楓と大物
「わ・・・わかった」
「私達庶民のために、楓、頑張って!」
二人は並んで両手のこぶしを握り、それを上下に動かして私を応援してくる。冬哉が用意したシナリオに従うのは嫌だけど、二人からの頼みも断れない。私はしぶしぶと、また水面に餌を沈めた。
―ビ・・・・・・ビビッ―
「きゃぁ!」
強烈な引きだった。私の手から釣り竿が弾き飛び、空中に浮かぶと海に向かって飛んでいった。
「ああっ! 楓の竿がぁぁ」
和美が手を伸ばしたが届かなかった。竿は一呼吸の間で手のとどかない距離になり、水の中へ飛び込こむ・・・・かに思えたが・・・・、
[シュッ! パシッ!]
竿に何か黒い紐が巻きついた。そして、いつの間にか私の横にいた人がその紐のような物を手繰り寄せる。
「おい・・・あれは今、日本に来ているヨーロッパの有名なサーカス団、そこの猛獣使いじゃないか?」
「ムチ一本でどんな凶暴な猛獣も黙らせるって人か? ミリ単位でムチの当たる場所、強弱を操るって言う・・・。そんな外国人が一人で釣りをしている違和感に完全に気がつかなかったぜ・・・」
そのヒゲを生やした赤毛のダンディな人は竿を手元に引き寄せると、私にそれを差し出してきた。
「あ・・・ありが・・・きゃぁぁぁ!」
まだ魚はかかったままだった。竿は海に向かって引っ張られる。手を離さないと・・・私が海に落ちてしまう・・・。
―ガシッ―
突然私の目の前に太い腕が現れた。それは竿を掴み、私の体ごと元の位置にもどした。顔を上げると、色黒で短髪、胸板の厚い男性が私に笑顔を送っている。・・・ものすごい笑顔だ。釣られて私も笑顔になってしまう。
「おい・・・・あれはこの間のボディビル選手権で日本一位になった坂本さんじゃないか?」
「なんて笑顔だ・・・。それに相変わらず体が切れてる。しかし、あんなマッスル釣り人に気がつかなかった俺達がもはやどうかしてるぜ・・・」
私が両手で竿を持ち、坂本さんが補助をしてくれる。もちろん、大部分は坂本さんの力で竿を支えている。
「すっごい元気良くない? サメじゃないの?」
和美は少し不安な顔をして言う。糸は先ほどの鯛とは比較にならないスピードで右に左へ引っ張られる。ふと見ると、金成お嬢の紫藤さんも唖然として私の様子を横から見ていた。
釣り竿はボディビルの坂本さんが支え、糸を巻くのは全自動リールが行う。私は竿に手を添えているだけ。・・・紫藤さんよりも私の方が何もやっていないかも・・・。
恥ずかしいなと思い始めた頃、水面に魚影が見えた。鯛と比較にならないどころか、全然大きい。1mなんて優に超えている。いや、それよりも太い。体の厚みがまったく違う。さっきの鯛が私なら、今度は隣にいる坂本さんだ。
・・・不自然だ。あまりにもおかしいだろう。まだアイドルが釣り上げる弱った魚のほうが自然だ。こんな巨大な魚が・・・どうしてこんな湾内にいるのだ。いや、それよりもこの魚を用意した冬哉が・・・もう怖い!
「マグロじゃ! クロマグロじゃぞ! これはでかい!」
青森のマグロ捕り名人、佐々木さんが叫ぶ。そして、先ほど細いモリを出してきたケースから、今度は太いモリを出してきた。所々錆や傷が入り、どうみても愛用の、歴戦の戦いを潜り抜けたモリだ。
「佐々木さん! まだ早いんじゃないですか? 相当元気ですよ!」
釣り名人の山崎さんが焦った口調で言う。しかし、佐々木さんは不適に笑っている。年齢は70歳を越えているはずなのに、クロマグロが見えたとたん若返ったようで、どうみても50代の男性だ。
「いーや、この湾内でこれ以上泳がせると糸を切られてしまう。なにこの程度の動き、わしなら百発百中じゃて・・・」
佐々木さんは腕を真上に上げて構える。マグロはとても私の目には追えないくらいの速さで正面を横切って行った。
「うりゃぁ!」
佐々木さんの腕が振られた。水音の後、辺りには静かな空気が流れる。私が持っている竿、それを引っ張る力が消え、すっと持ち上がった。
「さすが佐々木さん・・・。見事ですね」
「ふふ・・・。いい仕事が出来たわい。いや、わしだけじゃなく、みなさんでの勝利じゃて」
釣り名人の山崎さん、マグロ捕り職人の佐々木さん、有名サーカス団の猛獣使いの人、ボディビル一位の坂本さんは4人でハイタッチをしている。私がそれをじっと見ていると、山崎さんはしまったと言う顔をし、それをごまかすかのように海を指差した。
「お嬢さん! 早くマグロを上げましょう! ・・・・おっと、私は時間だ。次の釣り場所に向かわないと。これにて失礼。クーラーボックスは記念に差し上げましょう」
山崎さんは腕時計を確認すると、慌しく自分の荷物を担ぎ上げ、足早に去っていった。
「わしもじゃ。元気でな、嬢ちゃん。幸せになるんじゃぞ」
佐々木さんもマグロからモリを抜くと、そのモリを杖代わりにして歩いていった。
「日本イイトコ。コウベギュウ、ベリーナイス!」
猛獣使いは訳の分からない事を言って帰って行き、坂本さんはマグロを引き上げ終わると、何も言わずに笑顔だけを残して消えていった。
その4人の背中を見送った釣り好きの男子達は興奮した様子で話している。
「すげーメンバーがたまたまここにいたんだな」
「だよな!」
それを聞くと私はうつむいてボソッとつぶやいた。
「・・・・・んなわけないでしょ」
山崎さんと佐々木さんは百歩譲って偶然いたとしよう。猛獣使いとボディビルダーは・・・どういった理由でいたのよ・・・。
私は波止場から海面を覗いたが、まったく海の中に人がいる気配は無い。こちらもプロのダイバーを使っているようだ。
そこに佳奈と和美の声がかかる。
「ねー、楓ちゃーん。マグロがクーラーに入らないよー」
「しゃーない。おい、男子。マグロを担ぐんだ! 報酬にマグロの頭、カブトをあげるから!」
和美がどういった訳か上から男子に命令をするが、巨大なマグロにみんな触れようとしない。すると、車のブレーキ音がしたと思ったらドアの開く音。頭にタオルを鉢巻のように巻いた30歳くらいの精悍な顔の男性が近づいてきた。
「お困りかい、高校生の諸君。・・・おお! これまたすごいのを釣ったな! 俺っちは偶然仕事の帰りなんだけどさ、魚を運ぶのを手伝ってやるよ! 何、気にするないっ! 地元ではこんな助け合いあたりまえだからよっ!」
男の人は車に戻ると、バックで波止場に車を乗り入れてきた。そして、車の荷台についているウインチからワイヤーを伸ばし、それを魚に巻きつけると簡単に釣り上げた。
「さあ! 泊まっている宿はどこだいっ? 俺っちと一緒に行こう!」
私達は顔を見合わせた。私も鯛の時はクーラーボックスを断ったが、正直この200kgはあると言うマグロを運んでくれる好意は断れない。釣り上げて死んでしまったマグロをここに置いて腐らしてしまうのは絶対に良くない。食べて供養してあげるっていうのが釣った人の使命だろう。
「す・・・すみません、お願いします。宿はここを真っ直ぐ行った・・」
「ああ、あそこね! 先に運んで置くから! おっと、魚を盗んだりしないから安心してくれよ!」
男の人はゆっくりと車を走らせて行った。どうも・・・この人も最初から話が付いていた気がする・・・。唇をぎゅっと噛む私の背中を、ハイテンションな二人組みが叩いた。
「楓! 最高! 今日は鯛の刺身と・・・マグロの刺身よ! ってかさ、もう肉じゃがとかどうでも良いって感じ!」
「お・・・大トロ・・・。大トロ食べてもいいの? くれる? 楓ちゃん?」
私の腕を握る佳奈の力は相当な物だった。
「えっ・・・。も・・・もちろんいいよ。佳奈の食べたい部分を好きなだけ食べて。当然和美も」
びっくりするような笑顔の佳奈の隣で、和美はバンザイをしながらジャンプをした。
「マグロ祭りじゃぁ! 100円寿司屋のトロとはまったく違う・・・っていうか、高級寿司屋のトロよりも美味しいんじゃない? だってさ、鮮度が違う! 釣り上げて2時間で食べちゃうんだから! どんなお金持ちも、なかなか味わえないかもねー。あっ! 愛美なら良く食べてるかな?」
和美はわざとらしく紫藤さんに話を振った。彼女は悔しそうな顔をして顔を逸らした。和美は日ごろの恨みとばかりにたたみ掛ける。
「で、釣りが得意な愛美は・・・何釣ったの?」
「う・・・うるさいですわ! 今日は調子が・・・。それにこんな小さな港でなんて・・・」
「その港で楓はすっごいの釣っちゃったけどね!」
「ち・・・ちが・・・。借りた道具の質が・・・」
「あれぇ? 最初に楓の道具を笑ってた人もいたような・・・」
「く・・・・・。覚えてなさい! 法華院さん!」
「えっ? わ・・・・・私?」
なぜか私を指差した後、紫藤さんは早足で宿に向かって行った。その後ろを慌てて取り巻きの男女が追って行く。
「ありゃ、ちょっと言い過ぎたかな?」
和美は渋い顔をして私に向かって舌を出した。
「少し・・・ね・・・」
私は(おそらく)自分の力で釣り上げていないので、紫藤さんがかわいそうに見えた。
「まあ・・・あとでトロでも分けてあげるかな?」
和美はそう言うと、また佳奈と二人で踊りだす。
「あの・・・赤身のところで良いから・・・俺達にも少し分けてくれない? なんせ・・・昼カレーで、次もカレーだから・・・飽きちゃって・・・」
私は同じ場所で釣りをしていた男子に向かって首を縦に振る。なんせ・・・200㎏もあるんだから・・・。




