楓と執事
「ワタシ、魚を生で食べたことなかたよ! スシ、すこく美味しい!」
片言で日本語を話す人と、何人かの笑い声で私は目を覚ました。
「おや、目を覚ましたよ。おもたより長かた。次、もすこし弱めにするね」
体を起こすと、前の席から先ほどの白髪の老人が私の顔を覗き込んでいる。ここは・・・いつもどおり、車の中だ。また私は・・・『拉致』されてしまったらしい。前列の席には私を気絶させた老人とサングラスの男の人が二人で座っている。
その前の運転席には、もう一人のサングラスの男の人がいるはずだ。私が寝転んでいたのは三列目のシート。セダンタイプの乗用車で三列のシートがあるこのような車はリムジンと呼ばれている高級車だ。
私は・・・毎日のように学校帰りにこの車に連れ去られてしまう。方法はさまざま。道路工事を装ってわき道に誘い込まれて車に乗せられた事もあるし、重そうな荷物を持っているおばあ様がいたので、家まで荷物を持って行ってあげればそのままさらわれた事もある。
そして昨日と今日はわざわざ花火を打ち上げて、手早くさらう方法だ。毎回エキストラを雇い、今回は中国から武術の達人まで呼んだみたいだ。
「・・・・・・・」
私はこぶしを握り締めながら右を見る。そこには燕尾服に身を包みながら、笑顔で私を見つめている男が広い車内で足を組んで座っている。
「いい加減にしなさいよ! 冬哉!」
端正な顔立ちの彼の右頬に、私は渾身の右ストレートを叩き込んだ。彼は綺麗に整えられた髪を揺らしながら車のサイドガラスに額を打ち付けた。
「い・・・いたた・・・。楓様・・・・、ご機嫌が斜めのようですね・・・」
燕尾服の男は額を手で押さえながら振り返ると、私に向かってそう言った。
「斜めに決まってんでしょ! っていうか、斜めどころじゃないわよ! 垂直よ! 垂直! 垂直にX軸に突き刺さって突き抜けてるわよ!」
本気で殴ってやったというのに、奴は嬉しそうに私を見ている。・・・別に彼はそっち系の変態って訳じゃない。・・・たぶん。
こいつは一応顔見知り。苗字も一応、法華院。でも、別に私の兄でもなければ、親戚でもない。当然血もつながってはいない。子供の頃、法華院家の前に捨てられていた子供。冬の季節だったので名は『冬哉』。私の家に迎え入れられてからは、執事見習いとして働いていた。
年齢は私より一つ上の17歳。いつも燕尾服に身を包み、艶のある髪の毛をきちんと分けている。顔やスタイルも評判が良く、少し若いが立派な執事・・・、いや、十分に紳士に見える。・・・見た目はね。
しかし、法華院家が破産したと同時に使用人は全員解雇。当然執事見習いであった冬哉も例外ではなく、その後姿を消した。
それから8年。突然今年になって姿を現した冬哉は『執事見習い』改め、私の『執事』であると宣言をし、私の身の回りの世話を、勝手に、始めた。学校も海外で全て過程を終わらせてきたらしく、もう行く必要が無いと言う。
給金など払う余裕も無い私はそれを拒否するも、彼は・・・いや、奴は無給で良いと言いながら私の世話を自分勝手に焼く。育った環境なのか、それともこの8年間の間に何かあったのか、奴の頭のネジは何本か外れて飛んでいってしまっている。
今日の事もそうだ。執事として送り迎えをすると申し出る冬哉、それを私が断ると・・・この展開だ。8歳のときはもう少しまともな奴だった気がするんだけど・・・。
更には、いなくなっていた数年間で何をしたのか、冬哉は不思議とお金を山ほど稼いできたようで、それを私のために湯水のように使う。それもエキストラや花火とか・・・わけわかんない物に。
彼は・・・・言うなれば、『迷惑執事』。
車は見慣れた町並み、閑静で寂れた家々が並ぶ狭い通りに入り、木造築うん十年の平屋の前に止まった。
「・・・お礼は言わないわよ」
「執事に礼など不要でございます」
「そう言う意味じゃないわよ!」
私は車の外へ出て、ドアを強く閉めた。
「楓様、夕食をご一緒にいかがですか?」
窓を開けた冬哉は私の背中にそう言った。私は振り向きもせずに強い口調で言い返す。
「施しなんていらないって言っているでしょ! お金も物も、おごってもらうのもまっぴらよっ!」
私は玄関の扉の鍵穴に鍵を差し込む。早く家の中に入ってしまいたいと言うのに、鍵が回らない。ようやく「バキッ」ってとても正常とは思えない音と共に回ると、今度は鍵が抜けない。指が痛くなるほどの力で引っ張るとようやく抜けたが、次は戸の立て付けが悪く、横にスライドしない。またまたおかしな音と共に引き戸を開けて家の中に入ると、まだ5月だと言うのに額に汗をかいていた。
私は玄関でじっと耳をすまし、車が走り去って行く音を聞くとようやくため息をつく。
「はぁ・・・。毎度毎度・・・。冬哉の奴め・・・。・・・それにしても地元の人でも軽自動車しか通れないって言っている私の家の前の道に、あの大きな車でやすやすと入ってくる運転手さん・・・すごいわね・・・」
私は居間を通り過ぎて自分の部屋に入る。ちなみに居間は弟と妹の部屋を兼用している。弟は小学4年生、妹は2年生。歳で言うなら10歳と8歳。冬哉の事は別れた当時2歳だった弟は覚えていないだろう。今となってはわざわざ教えるつもりもない。
制服を脱ぎ、ジャージに着替えた私は居間で足を伸ばしてくつろぐ。お嬢様のプライド? そんなもの8年の間でとっくに忘れてしまった。それに、お嬢様だった期間は8年間。それからちょうど今年で8年。もう庶民になってしまっている期間の方が長くなりつつある。ジャージの何が悪い? ・・・それに、私は制服とジャージしか持っていない。電車やバスに乗るときはどうするかって? 移動手段は徒歩か、隣のおば様に借りる自転車だけだ。
くつろぐと言っても、テレビを見るわけではない。電気代がもったいないから? そうじゃなくて、テレビ自体が家に無いのだ。今の時代、余っているからくれる、買い換えたからくれると言ってくれる近所のおば様も多いのだが、理由は、ある・無しではない。テレビなら程度を気にしなければ探せば落ちている。
・・・・要するに、某放送局の受信料を払えないから持たないのである。そんな余裕があれば、米が10kg、一か月分も買える。バラエティ番組? ドラマ? そんなもの生きるために必要は無い。ニュースなどの情報は隣のおば様から新聞をもらって一日遅れで入手できるしね。ただ・・・やはり退屈感は否めない。
「ただいま帰りました」
「帰りましたぁー」
玄関の扉がぎこちなく開く音と共に弟達の声がした。今日も弟は妹と一緒に帰ってきた。ちゃんと世話をしてくれるしっかり者の弟で助かる。ちなみに、二人ともすぐ私の兄弟とばれてしまうほど顔がそっくり・・・らしい。
「お姉さま、今日もお早いですね」
「ちょっとね・・・。それよりも5時までに宿題を終わらせなさい」
返事と共にランドセルを下ろし、二人とも宿題を始めた。一時間とかからずに終わり、三人でまるでテレビを見ているかのように一点を見つめながら居間でまったりとする。時計の短針が5を指す15分前になると弟達は立ち上がり、いつものエコバッグを一つずつ持って私の前に戻って来た。
「じゃあ行きましょうか」
本日は火曜日。毎週の火・木は玉子のタイムセールがある日だ。
貧しくなっても私は少しも不幸ではない。貧しければ貧しいなりにこのように楽しみがあるのだ。
ただ、不安と言えば・・・。冬哉だけ。




