウエル社製の拳銃を手入れしながら言った。
「そうッスよね。この非常時にほいほいと出歩かれちャ、収まるもンも収まらないッスからね」
堀鳥は須地の意見に賛同しかねたが、あえて口にはしなかった。
前方に庄内橋が見えてきた。情報によれば被害拡大を防ぐため陸上自衛隊が配備されている。
「スティーブ、そこ降りようか」
堀鳥は須地を漢字の並びをもじってスティーブと呼んでいた。
スティーブがハンドルを切ると、銃声が轟いた。車内に緊張が走った。
「時速一キロの歩みでも、一日で二十四キロだ。ここらにいてもなんの不思議もないさ」
堀鳥はスティーブに冷静さを保つよう促した。
スティーブは「解ってます」と、唾をごくりと飲み込んだ。
堤防を走る県道202号線から外れ、横道を下ると、堤防に沿うように道路が続いており、道の両側には人家が立ち並んでいる。掘鳥はスティーブにゆっくり進むよう指示した。
「家に残ってる人はいるンスかね」
「避難勧告だからな。残ってる人もいるだろう」
「どうして避難勧告なンスかね。避難指示や立ち入り禁止区域にしてもおかしくないでしょ」
「天災に対するマニュアルはあっただろうが、こんなホラー映画染みた事象では対応も難しかっただろう。ただ、俺は市長の判断は間違ってなかったと思っている。人の動きが多ければ多いほど事態は悪化の一途を辿る気がする。ただ――」
スティーブ! と堀鳥は話を切り上げ、車を停車させた。
スティーブは慌てて拳銃を手に取った。
住宅街へと続くこの道は、すぐ先で堤防から離れるように直角に折れている。その曲がり角に、片足を引きずるようにして歩く男が現れた。
「堀鳥さんツ!」
「かもしれん――」
掘鳥はゆっくり近づくよう指示する。
間違いがあってはならない――。
堀鳥は所長の指示を再認識する。
発見次第、発砲を許可する。
頭部を正確に撃ち抜け!
「片足に出血が見られますッ!」
スティーブが声を上擦らせた。
「まだ、解らんッ! まず確認だ! 顔だ、顔を見せろッ!」
堀鳥は表情を確認したかった。情報通りなら白く濁った目をしている。
しかし、男は堀鳥達に背を向け、突き当たりの雑草が生い茂る古い家に進んだ。
「スティーブ!」
掘鳥は車外に飛び出した。遅れてスティーブも車から降りる。
「安全確認ッ!」
二人は銃を構え、四方をぐるりと見渡す。
「問題なしッ!」
スティーブの威勢のいい声が響き、男のもとに駆け出した。
と、同時にガラスの割れる音が響いた。男は緩慢な動作でガラス窓に拳を打ちつけていた。
「俺が確認します!」
スティーブは掘鳥に先んじて男に近づいた。雑草を踏み分け、外壁に沿って男と対峙した。
堀鳥は射撃体勢に入り、銃口を男に向けた。
スティーブに気づいた男は、両手を前に伸ばし、足を引きずりながら一歩一歩近づいていく。それに対してスティーブは、どうしたことか身動きできないでいた。
――スティーブ、なにしてるンだ!
もはや一刻の猶予も許されない状況に、掘鳥は決断を迫られた。
射撃練習と同じように――。
周囲に乾いた音が響いた。
堀鳥にとって、訓練以外で初めての射撃だった。
弾は的確に頭部を捕らえ、男は壁にもたれかかるように崩れ落ちた。外壁に放射状に血液が飛び散っていた。
堀鳥は銃を構えたまま男に近づいた。靴先で転がっている男の横腹を二度三度蹴り、状態を確かめた。
男はぴくりとも動かなかった。堀鳥はほッと息をつき、スティーブの肩を叩いた。
「大丈夫か?」
「すみませんでした。ビビッたのは確かですが、もうひとつ気になるものが目に入ってきて……」
あれを見てください、とスティーブは、割れたガラス窓から室内を見るよう言った。
堀鳥が中を覗くと、驚くべき光景が目に飛び込んできた。
口元をガムテープで塞がれて、椅子に縛りつけられた制服姿の少女が、堀鳥をジッと見つめていた。