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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

三題噺【ジャズベース】【破産】【復活】

作者: 五十嵐古西

残酷な描写があるので気をつけてください

 白谷君が私の隣の部屋に引っ越してきたのは八月の終わりだった。白谷君は背が高く、痩せ気味で、黒縁の四角い眼鏡を掛けていた。白谷君と両親の三人家族だった。引っ越しのときの挨拶によれば、転勤した父の会社と白谷君の中学校のちょうど真ん中にあったのが私の住むマンションだった、という。しかし、築二十年ところどころリフォームはしてあるがのマンションにどうして好き好んで住むのかというのは疑問だった。


 二学期の始業式の日の部活で、白谷君は基礎練習を始めた私たちに声をかけた。

「今日からコントラバスを担当する白谷です、宜しくお願いします」

 動揺して何も言えない私に代わって、同期のユーフォニアムの陽子が答えた。

「顧問には連絡してきた?」

「昼休みの間に連絡してきました。入部届も渡しました」

 私と同じ青色の二年生の名札なのに丁寧語だというのは私にしてみればもどかしかった。

「あっ、箱崎?」

 どうやら隣の私に気付いたらしい。

「知り合い?」

 すかさず陽子が訊いてきた。

「うん。マンション隣同士なんだよね」

 白谷君は私に対してはタメ口だった。

「チューバ吹いているんでよろしく」

 緊張して棒読みに近い発声になってしまった。

「まあ案内するからついてきて」

 きつい口調で言ってしまったことを後悔した。

 私は白谷君と一緒に音楽室の隣の部室兼楽器倉庫に入り、学校の備品のコントラバス(白谷君の来る前までは部室の邪魔者だった)と、いつもはハーモニーディレクターのアンプとして使っているアンプを説明し、十一月の児童館訪問で演奏する「エレクトリカルパレード」「美女と野獣」の楽譜をコピーして渡した。あとは一時間に一回休憩を十分摂ること、パート練習の際には呼ぶので来てほしいということを伝えた。

「音源聞かせてくれる?」

「いいけど」

 私はCDデッキに電源を繋いで、「エレクトリカルパレード」の音源を白谷君と一緒に聴いた。

 聴き終わったあとで、白谷君が呟いた。

「こんな感じの曲調ならjジャズベースの方がいいかな」

「え?」

「エレキベースにはプレシジョンベースとジャズベースがあって、プレシジョンベースはハードロックやメタルに耐えうる太い音色を持っている。セックス・ピストルズとかが名手だね。ジャズベースは繊細な音色で幅広い音楽に対応できる。『エレクトリカルパレード』はどちらかというとポップだからジャズベースがいいかなと思ったわけ」

 こんなに長いセンテンスを喋ったのはこのとき以来聞いたことが無い。

「へぇ、そうなんだ」

 私にとってはわからない単語の連続だったが、その意味を聞いたところでもっとわからない単語を用いて説明をされるだけだと思ったので相槌しか打たなかった。

「あとは曲次第でエフェクターも繋ぐけど、この曲はいいかな」

「なんでそんなに詳しくなったの?」

「俺の父さんが若いときバンド組んでてベース弾いてたからさ、小さいときから英才教育だよ」

「まあ、練習がんばってね。必要があれば呼ぶから」

 私は手短に答え、逃げるようにして準備室から出ていった。

 それから白谷君はずっと一人で練習していた。


  *


 九月が終わり、十月になった。私と一学年下の桜井さんと白谷君のバスパートは、平日に何回かパート練習をした。日曜日には外部の講師が練習にやってきて、その方の指揮で何度か合奏をした。白谷君は合奏では私の隣に立ち、後ろから聞こえるアンプの重低音に耳を澄まし、指揮者を見ながら正確に演奏していた。私はそんな白谷君に尊敬にも似た感情を抱きながら、隣で吹いていた。白谷君は日を追うごとに寡黙になり、練習に没頭するようになっていった。

「なんか、白谷君って最近力入りすぎているよね」

 帰り道でユーフォニアムの陽子は唐突に私に訊いてきた。

「確かに、あの弾き方は何か取り憑かれているよね」

 私はそう答えた。白谷君の隣でチューバを吹いている私も、白谷君のジャズベースを弾いている姿は人をひきつけないオーラが漂っていたのはわかっていた。私たちが休憩時間につまらないガールズトークに花を咲かしている間でも、静かに一人で理論書を読んでいた。白谷君は私たちからすれば変わり者だった。

「吹奏楽のエレキベースであんな難しいフレーズが必要だと思う?」

 白谷君は部活で買わされた教本のほかに自分で買った教本を部活に持ってきて、ただひたすらに、エレキベースが専門ではない私ですらも難しいとわかるフレーズを流れるように弾いていた。

「将来はバンドマンになりたいんじゃないの?」

 私が思い付いたのはそれくらいだった。

「だったら吹奏楽部なんか入んなくても一人で弾いていれば良いじゃん」

 陽子の言葉にそれもそうだな、と納得してしまい言葉を返すことが出来なかった。


 *


 その日の夜、両親は法事があるといって家をあけていた。遠くの親戚の葬式で、泊りがけで行かなければならないらしい。私は冷凍食品で夕食を済ませた後、録画していた好きなアイドルの番組を一通り見てから床に就いた。

 それは眠りに着こうとする直前だった。

「何やってんだよ、父さん!」

「もうこの家族は終わりなんだよ!」

 私は尋常ではない叫びを聞いて飛び起きた。

「いいからその包丁をおろせ!」

 壁に耳をつけると白谷君の叫びが聞こえてきた。

 包丁、という響きが私の心を貫いた。

(白谷君が殺されてしまう)

 私は玄関を開けて家を出て、隣の白谷君の家の玄関のドアノブに手をかけたが、ドアノブは回らなかった。

 私は下駄箱の上に置いてあった工具入れからハンマーを取り出し、廊下を走ってリビングの受話器を取り、警察に電話をかけた。何回も噛みながら、隣の部屋で男が刃物を持って暴れているらしい、救急車も呼んでほしいと伝えた。そしてベランダに出た。

 私の家のベランダと白谷君の家のベランダを遮る衝立に左肘を立てて体当たりをすると、衝立に張ってあった紙は丁度私が通れる大きさまで破けた。私は破れた衝立を通って白谷君の家に入った。そして私はベランダからリビングに抜けるための硝子窓が施錠しているのを確認してから、狙いを定めて鍵のあたりに当たるようにハンマーを振りぬいた。ヒビが打撃点を中心に放射状に広がった。もう一回その打撃点を目がけてハンマーを叩きつけると、音とともに硝子が砕け散った。砕け散った硝子は私の掌に刺さった。私は痛みを堪えながら窓を開けた。

 男ふたりの叫びが聞こえる部屋のドアを開けると、白谷君とその父親は白谷君の暗い部屋の真ん中で包丁を奪い合っていた。私は壁のスイッチを着けて、部屋の電気をつけた。ふたりが私を見た。

「もうやめて!」

 私はそう叫んで、後ろから白谷君の父親の両手を後ろから掴んだ。

「誰だお前は!」

 白谷君の父親が振り返った。引越しの際の挨拶では温厚な笑顔を浮かべていたその面影は消え去り、獲物を追う肉食獣のような目で私を睨んでいた。

「箱崎…」

 白谷君が呟いた。

「その包丁を放して!」

 私は白谷君の父親に向かって叫んだ。その声は震えていた。

「その手を離せ!」

 白谷君の父親が包丁を握る両手を振り回して私と白谷君の手を振り解こうとしたが、私と白谷君はそれに耐えた。私は白谷君の父親から包丁を奪い取ろうとして、包丁を強く握る白谷君の父親の右手の人差し指の付け根を掴んで逆側に反らせた。白谷君の父親は大きく呻き、包丁を握る両手の握力が弱まっていくのが感じられた。

「白谷君危ない!」

 私はそう叫んだが既に遅かった。落ちた包丁は床に着く途中で白谷君の左手の手首を掠めた。出血に気付いた白谷君が右手で左の手首を押さえているのが見えた。生々しい血が押さえている左手首から垂れている。落ちた包丁は裸足の右足に当たって、そこからも血が流れているのがわかる。

 白谷君はその場に蹲ってしまった。私は白谷君を庇うようにして父親の前に立った。

「お嬢ちゃんも痛い目にあわせないといけないようだな!」

 冷酷な声でそう言い放つと白谷君の父親は私をめがけ包丁を振りかぶった。もうだめだ、と思ったそのとき、部屋のドアが開いた。

「神奈川県警だ!」

「傷害未遂の容疑で現行犯逮捕する!」

 ふたりの警察官が警察手帳を白谷君の父親に見せて、暴れる白谷君の父親を取り押さえた。

 私の目の前が段々と暗くなっていった。


 *


「真弓、真弓」

 ゆっくりと目を開けると、両親が私の体を揺さぶっていた。白い壁と天井と布団も見える。

「やっと気付きましたか」

 看護士が私を見て安心した顔つきをしている。

「箱崎さん、あなたはあの部屋で意識を失って倒れていたんですよ」

 看護士が私にやさしく語りかけた。

「はあ」

 私はまだ頭が混乱していた。よく噛み砕かなければ言語として認識できない。気を抜いていると、全て雑音に聞こえてしまいそうだ。

「もう少しゆっくりしたほうがいいと思うから」

 母がそういうと、看護士がカーテンを閉めた。

 私は左手に包帯を巻かれ、腕に点滴を挿されていた。


 私は四日ほど入院した。病院食は美味しくなかった。心療内科の先生が私のベッドにやってきて、心理テストのようなものをしたこともあったが、私は周りの人が思っているほどショックを受けていなかった。ショックというよりも、この事実を自分に起きたものとして吸収できていなかった。両親に読みかけだった漫画を持ってきてもらって、ずっとそれを読んでいた。吹奏楽部の同期や担任やクラスメイトがお見舞いに来てくれて、手紙や励ましの言葉や花などをもらった。事前に口約束したのか、誰も事件のことについては訊ねなかった。お見舞いに来てくれたことはもちろん嬉しかったが、嬉しがっている自分ですら「私」ではなく「箱崎さん」であるような気がした。  

 事件の翌日、地元新聞の夕刊と朝刊にわたってこの事件が掲載された。面会の時間に母親が教えてくれた。全国紙の社会面にも小さく載っていた。新聞記者は私にインタヴューしようと私の家に電話をかけ、病院に押しかけたが、両親がすべて門前払いしたという。一旦記事になってしまえば、私を賞賛するかのような記事の文体も、児童精神医学が専門の精神科医の「箱崎さんには中長期的な精神的ケアが必要だ」とのコメントもひどく現実的でないように思えた。ただ大衆に注目され、何日か経てば忘れられるような、そんなニュースであるようにしか思えなかった。

 白谷君の父親の供述も載っていた。容疑を認めており、「左遷先の子会社が破産し解雇され、雇用保険をギャンブルに使い込んでしまった。自己破産する前に一家心中したかった」というのが犯行の動機だったらしい。全国ネットのテレビ局の地域別のコーナーでも取り上げられて、隣に住む藤田さんや陽子もインタヴューに応えていた。

 私は療養期間を終えて学校生活に復帰した。私はクラスメイトに質問責めに遭うことも、拍手喝采で迎えられることもなかった。みんなはいつもと変わらぬように私に接してくれたし、私もそれによって現実の社会に戻っていけた。陽子は休んでいた分のノートをコピーして渡してくれたので、授業がまるっきりわからなくなることもなかった。

 数日後に白谷君が部活に復帰した。腕には三角巾をし、右足は松葉杖という痛々しい格好だったが、白谷君は楽器が弾けない代わりに音源を聴きながら楽譜を追っていた。私は白谷君のその姿に内心ほっとしたと同時に勇気付けられた。彼は三角巾が外れると待ちわびていたかのようジャズベースを手に取り、輝やいた目で演奏していた。その隣で私が演奏できることはとても嬉しかった。


 *


 本番当日を迎えた。私たちは朝一番に児童館に乗り込み、講堂でシート引きや椅子並べなどの会場セッティングを行った。リハーサルを一本通した後、個々の部分で最終調整に入った。殆どの注意は高音楽器に向けられたが、白谷君はそのたびにアンプのつまみをいじっていた。たぶん体育館の音の響きや高音楽器の表現のの変化に対応させるために音色を変化させているのだろうと思った。

 講堂の隅で昼食を食べてリラックスし、私は再び自分の楽器が置いてある椅子へ戻った。指揮者の見え方と客席の見え方を確認している途中で、開場をを知らせるチャイムが鳴った。私は急いで楽器を持ち、講堂から出た。

 開演の時間になり、私たちは拍手とともに入場した。自分の椅子に座り、客席を見回した。予想に反して講堂は満席だった。講師が入場し、指揮台の前で一礼した。指揮棒タクトを持つ手を振り上げると、指揮棒がきらきらと輝いた。振り下ろし、私たち低音が重低音を響かせると、トランペットが華麗にファンファーレを吹き上げた。

 それは私の復活を告げるファンファーレでもあった。

難しい三題でしたので構成が大変でした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] よくまあ綺麗にまとめたねぇ。 [一言] こうやって感想を書くのは初なんだが…… また、書いてくれるかな?
2012/02/19 00:49 シルフィード
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