復讐③
見て見ぬふりしてただろうが、見て見ぬふりしてただろうが、見て見ぬふりしてただろうが。
蛭川は肥後の話が事実ならば、通報者は中学時代のクラスメイトか教師しかいない、と結論づけた。
誰だか知らないが、周知の事実ですが、と自ら警察に通報したのだろうか。それとも、聞き込みにきた警察官に、訳知り顔で情報を提供したのだろうか。更に、それは一人だけなのだろうか。
どうでもいい。
いずれにせよ――偽善だろうが。
蛭川が長年燃やし続けた復讐の炎は、燃焼促進剤でも足したかのように一層激しく燃え上がりはじめた。
許さない。
目の前の肥後を利用して、正義ヅラしたそいつ等を必ず見つけ出して恐怖を味あわせてやる。
蛭川が新たな決意をすると、肥後の妻が突然悲鳴をあげた。
その怯えた視線の先に目をやると、床タイルの血溜りの中で絶命したはずの押元が、上がり端に手を掛けて起き上がろうとしていた。
――バカな。
これには蛭川もさすがに驚いた。
傷が浅かったか。
肥後の妻の肩の上から見下ろしていると、押元はゆっくりと立ち上がった。うつむいているので表情は見えない。
「大丈夫ですか?」
肥後が歩み寄り、かいがいしく手を差し出した。
押元はそれに応じるように、ゆっくりとした動作で片手を伸ばし、肥後の腕を掴むと顔を上げた。
次の瞬間、押元はもう一方の手も肥後の腕に伸ばすと、顔を近づけ、大きく口を開き、上腕部に喰らいついた。その目は白く濁り、とても生命の光を宿しているとはいえなかった。
肥後は激痛に顔を歪め、肉をほおばる押元の腹部を足で突き飛ばした。押元のカラダは玄関扉まで吹き飛び、激しく背中を打ちつけた。
蛭川はその光景を楽しんでいた。
――オレが噛み殺したヤツはこんな化け物となって蘇るのか。
蛭川は邪悪な笑みを貼りつけた。
――復讐より、ずっと愉快じゃないか。
化け物となった押元が、再び肥後ににじり寄る姿を尻目に、蛭川は肥後の頭上に移動した。
「死ぬなよ」
蛭川は満面の笑みでそう言い残すと、出口を求めて廊下を飛び進んだ。
灯りの漏れた部屋に進入する。ダイニングキッチンとリビングが間続きになっている二十畳ほどの空間を飛んでいると、テレビの横のサイドボードの上の写真立ての写真が突然違う写真に切り替わったことに気がついた。
蛭川はその前で浮遊し、肥後と肥後の妻の叫声を聞きながら、数秒ごとに切り替わる写真を眺めた。
どの写真も奏が写っていた。
「そうか、笑えてたか……」
蛭川はそう呟くと、猛スピードで窓に向かって飛んでいった。
警視庁警備部長の丸亀は重い足取りで警視総監室に足を踏み入れた。
「拘置所はどうだね?」
入室するなり総監が訊いた。」
「SAT(特殊急襲部隊)隊長の話では、制圧は難しいとのことです」
「難しいのをなンとかするのが君の役目じゃないのかね」
顔を顰める総監に、丸亀は詰め寄った。
「総監ッ! もう警察だけで処理するのは無理です。自衛隊を要請しましょう。面子に拘りすぎてこれ以上事態が悪化すればそれこそ……」
丸亀の進言に、総監は頭を抱えた。