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少女

 高校二年生の肥後かなでは、地下鉄伏見駅で列車から吐き出されるように降りた。

 奏は授業を終えると、家には真っ直ぐ帰らず、途中下車する。

 小学校に入学したときに習い始めた剣道場に行くためだ。

 奏は幼い頃に命を狙われた経験をしている。

 その事件を契機に、父親に勧められて以来、十年間竹刀を振り続けてきた。今では段位も獲得するほどの腕前だ。

 習い始めは嫌で仕方がなかった。

 しかし事件以降、奏や家族を取り巻く環境の変化を身に沁みて感じるようになると、剣道が奏の心の支えになるようになった。

 一歩間違えば被害者となりえた奏であったが、世間から同情の声を寄せられたのは事件当初だけだった。

 犯人の動機が奏の父を含む他二名からの酷いいじめだと明らかになると、一部のマスコミを中心に事件はいじめ問題へと転換された。

 マスコミも復讐に対しては容認しない姿勢をみせたが、いじめの加害者に対しては非難の声をあげた。その結果、奏の家族は被害者から一転して中傷の的となった。

 自業自得だ――。被害者面するな!

 一日中イタズラ電話が鳴り響いた日もあった。すれ違う人々に罵声も浴びせられた。親密だった人間関係は脆くも崩れ、次第に周りから疎外されるようになった。

 幼い奏にも周囲の変化は感じられた。

「ママが奏ちゃんと喋ってはいけない、って言ったから……」

 幼い子供の素直さが、時に凶器となって奏の心に深く突き刺さった。

 小学生に上がる頃には、友達は一人もいなくなっていた。

 剣道はそんな時期に勧められた。

 道場師範の渡会わたらいは、事情を知ったうえで奏を快く迎えてくれた。中には奏の存在を疎ましく思う生徒や保護者も現れたが、渡会は奏を常に擁護した。事件以来、奏が初めて信用の置ける存在となった。

 学校生活では孤独を味わい続ける奏であったが、渡会と竹刀を交えることで寂寥感は消えていった。竹刀を懸命に振っているときだけが心満たされる時間となった。

 コンコースを歩き、階段を上がって地上に出ると、ビルの谷間に陽が沈みつつあった。広小路通りを西に向かって足を進める。

 剣道場は最初の路地を南に折れると見えてくるスポーツ用品店の二階にある。

 奏が路地に入ると、停まっていた黒いセダンの運転席の扉が開き、中年の男が奏の行く手を遮った。

「肥後奏ちゃんだね……」

 奏は不意に名前を呼ばれて戸惑った。男を見たが知らない顔だった。

「私はこういう者です」

 男は上着の内ポケットから銀色の名刺ケースを手に取り、奏に一枚差し出した。

 奏が名刺に視線を落とすと、押元という名前と検事という肩書きが目に飛び込んできた。

 奏が顔を上げると、男は奏から視線をわずかにらした。

 剣道で鍛えてきた奏の目には、男が怯えているように映った。

 

 

 


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