楓と兎男
[ピッ]
みんながやっていたように所定の位置に券をかざすと短い音がなった。そこで私は気が付いた。おそらくクレーンゲームが出来るのであろう回数が『3』と表示されたのだ。
しまった・・・。一度通してしまうとサービスの三回は一つの機械でしかできないのだ。券が三枚あるわけじゃないので、良く考えればそうなる事はわかったはずなのに・・・。
「うう・・・」
ガラスの前で私はショックのあまり、ガックリとうなだれた。
「大丈夫だって! 楓、初めてやるんだろうけど、適当にやればいいから! 結構単純なのよ!」
「そうだよぉ! 右移動の矢印を押して、次に奥に移動する矢印を押すだけぇ。楓ちゃんならできるよぉ!」
「そうじゃないんだけど・・・。わかった、やってみる・・」
[プシュゥ]
「えっ?」
何やら機械が作動するような音が聞こえた。和美と佳奈には聞こえていなかったようで、変わらない表情で応援してくれている。今・・・確かに・・・おかしな音が?
私が変なボタンを押してしまって勝手にクレーンが動き出したのかと慌てて中を覗き込んだが、クレーンの位置に変化は無かった。しかし、ガラスに当てている両手に何やら細かい振動が伝わってくる。先ほどは無かった振動だ。お金を入れたからだろうか?
[ウィーン ガシーン]
まだ小さな音が聞こえてくるが、私は構わず機械を操作するべく、矢印を押してみた。すぐにクレーンは反応を見せ、右に動き出す。
「いいよいいよ! もうちょっとだけ右・・・。楓っ! ストップ!」
「えいっ!」
私は右矢印ボタンを離した。しかし少し遅かったのだろうか、私の目には明らかにお米がある位置よりもクレーンは右に行ってしまったかに見えた。・・・だけれど・・・
[ウィーン]
「・・・えっ?」
クレーンはひとりでに左に少し移動をした。ぴったりお米の位置だ。和美達を見ると、横から見ているからか、クレーンが動いたのに気が付いていないようだった。
「え・・・と。次は上矢印を押して・・・奥に移動をさせると・・」
さっき主婦さん達がやっているときには気がつかなかったが、こう言う物かと私はクレーンの次の動作に移ることにした。お米を上から見た場合、今合わせたのはX軸。次はY軸を合わせないといけない。どちらもぴたりと合わせて初めてお米がつかめる。クレーンの位置はやはりお米の中央がいいだろう。それでも先ほどの主婦の人は失敗していたが・・。
[ウィーン]
クレーンは動き出したが、これがまた難しい。正面からではクレーンが奥に動いて行く距離感が分かりにくいのだ。私は体をずらして横から見ようとするが、ボタンから手が離せないので移動が制限される。驚くほど上手くできている機械だ。だから難しいのか・・・。
[ウィーン]
「えぇぇっ!」
私はボタンを離していないというのに、クレーンが勝手に下がり始めた。手が離れたのかと手元を見たが、私の右手はしっかりとボタンを押さえている。接触不良?
「わぁ! 楓! ぴったりよ! いけぇ!」
和美と佳奈は拍手をする。クレーンの両腕は丁度お米の真ん中に手をかけた。まだ奥だと私は思っていたが、少し手前に感じるくらいがベストだったようだ。勝手にクレーンが動いたように見えたが、そこは完璧な位置だった。
でも・・横移動の時の少しクレーンが戻ったのと、縦移動の時の早めにクレーンが下りたのがどうも納得できない・・・。
「持ち上がるよぉ! 楓ちゃんお米ゲットだねー」
佳奈は期待しているが、私は知っている。先ほどの主婦も同じ位置にクレーンを持ってきたが、お米が重くて上がらないのだ。この機械は子供の手ほどの力しか出ない。チョコレートの袋は持ち上げるが、お米を持つのは無理なのだ。
[プシュウ ミシミシ プシュウッ!]
力強い機械音が鳴る。今度は和美達にも聞こえたようで周りを少し見回している。
[ウィーン]
クレーンは見事にお米を持ち上げた。アームがお米のウエストに食い込んでいる。離す気配どころか、真っ二つにしてしまいそうなほどの力が込められているように見える。
「おわぁ! 大成功! さすが楓っ!」
和美達は、商品を落とす穴にお米をゆっくりと運んでいるクレーンを見ながら自分の事のように喜んでくれている。私は少しかがんでクレーンが取り付けてある細い棒を見上げて見たが、まったく軋む様子が無い。先ほど主婦が操作していた時とは別の機械のようだ。
「おかしい・・・。何かおかしい・・・。出来すぎているような・・・」
お米が取り出し口に落ちてきても、私はそれには目もくれずに無料券を配っていたウサギさんを見た。ウサギさんは・・・いや、ウサギは・・・、いや、奴は私からわざとらしく目を逸らした。
「楓ちゃーん! お米だよ! お母さん喜ぶよ! ・・・まあ、楓のお母さんはこんな事で喜ばないかもしれないけど・・・とりあえず喜ぼうよぉ!」
佳奈は私が取ったお米を商品取り出し口から引っ張り出し、私に見せてくれる。しかし、私はお米が取れたことを喜ぶ気分では無くなっていた。
おそらく・・・これは・・・出来レースだ!
スキップをしながら去ろうとするウサギの肩を私は後ろから掴んだ。
「ちょっと待って。・・・あなた・・・冬哉に雇われた人?」
ウサギはぎこちなく振り返って私を見た。着ぐるみの上からでも冷やせが流れているように見える。
「頭取りなさい!」
私はウサギの耳を掴んで手前に強く引っ張った。ウサギの頭がはずれ、中から黒い髪の毛が見えた。
「楓ぇ。どうしてウサギさんいじめるのぉ? って! か・・・かっこいいぃぃ!」
和美の顔が一瞬で真っ赤になった。しかし、中に入っていた男は私にはなじみのある人間だった。
「ご・・・ご機嫌はいかがで・・・しょうか、楓様。ぐ・・・偶然ですね・・・。こ・・・こんなところで・・・」
「偶然? 今日は冬哉じきじきに・・・出張って来たってわけね?」
中に入っていた男は、やや長めの髪の毛で長身の男。端正な顔立ちだが、今は顔が引きつっている。
「お・・・お見事でございます! クレーンゲームを操作する鮮やかなお手並み。冬哉は感動いたしまし・・」
「これ今っ! 自動か何かで動いていたでしょっ! それとも遠隔操作っ?」
「さ・・・さぁ・・・。私には何の事だか・・・」
「おまけに私がサービス券を読み込ませたら、明らかにこの機械のパワーが上がったでしょっ! 人間でも持ち上がるくらいにっ!」
「ま・・・まさか・・・。そんな事が・・・あるはずが・・・。ピュー・・ピュー・・」
「下手な口笛を吹くんじゃないっ!」
私は口を尖らしながら横を向いた冬哉のあごを掴み、自分のほうに顔を向けさせた。
「今確信したわ。冬哉・・・ふざけるんじゃないわよ。施しはいらないってあれほど言っているでしょ・・」
「ちょっとちょっと! 楓! その人知り合いなのっ?」
そこに和美が割って入ってきた。目はなぜかハートマークになっている。
「これっ? このウサギの出来損ないの男の事っ! こいつは冬哉よっ!」
[ボキッ]
私が冬哉の顔を強引に和美のほうへ向けると、どこからかおかしな音が鳴った。
「は・・・・・・・・・。・・・・・。初めまして。冬哉と申します。楓様の執事を勤めさせていただいております。以後、お見知りおきを」
「えー・・・。執事さんですかっ! 私は楓の親友の響田和美って言いま・・申しますっ! よろしくですっ!」
冬哉はなぜか首を右に向け固定したまま和美に頭を下げている。
「違うわよ! こんな奴執事なんかじゃないっ! 認めていないんだからっ!」
「まだまだ半人前でございます」
相変わらず冬哉は、ずれた意味の解釈を口にしながら、和美に対してお辞儀をする。
「そうなんですかぁ。楓ぇ、認めてあげなよぉー。こんなにかっこいい・・じゃなくて、ウサギの格好までしてボディガードしてくれているんだから」
「ボディガードなんかじゃないわよっ! こいつは・・・好きでこんな事やってるのっ!」
「その通りです。私はこのゲームセンターでアルバイト中なのです」
「アルバイトぉ! 何わけの分からない事言っているのよっ! あんたはいつものごとく・・」
「楓ちゃーん。お米が重いよぉ」
佳奈が辛そうな声を出しているので見ると、私が先ほど挑戦した10kgのお米をまだ持って立っていた。
「あ・・・ごめん・・・佳奈。それは・・・そのお米は冬哉に返して! 二人とも帰ろうっ!」
私はずっと目がハートの和美の手を引いてゲームセンターの外に出た。しかし、佳奈はお米を持ったまま戸惑った顔でうろうろとしている。
「楓ちゃーん、せっかく取ったんだから、楓ちゃんにしては安いものでも・・・持って帰った方がいいよぉ。お米を粗末にしたらばちが当たるってお母さんもお婆ちゃんも言っていたよぉ」
佳奈はお米を持ったまま出てきて、それを私に渡そうとしてくる。
「あれっ? 冬哉さんは?」
和美が声をあげると、私も佳奈から視線を動かし、今まで冬哉がいた場所を見た。ものの見事に奴はウサギの頭ごとどこかに消えていた。
「あ・・・あいつめ・・・」
「はい、楓ちゃん。お米の神様に怒られちゃうよ」
私は佳奈からお米の10kgパックを渡される。お米の神様については、私は佳奈や佳奈のお母様、おばあ様よりも熱心な信者だという自信がある。粗末にするどころか、地面に置く事をもためらうほどだ。
「冬哉・・・覚えてろっ!」
お店の人にお米を渡そうとしても、当然のように笑って拒否される。もちろん全員冬哉の息がかかった人達だろう。私も冬哉以外には強く言う事ができないので、お米を置き去りにすることも出来ずに持ち帰ることとなった。
「楓ちゃん・・・あんなに重い物を持って大丈夫かなぁ」
「大丈夫よ。どうせ車が迎えに来てくれるんだから」
「き・・・きつい・・・よぉ・・・」
私は和美と佳奈と別れた後、お米を持って家に当然のように『歩いて』帰っていた。家までは10km近い道のり。これを10kgの荷物を持って帰るのは女子高生の限界を超えている。
私はゲームセンターから1kmほど歩いただけで腕が取れてしまうような痛みに襲われた。途中の公園のベンチに座り、私は膝の上にお米を置いて休憩をする事にした。
「これ・・・無理かも・・・。でも・・・捨てるなんて出来るわけがないし・・・。どうしよう・・・。晩御飯の用意もそろそろしないとだし・・・。公衆電話で少し遅くなるって・・・弟に連絡を・・・」
私は公園に公衆電話が無いか探すが、当然のように無い。携帯電話全盛のこの時代、駅前くらいにしか公衆電話は見ない。
「携帯電話があればなぁ・・・。そんな余裕なんて絶対無いし。・・・和美達は、私の家が厳しくて携帯電話を持たせてくれないって思っているけど・・・あはは・・は・・はぁ・・」
暗くなってきた公園のベンチで私は一人うつむいて座っていた。腕が痛くて、お米を持ったまま辺りを歩いて電話を探すような気力もわかない。
「車でお送りしましょうか?」
「・・・・・いい」
「重いでしょう?」
「あなたのせいでしょ。持って帰りなさいよ」
「嫌です」
「・・・はぁ? ・・・・主の言う事が聞けないの?」
「私を執事と認めてくださるのですか?」
「認めないわ」
「では持って帰りません。しかし、車でお送りはいたします」
「執事じゃ無い人の車に乗ったりしません」
「困りましたね。このままでは光様や雫様がお腹を空かせてしまいます」
「脅迫する気? それに、だから・・・あなたのせいでしょ」
「しかし・・・、楓様の家の米びつにはもうお米が残っておりません。それを持って帰って足しにしてください」
「どうして・・・知っているの?」
「楓様の事は何でも。執事でございますので」
「そのために・・・あんな大掛かりな事をしたの? ゲームセンターを貸しきって・・・お米を用意して・・・。何日も前から」
「しかしユニークなゲームセンターでしたね。お米などまで取り扱っているとは・・・」
「・・・どこまでしらばっくれるのよ。もういいわ」
私はお米を両手に抱えて、ベンチから立ち上がった。
「無理ですよ」
「うるさいっ!」
私は叫ぶ。その時、手からお米が滑り落ちた。手が痛くてもう力が入らない。地面に落ちたかに見えたお米を、ベンチの後ろの茂みから飛び出してきた黒い影が受け止める。
「そのままそれを持って消えなさい、冬哉」
「嫌です」
私が家に向かって歩くと、すぐ隣に冬哉がついて歩く。
「走って逃げちゃうわよ」
「どうぞ。走って追いかけますので。もう暗くなっていますのでお一人では危険です」
「暗くなっていなくても・・・私を一人にしようとしないくせに・・・」
「執事でございますので」
しばらく、私達は黙って歩いた。冬哉は私に合わせて早くも無く、遅くもなく歩いている。
「重いでしょ? 腕がとれちゃうわよ」
「大丈夫です。何なら学校のカバンも一緒にお持ちしましょうか?」
「冬哉・・・。8年の間・・・どこ行っていたの?」
「アメリカでございます」
私はようやく冬哉とゆっくり話す機会が持て、今までたまっていた質問を冬哉にぶつけた。私は家に着いても、玄関の扉の前でしばらく冬哉との話を続けていた。




